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第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
一章-2
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昼食後、俺はセラから指定された《赤い魚の尻尾亭》を訪れた。
先に来ていたセラに手招きされるままにテーブルに着いてから、もう二〇分。
「おまえという男は、どうして他人からの好意に対して鈍感なんだ? これまで、瑠胡姫様が不憫でならなかったんだぞ!?」
とまあ……こんな感じで、俺は顔を真っ赤に――怒りではなく、酒に酔っ払って――したセラに、怒られ続けていた。
今のセラは騎士の鎧を身につけてないどころか、レティシアたちが普段着ているような、鎧の下に着るズボンや長袖の服を着ていない。
町娘のような薄い茶色のカートルという、ワンピースを着ている。腰紐は王都で一時流行った、赤と緑の糸を編み込んだものだ。
セラの奢りである蒸留水で満たされた木製のジョッキは、まだ手を付けられる状態ではない。
俺の視線がジョッキに向いたことに気付いたのか、セラは酔いのせいで三白眼となった目で睨んできた。
「おい、ランド。わたしの話を聞いているのか!?」
「ちゃんと聞いてる……いえ、聞いてます。はい」
状況が理解できていないだけに、接客態度で接すればいいのか、それとも普段通りでいいのかの判断ができない。
思わず敬語で応対してしまったが、セラは気にしていないようだ。
表情を少しだけ和らげると、ジョッキに満たされたエール酒を一息に飲み干した。もう五杯目になるエール酒の追加注文をしたあと、セラは酔いで視線の定まらない目を俺に向けた。
「どうしら? おまえも飲むといい。つまみもあるし――な」
炙った干し肉が盛られた皿を指で弾いたセラに、俺は曖昧に頷いた。
蒸留水を一口飲むと、セラは怪訝そうに俺の顔を覗き込んだ。
「おまえは……酒を飲んでも顔色は変わらないんらな」
「いやその、これは蒸留水なので」
「蒸留水ぃ? あんで、そんな物を飲んでいるんだ!?」
「いや、俺は酒に弱いから……すぐに酔いつぶれるんで、飲まないようにしてて――」
「嘘ら」
俺の説明に被せるようにして、セラはふて腐れた顔をした。
視線を両手に抱えた空のジョッキに注ぎながら、ブツブツとなにかを呟いていたセラは、恨めしそうな目を俺に向けた。
「ろうせ、わたしなんかとは飲みたくらいと、そう思っているんらろ?」
「いや、だから。俺は本当に酒に弱いんだってば」
喚きたい衝動を抑えていた所為で、少々素が出てしまった。しかし、セラはそんなことに気付かない素振りで、テーブルの上に身を伸しだした。
「嘘ら。この地方で、酒が飲めない人とか、聞いたことがないろ」
「だから、本当なんだって。なんなら、瑠胡に話を聞いてみてくれ」
俺が瑠胡の名前を出すと、セラは急に押し黙ってしまった。顔を伏せたその顔は、光の加減か眉間に皺が寄っているように見えた。
どうしたんだろう――と怪訝に思っていると、セラはジョッキに添えた指先をモジモジと動かしながら、上目遣いに俺を見た。
「おまえは……その、もう瑠胡姫様の願いを叶えたのか?」
「願い……って、なんのことだ?」
俺の返答に、セラはなにを驚いたのか目を丸くした。口をパクパクと動かしながら、どこか呆然とした顔をしていた。
「どうし――」
――たんだ、と言いかけたところで、セラはテーブルを強く叩いた。
「お、お……おまえは馬鹿か!? 瑠胡姫様がこの村に滞在する理由を、おまえはなんで訊かないんだっ!」
「瑠胡がなにか目的があるのは覚えてるけどさ……俺と関係はないだろ?」
俺と出会う前から、瑠胡は目的を持ってこの地に来ていたんだから。
誘拐事件に巻き込まれている中で、『ランドが欲しくて、ずっとこのときを待っていました』と言ってくれたけど……これが目的に関係あるのかまでは、わからない。
「目的の内容を聞いたことはあるけど、話してくれなかったしな。しつこく訊くのも拙いと思うし……向こうから話をしてくれるのを待つしかないだろ。それとも、セラは瑠胡の目的を知っているのか?」
「それは――」
セラはなにかを言いかけたけど、すぐに口を閉ざした。
言葉を探すように視線をやや下に向けながら、指先でテーブルを叩いていたが、大きな溜息を吐いたあとに視線を戻した。
「……とにかく、瑠胡姫様とはもっと話をしろ。目的だけでなく……将来のことも。じきに父親になるのだろう?」
そんなセラの言葉に、俺は飲みかけていた蒸留水を吹き出しそうになった。
「ま――待てっ! そりゃ……このままいけば、将来的にはなるんだろう、けどさ。そーなるのは、当分先だからな! 俺はまだ一七歳だぞ? 婚姻だってまだ出来ないし、教会への寄付金も貯まってねぇ」
「まだ……先?」
「そーだよ! まだ、そういうのだって、やってねぇからな」
周囲の目とか世間体とか、そういうのを気にしなかったら、誘惑に負けて手を出してるだろうけど。
婚前に手を出して、瑠胡の父親に『婚前だというのに、うちの娘に手を出しただと?』という感じで、舎弟(?)を引き連れてカチコミをかけられたくないし。
瑠胡は、つがいになったら子作りが普通とは言っていたけど……それで天竜族の王である父親が納得するかは、別問題だと思う。
俺が小さく両手を挙げると、セラは大きく息を吐いた。
「まだ……先、か。それで、瑠胡姫様は納得をしたのか?」
「……一応は。こっちで暮らしているあいだは、それに倣うって言ってくれてるよ」
瑠胡は繁殖期に入っていて、ちょっと誘惑的な言動が増えているのは内緒にしておこう。
「婚姻にしたって、その前に瑠胡のご両親への挨拶も行かないとだしさ。まだまだ先になるだろ……」
「瑠胡姫様のご両親に挨拶――ん? おまえは家族がいるのだろう? そちらへのご挨拶もいるだろう」
「いや……俺は親に勘当されてるからなぁ。会いに行っても、拒絶されると思うし」
「妹さんがいるだろ。瑠胡姫様の故郷に行く前に、ジョシアには挨拶をしておけ。あと……村の人たちにもな」
「遠出をするときは、山羊や鶏の世話をお願いしないといけないからなぁ。村の人たちには、挨拶はするつもりだけど」
手伝い屋の仕事も休業するわけだから、村の人たちへ話をするのは必要だ。
それは理解しているつもりなんだけど……セラはどこか不満そうだった。店主が持って来た八杯目のエール酒に口をつけたセラに、俺はようやく疑問になっていたことを訊いた。
「ところで……今日の用件って、これか? 飲みながら、話をするっていう……」
「そうだ。依頼料も払うし、別にいいだろう?」
「いや、いいけどさ。こういうのは、《白翼騎士団》の連中とやればいいのに」
「皆、まだ職務中だ。この村には、他にともに飲む相手もいないのだから、仕方ないだろう。かといって、瑠胡姫様にお願いするわけにはいかないだろう」
憮然とした顔で答えながら、セラは僅かに視線を逸らした。
村の人と親しくしている《白翼騎士団》の団員は、クロースくらいなものだ。付き合いが無いわけではないが、友好関係という間柄ではない。
それに騎士団という性格上、ドラゴンである瑠胡と、必要以上に親しくするわけにもいかない……か。
ふと店内を見回した俺は、見知った顔の男がいることに気付いた。
俺は冗談めかした声で、その男を指で示した。
「飲み相手なら、あいつらだっているんじゃないか?」
「あいつら――」
セラが、指先の示す方角へと目を向けた。
そこで男もこっちに気付いたようだ。笑顔を浮かべて、こっちに近寄って来た。
少々派手な衣装に身を包んだ、癖ッ毛の茶色の髪をした優男だ。吟遊詩人らしく、竪琴を携えていた。
「おやおや。二人で飲んでるなんて、浮気はよくないなぁ」
「……浮気じゃねーよ。話相手になってるだけだって」
ブービィは俺の返答を聞いて、戯けたように肩を竦めた。誘拐事件の主犯の一人だが、今は兄弟と一緒にメイオール村で暮らしている。
ブービィはセラに向き直ると、恭しく頭を垂れた。
「これは騎士様。可憐なお姿をお目にかかれて、光栄です。一曲いかがでしょうか?」
「断る。趣味では無い」
セラはブービィに小さく手を振ると、ふて腐れたようにエール酒を飲み始めた。
それにしても……ジョシアに挨拶、か。
王都まで行くにしても、俺が追放されたときのように直行便があるわけじゃない。一人旅になるなら、瑠胡の食事のことも考えなきゃいけない。
予想外に頭の痛い話になるかもな――無下にあしらわれるブービィを眺めながら、俺はそんなことを考えていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
昼間から飲めるとは、良い身分なこ――いえ、なんでもないです。中の人もお酒は弱い方なので、昼飲みとか言われても、あまり羨ましくは無かったりします。
むしろ、甘い物を食わせろと声高に言いたい。
少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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