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第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』
一章-1
しおりを挟む一章 旅の仲……間?
1
俺――ランド・コールが我が家に戻ったのは、正午の鐘がなる少し前のことだった。
邪魔にならない程度にほったらかしのヘーゼルブラウンの髪。目はブルー系だが、やや赤みが混じっているのか、光の加減では紫に見える――らしい。
そんな、井戸から水を汲んだばかりの水桶に映った顔を一瞥してから、俺は身体の汗を拭った。
今まで依頼のあった野良仕事をしていて、全身が汗まみれだ。女性の居る家に入るんだから、最低限の身だしなみは必要だ。特に今は夏期真っ只中で、気温も高いから、すぐに汗が吹き出してくる。
今日は午後からの仕事は入っていないから、汗の染みこんだ服は着ていたくない。独り暮らしなら気にしないが、一緒に暮らしている瑠胡に、イヤな感情を抱いて欲しくないと思うのは、年頃の青年なら当然だと思う。
外に干してあった服に着替えた俺は、玄関のドアの鍵を開けて家の中に入った。
「ただいま……です。今から御飯の準備を――あれ?」
玄関のドアを開けた俺は、テーブルの置いてある居間を見回した。
いつもなら、居間で俺の帰りを待ってくれている瑠胡の姿がない。鍵は掛かっていたから、外出をしたわけではない――と思う。
二階から飛んでいく可能性もあるけど……そんなことを瑠胡は一度もしたことがないから、これも違うと思う。
二階かな――と思っていると、俺の部屋に誰かがいる気配がした。
俺は自室のドアに近寄ると、僅かに開いたドアを開けた。
本棚と机、棚、それにベッドが置かれた部屋は、雨戸は開いているにせよ、夏らしい熱気に包まれていた。
そんな部屋の中、俺のベッドの上で、瑠胡は横向きに寝そべっていた。今はお気に入りらしい花や鳥の模様があしらわれた赤色の着物ではなく、薄い緑色を基調にした、何かの木と白い鳥の模様が施されたものを着ていた。
艶やかな黒髪は、ベッドの上で黒蜜のように広がっていた。
抱きしめるような格好で、俺の枕に顔を埋めていた瑠胡が、俺にとろん、とした目を向けた。
「あら、ランド……お帰りなさい」
「ただいま……です。ええっと、ここでなにを?」
「本を読もうと思ったのですけれど……ベッドに横になったら、うとうととしてしまいました。良い匂い――ランドの匂いのせいでしょうね」
「いや……俺の体臭なんて、汗臭いだけでしょうに」
「そんなことありませんよ? わたくしは、あなたの匂いは好きです。ねえランド……こちらに来て下さい」
ベッドの上で左手を広げながら、瑠胡が俺を手招きした。
俺が誘われるままに近寄ると、瑠胡が俺の首根っこに抱きついてきた。
「ねえ、ランド。わたくしの匂いも好きになって下さいね」
「あの――」
どこか甘えたような瑠胡の声を聞きながら、俺は俺は瑠胡の匂いに包まれていた。やはり瑠胡にとっても部屋の中は暑いのだろう。汗ばんだ首筋が目に入った。
どこか蠱惑的というか、名花というには生々しい汗の香りに、俺の思考は真っ白になりかけていた。
「あ、あの……瑠胡? なんかこれ……ちょっと拙い、ですって」
色々と、その……理性の箍にとって、今の状態はやばすぎる。かといって、無理矢理引き剥がずだけの胆力も出せない俺は、瑠胡の肩をポンポンと叩くしかできなかった。
「もしかして、寝ぼけてます?」
「……そうですね。寝ぼけてるかもしれません。あと、少し誘ってもいるんですよ? つがいになりましたし、子作りだって考えたいじゃありませんか」
「誘うって……いや、こっちの文化とか、決まり的なことは話をしましたよね?」
俺の住むインムナーマ王国において、成人男性の婚姻は十八歳を超えてから、というのが通例となっている。しかし実際に男性が婚姻をするのは、二十歳を超えてからというのが一般的だ。
これは妻を娶るのは仕事が軌道に乗り、生活の基盤が出来てから――ということだ。もちろん妻との性交渉は、宗教的理由によって婚姻後しか認められていない。
冬生まれで、まだ十七歳の俺は婚姻すらできない。あと、教会への寄付もまだ貯金できてないし。
俺の問いに、瑠胡は少し拗ねたように両腕に力を入れてきた。
「話は覚えていますけれど……わたくしは人間ではないのですから。気にしなくてもいいと思いますよ?」
「いや、その……世間体といいますか。村人たちの目もありますから」
「人間の社会通念というのは、聞いていた以上に融通が利かないものなんですね」
瑠胡が、小さく溜息を吐くのが聞こえた。
俺は苦笑しながら、瑠胡を抱きしめた。
「ドラゴンとか……は、どうなんです? その、婚姻とかって」
「もっと簡素ですよ。つがいになるということは、人間社会でいう夫婦と同じ意味ですから。繁殖期であれば、すぐに子を作ります」
そっか……そのあたりは、野生動物と一緒なんだ。
「ちなみに、ドラゴンの繁殖期っていつなんです?」
「この世界においては、夏が終わるまでになりますね」
「そうなんですね。なんか、すいません」
なるほど。だから今、ここまで積極的なわけだ。
ある程度は瑠胡の言動に納得はしたけど、最後に一つ、疑問に思うことが残ってしまった。
この世界……って、どういう意味だろう?
それを尋ねようとしたけど、それよりも先に瑠胡が喋り始めてしまった。
「結婚式――でしたか。そのような儀式は、人間独自の文化ですね。意味は理解しましたけれど、少し焦れったく思ってしまいます」
「結婚式だけってわけじゃないですけど。普通は婚姻の前に、ご両親への挨拶を済ませるものみたいですよ」
「両親への挨拶……」
瑠胡が俺の首から腕を放すと、少しだけ身体を離して目を丸くした顔を見せてきた。
「つまり……わたくしの両親に会いに行くということですか?」
「そうなりますね」
俺が質問じみた言葉を肯定すると、瑠胡の視線が揺れた。
どうしたんだろう? なにか変なことを言ったかと俺が不安を抱いたとき、玄関のドアがノックされた。
俺と瑠胡は、その音で身体を離した。
「ちょっと待って下さい!」
自室から出た俺は、小走りに玄関へと向かった。
鍵を開けてドアを開けると、鎧を身につけたセラが立っていた。
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セラのすぐ後ろでは、軍馬が草を食んでいた。村周辺の見回りを終えたばかりみたいだけど……どうやら、そのまま俺を訪ねて来たようだ。
「セラじゃないか。どうしたんです?」
「ランド、昼の休み中にすまない。おまえに頼みがあってだな。午後から……その、わたしに付き合って欲しいのだが。可能だろうか?」
「えっと……午後から仕事は入ってませんけど」
俺が答えると、セラは少しホッとした顔をした。背後からは、下駄の音が聞こえていたから、瑠胡もこちらに近づいているようだ。
俺の予想通り、瑠胡の声がセラに語りかけた。
「セラではないか。仕事の依頼かえ?」
「瑠胡姫様におかれましては、ご機嫌麗しく、恐悦至極に存じます。申し訳御座いませんが、ランドをお借りしたいと思っておりますが、よろしいでしょうか?」
慇懃に一礼したセラに、瑠胡は少し表情を曇らせながらも鷹揚に頷いた。
「仕事ということであれば、致し方ない。妾のことは気にせずともよいぞ?」
「ありがとうございます」
「あ……でも、昼を食べてからでいいですかね。実のところ、まだ準備もしてない状況で」
帰宅後、ずっと瑠胡と喋っていたから昼食の用意すらできていない。
俺たちの背後にあるテーブルを覗き見たセラは、小さく溜息を吐いた。
「……承知した。わたしも着替えたいし、それで構わない」
「え……と。鎧とか剣とかは必要になりそうですか?」
セラからの依頼――それはすなわち、彼女の所属する《白翼騎士団》からの依頼と同義だ。となれば、荒事に関わる可能性が高い。
しかし、セラは静かに首を振った。
「そんなものは……必要ない。そのままで来てくれ。いや……《赤い魚の尻尾亭》で待ち合わせをしたい」
「……畏まりました。では、そこで」
俺が営業的な言葉で応じると、セラは少し目を伏せてから踵を返した。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
本編が始まったわけですが……中の人は少し希望見えました。
今回こそ、二千から三千文字程度でアップできそうな気がしています。プロローグと一章-1を書き上げて、なんとなくですが、そんな予感が頭を過ぎりました。
これが、気のせいにならないよう頑張りたい所存です。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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