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第三部『二重の受難、二重の災厄』
一章-4
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ハイムのおっさ――もとい、老王とキティラーシア姫が昼食を召される場は、旅籠屋の《月麦の穂亭》だった。
なんでもレティシアからの御指名ということらしい。多分だけど、俺が馴染んでいる店だから、という理由なんだろう。
ご要望の品については、少々時間のかかる牛酪を使用したものだ。アクラハイルの神域では置いてあったが、残念ながら店で使うには牛乳から作るしかない。
それだけでも、一時間くらいの時間が必要だ。そのあいだに芋を茹でたり、皮を剥いたりなどの下ごしらえを、メレアさんと手分けして行った。
その最中、メレアさんは終始、不安と戸惑いの表情を浮かべていた。
この前、鬼神と一緒に酒を飲んでいた男が、王族として姫君と一緒になって、食事をしに来たとか――普通に考えて、意味が分からないと思う。
牛酪と岩塩を使ったジャガイモ料理と、同じく牛酪と牛乳を材料に使ったスープ、パンは表面を焼いて、蜂蜜を使ったジャムを薄く塗ったものだ。
キティラーシア姫は、さして豪華でもない食事を、まずは物珍しそうに見回し、まずはスープから口をつけた。
周囲が不安そうに見守る中、キティラーシア姫は頬を染めながら、とても美味しそうな表情で、料理をペロリと平らげてしまった。
隣にいるハイム老王は、厨房の中にあるエール酒などの酒樽を物欲しそうに視線を送りながら、見た目には上品に食事をしていた。
口元をハンカチで押さえるように拭いてから、キティラーシア姫はおっとりと、厨房にいる俺たちに微笑んだ。
「美味しゅう御座いました。オリーブ油以外にも、これほどコクのある食材があるなんて、知りませんでしたわ」
「お褒めに預かり、光栄です。キティラーシア姫様」
畏まって一礼するメレアさんに、キティラーシア姫は鷹揚に頷いた。基本的に雇われの身である俺は、その後ろで畏まっているだけである。
だって、そのほうが楽だし。表だった対応は、女将であるメレアさんに任せよう。
とまあ、そう思っていたのに。よりにもよってキティラーシア姫は、俺のほうへと顔を向けてきた。
「ランド・コールとやら。あなたも、ご苦労様でした」
「いえ。勿体ない御言葉に御座います」
「それでね? もう一つ、お願いがあるの。この村の周辺を案内して下さらないかしら。相当に、お強い剣士と聞いてます。あなたの道案内なら、安全でしょう?」
「いえ、とんでも御座いません。今は、ただの村人で御座いますので。護衛に足る力量など、わたくしには御座いません」
……誰だ、迷惑な噂を言いふらしているヤツは。
そう思ったとき、ハイム老王の視線を感じた。
孫姫に悟られぬよう、こっそりと片目を瞑ったハイム老王の仕草で、俺は直感的に悟った。料理のことだけでなく、そういう大袈裟な内容を吹聴してるらしい。
俺が自身のことを村人だと称しても、キティラーシア姫は納得していない顔をした。
「あら、おかしいわね。《ダブルスキル》のゴガルンに勝ったのでしょう?」
「それは、そうですが。その件は……どなたから、お聞きになられたのでしょうか?」
「あなたも知っているでしょう? 従姉妹のレティシアからよ」
その名を聞いて、俺は何食わぬ顔をして立っているレティシアを睨んだ。
直立のまま視線だけを俺から逸らしたレティシアは、なんの助け船も出さなかった。ほんの僅かに、バツの悪そうな表情を見せただけだ。
俺は視線を戻すと、頭の中に浮かんだ皮肉を不敬にならないように言い換えた。
「それは根も葉もない、誇大妄想の入った噂で御座いましょう。わたくしは――」
「最終試験で、追放されてしまった訓練生。〈スキルドレイン〉のランド・コール、でしょう? 強い剣士かどうかは主観があるにしても、《ダブルスキル》に勝ったのは事実。誇大妄想などではないわ」
訓練生時代ことはレティシアが教えたのかと思ったが、当の本人は驚いたように、大きく見広げた目をキティラーシア姫に向けていた。
ハイム老王も、小さく首を振っている。ということは、老王やレティシアから聞いた話を元に、このお姫様が自分で調べあげたようだ。
ハイム老王が言っていたことを思い出しながら、俺はキティラーシア姫の行動力に舌を巻いていた。
次の言葉に迷っていると、キティラーシアはにっこりと微笑んだ。
「ね? 警護と案内をお願いできるかしら」
立場上、王族の願いを断り続けることはできない。不敬罪やら、数え切れないほどの罪状を被せられてしまう前に、従ったほうが懸命だろう。
俺がふと感じた視線の先には、どこか嫉妬を感じさせる瑠胡の目があった。しかし、その視線が強く注がれているのは、キティラーシア姫だ。
別に言い寄られているわけではないし、瑠胡には想い人がいるわけだから――いや、まあ、嫉妬する必要は無い気がした。
あと、強い嫉妬の視線はもう一つある。
姫と老王を護る騎士団の面々が、俺に向けて敵意の混じった嫉妬の目を向けていた。彼らからしたら、姫から強く警護を強請われている俺は、さぞ憎いだろうな。
俺は慇懃に、頭を下げた。
「畏まりました。案内の件は、承ります。ですが警護はやはり、騎士団の方々のみにして頂くのが、よろしいかと存じます」
「あら。そんなに謙遜なさらないで。警護も一緒に、お願いしますわ」
折角の妥協案も、あっさりと蹴られてしまった。説得を諦めた俺が頭を下げようとしたとき、騎士団の団長らしい青年が、キティラーシア姫の真横へと進み出た。
「キティラーシア姫、お願いが御座います。この者が真に強者か、確かめたく存じます」
「確かめる?」
きょとん、とするキティラーシアに、騎士団長は慇懃に告げた。
「はい。そのランド・コールという青年と、模擬戦用の木剣にて一騎打ちを所望致します。警護に連れて行ったあとで弱者とわかっては、遅いですからな。もちろん、相手を殺しかねない《スキル》は、使用禁止とします」
そう進言した騎士団長は、俺に敵意のある目を向けた。
力試しと称して、俺をコテンパンにしてやろうという腹づもりなんだろう。表情には自信と、すでに勝ち誇った雰囲気を滲ませていた。
正直に言って、騎士と一騎打ちだなんて、勝っても負けても面倒臭い。負ければ人を見下し、蔑んでくるのは目に見えている。そして勝っても、卑怯な手段を使った、八つ当たりじみた嫌がらせが待っているだろう。
俺が心からイヤそうな顔をしていると、ハイム老王が騎士団長に「まあ、待て」と声をかけた。
「事を荒立てる必要はあるまい。姫とて、おまえたちを信用しておらぬ訳では無い。好奇心もあるのだろうから、共に警護をすればよいではないか」
ハイム老王に従って、キティラーシア姫も騎士団長の意見を拒否してくれることを期待した。しかし、姫君は笑顔で騎士団長に告げた。
「いえ、お爺様。とても良い案だと思いますわ。それで、あなたたちが納得してくれるのなら、これ以上に簡単な手段はないでしょうし」
「はっ。御理解頂けて、光栄に存じます」
慇懃に頭を下げる騎士団長を見ながら、俺は小さく舌打ちをした。
……くそ。結局、やらなきゃいけないわけか。
憂鬱な気分になっていると、カウンターの中に入って来ていた瑠胡が、握り拳を作っていた右手に触れた。
「ランドや。御主なら、必ず勝てると信じておるからな」
この言葉で、キティラーシア姫や騎士団の面々の視線が瑠胡に集まった。
立ち振る舞いから、異国の高貴なご婦人だと思っているのか、とりあえず文句の類いは出なかった。
周囲の視線を浴びて苦笑した俺は、鷹揚に頷いた。
「わかりました。勝ってきます」
瑠胡に『勝て』と言われたなら、精一杯、ヤツを砕いてやるしかない。望みの薄い恋だけど、これも惚れた弱みというやつだ。
さっきよりもほんの少しだけ気が軽くなった俺は、こちらを見る騎士団長へ、挑発するような目を送った。
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