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第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』
四章-1
しおりを挟む四章 重なる気持ち、後悔の念
1
俺と瑠胡が《白翼騎士団》と合流した翌早朝。
リリンの使い魔が、沼地の底へ沈んだ巨大ワーム〈マーガレット〉への偵察へと向かった。〈マーガレット〉が活動を再開するのは、もっと日が昇ってからだという。
ジョンさんが無事ということは、作戦会議のときに聞いている。使い魔で様子を見に行ったらしいリリンの解釈としては、
「呼吸のための鼻孔付近に囚われたのが幸いでした」
ということらしい。
正直に言って、あの巨体相手に、どこまで通用するか――という不安は残ってるが、作戦は練り終えた。あとは、死力を尽くすのみ。
予定よりも早めに起きた俺は、日課である素振りを繰り返していた。俺の長剣なんか〈マーガレット〉には通用しないのは、わかってる。だけど素振りをすることで、俺自身の意識を切り替えることができる。
ただの村人から、少なくとも訓練生として。村で生活しているときには忘れかけている、飢えに似た闘争心が蘇る。
「その顔、昔を思い出すわね」
いつから見ていたのか、レティシアが声をかけてきた。俺が素振りを止めて振り返ると、水袋を投げて寄越してきた。その顔には訓練生時代を思い出させるような。穏やかな笑みを浮かべていた。
水袋を左手で受け取りながら、溜め込んでいた息を吐いた。
「……なんの用だよ」
「部下たちの前では、あまり言えないことを言いに――ね」
レティシアは腕を組むと、その顔から笑みを消した。
「おまえに一番辛い役目を押しつけてしまって、すまない。作戦会議のときは……おまえしか出来ぬなどと鼓舞するようなことを言ったが……無茶はするなよ。王都にいる、おまえの妹も心配していたからな。おまえが死んだと伝えたら、卒倒しかねん」
「……なんだよ。ジョシアに会ってたのか」
ジョシアは、俺と二つ年下の妹だ。今年から図書館の司書への就任が決まっているはずだ。俺とは違って、順風満帆な暮らしをしている。
ちょっと前まで実家に手紙を送っていたけど……返事は一通も返ってきていない。ジョシアからの便りもないから、てっきり見限られていたと思ってたけど……今の話から察するに、そこまで絶望的な状況ではなさそうだ。
半目で軽く睨む俺に、レティシアは忍び笑いを漏らした。
「これでも騎士団長だからな。平時でも暇ではない。二月に一度は王都に行かねばならんからな」
やや自嘲気味な顔をしたレティシアは、小さく手を挙げると踵を返した。
「用件は以上だ。リリンの報告次第で、出発する。それまでに朝食を済ませておけ」
「……わかったよ」
レティシアが自分のテントに戻るのを見送った俺は、背後にいた、もう一つの気配へと意識を向けた。そこには木の陰になるように、瑠胡が佇んでいた。
頭を掻きながら振り向くと、瑠胡は俺へと近寄って来た。
「……すまぬな。盗み聞きするつもりなどはなかった」
「別に、聞かれて困る話なんかしてませんよ」
長剣を鞘に収めた俺に、瑠胡は僅かに視線を彷徨わせていたが、やがて、ふっと口元を綻ばせた。
「……妹がおったのだな」
「ええ、そうですけど……妹のことって、話をしたことありませんでしたっけ?」
「そうかもしれぬな。改めて考えると、御主は家族のことを語ってくれぬのぅ」
「いや、でも……あまり、面白い話はないですからね。興味ないかと思って」
「そんなことはないぞ? 時々でよいので、話をしてくれると嬉しい」
そう言って微笑む瑠胡に、俺は拒絶的なことを言いかけた。でも昨日、セラと話をしたことを思い出して、俺は溜息とともに言葉を呑み込んだ。
一呼吸分だけ遅れて、俺は必死で言葉を探した。
「まあ、それは構いませんけど……あの、本当に面白くはないですよ」
そんな俺の返答に、瑠胡は目を細めた。その表情は、期待に胸を膨らませているかのようだ。
「ふむ、楽しみにしておるでの。そのために、時間を作っても良いくらいよのぅ」
「いや姫様。成し遂げる目的ってやつを、優先しなくていいんですか? 俺の昔話のために、時間を取ることないですよ」
特に他意はない、なにげないは発言のつもりだったが……なぜか、瑠胡の顔から笑みが消えた。そして上目遣いに俺を睨めるような仕草をすると、プイッと背を背けてしまった。
「やれやれ……この調子では、妾が目的を果たすのは、いつになるやら……」
「あれ、なにか成果っぽいことがあったんですか?」
そういうのはまったく、気がつかなかったけど。
とにかく、俺は瑠胡の機嫌を損ねてしまったらしい。
俺の問いに答えないまま歩き出す瑠胡へ、俺は慌てて駆け寄った。なにが機嫌を害したのか問いかけたんだけど、瑠胡は拗ねたように答えない。
しばらくして、俺たちの声に気付いたらしいユーキやクロースたちが、こっちの様子を見に来てしまった。
たまたま通りかかったキャットの「朝からイチャイチャするとか……緊張感のない」という一声に、俺は顔を真っ赤にさせて固まった。
なんか……朝飯を食べる精神的余裕もない。瑠胡の態度や周囲の視線に、困惑と羞恥でいっぱいになったとき、リリンが駆け寄ってきた。
「みなさん、あの化け物が動き出しました」
「総員、集合! 出発するぞ!」
レディシアの号令に、周囲にいた騎士団の面々は一斉に動き出した。
俺と瑠胡も号令のあった瞬間に、顔を見合わせていた。俺はいつものように瑠胡の手を取りながら、馬車へと向かった。
馬車に荷台に近づいたとき、幌の中から物音がした。
「ランドさん、遅いですよぉ」
……ユーキか?
ユーキは別行動のはずだったんじゃ――と思って幌の中を見れば、そこには従者のフレッドがいた。
俺が目を丸くしていると、フレッドは笑顔で手を差し伸べてきた。
「驚きました?」
「そういえば、おまえの《スキル》は〈声真似〉だっけか」
「ええ。実際に真似るためには、少し練習も要りますけど」
フレッドの補助で荷台に上がりながら、俺は「へぇ」と短く応じた。それから荷台の外に手を差し伸べた俺は、瑠胡を荷台に引き上げた。
幌の中には、左右に低いベンチが増設されていた。
左側のベンチに腰を降ろすと、御者台に向かうフレッドの背に声をかけた。
「フレッドが御者なのか?」
「……ホントはイヤなんですよ。人手不足だから、仕方なく」
肩を竦めるフレッドが手綱を握ると、瑠胡が俺の横に腰を落ち着けた。
俺が驚いた顔を向けると、瑠胡は「良いであろう?」と澄まし顔で言ってきた。なんかもう、神域での言葉と瑠胡の態度が相反していて、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
俺は溜息を吐きながら、小さく頷いた。
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