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第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』
三章-1
しおりを挟む三章 混乱の神域
1
村からの買い出しに出ていたリリンたちの馬車が、レティシアの野営地に戻ったのは、昼を一時間ほど過ぎてからだった。
リリンからの報告を聞いたレティシアは、椅子に座ったまま、思わず息を呑んだ。
「ランドが、神域から帰ってきたのか?」
「はい。あの巨大な化け物と、行方不明の村人の情報を手に入れたようです」
「そうか!」
「それで、ランドと――瑠胡姫様は、どこだ?」
レティシアの横で、セラは忙しなく周囲を見回していた。
リリンはそんなセラに、杖の先端を空の向こうへと向けてみせた。
「ランドさんは、瑠胡姫様とアララカン湖へと向かいました。なんでも、そこにいる鬼神が、巨大な化け物のことを知っているようだ――と言ってました」
リリンの返答にレティシアは大きな溜息を吐き、セラは僅かに目を伏せた。
しかしすぐに、セラは顔を上げた。
「帰投が予定より遅れたのは、それを見送ったのが原因か?」
「……はい。ランドさんと瑠胡姫様の出発が手間取りましたので」
「手間取った……なぜ?」
「簡単に言えば、ランドさんが女心を理解していなかったから――でしょうか」
リリンは出発時にあったランドと瑠胡のやりとりを、レティシアとセラに話した。
思いを寄せた男から――例えそれがドラゴンの姿のことだとしても――怖いとか血の気が引いたとか、迫力があるとか言われたのだ。
そのときの瑠胡の心中は、察するに余りある。
拗ねた程度で済んだのは、偏に瑠胡の性格によるものだ。姫としての威厳と風格を携えている瑠胡だが時折、お茶目さんな言動――例えば、リリンの書いた『可愛げの手引き』の内容を実行したり――を垣間見ることがある。
リリンからの話に最初は眉を寄せていたセラだったが、話が終わる頃には、こめかみに手を添えていた。
「……なんと不憫な」
「女性に対する接し方というのは、あまり慣れていないようですから。仕方ないと思います。瑠胡姫様も最後のほうは、楽しそうでしたから。問題はないと思います」
「問題だらけじゃないか。あの化け物相手に我々が奮闘しているときに、なにを遊んでいるのやら」
リリンやセラの前だからレティシアは堪えているが、独りだったら頭を抱えて悶絶しているに違いない。そんな光景が思い浮かびながらも、リリンは澄まし顔で思考を巡らせた。
「団長、提案――というほどではありませんが、我々はランドさんたちが戻ってくるまで、化け物への陽動と、ジョンという村人が囚われている場所を探しましょう」
「それしか、出来ることはないが――ジョンがいる場所の特定はどうする? 迂闊に近づくのは、危険すぎて許可はできんぞ?」
「使い魔で近づきます。夜なら、探しやすいでしょうし」
「……なぜだ?」
怪訝な顔をするレティシアに、リリンは言葉を探した。リリンの《スキル》である〈計算能力〉によって、答えを導き出すことはできる。だが、リリンはそれを言葉で伝えるのが、あまり得意ではなかった。
少し考えてから、リリンは静かに告げた。
「あの化け物は夜に沼地へと入りますが、一部だけ表に出ています。ですから、もしジョンという村人が生きているなら、その場所しか有り得ません」
ゆっくりと話をしているが、そう断定するリリンの目には、一寸の迷いもなかった。
レティシアは検分するようにリリンの目を見ていたが、やがて頷きながら立ち上がった。
「わかった。使い魔での捜索は、リリンに任せる。我々は、囮となっているキャットたちを支援するぞ」
「――はい」
木に繋いでいる騎馬へと向かうレティシアに付き従って、セラも歩き出した。
*
――リリンたちは、もうレティシアのところに戻っただろうか。
空の上で、俺はそんなことを考えた。
ドラゴンとなった瑠胡の背に乗って、空を移動し始めてから、もう一時間くらいは経っているだろう。一つ目の山は、もう越えた。もうじき、二つ目の山の中腹に差し掛かろうとしているところだ。
ドラゴンとなった瑠胡の両翼にある、翼手の部分や翼膜との境目から、魔力のものらしい光が明滅していた。
聞けばドラゴンに限らず、キマイラなどの魔物たちは、魔力を利用して空を飛んでいるらしい。原理としては、まあひと言でいえば《スキル》みたいなものだ。
魔力を浮力に変換して飛ぶ――ということらしい。
『そうでなければ、巨体で空は飛べる筈がない』
と、いうことらしい。よくはわからないけど。
そんなことを思い出していると、ドラゴンとなった瑠胡の頭部が、僅かに背中にいる俺へと向けられた。
〝少し高度を下げるぞ。風の流れが激しくなるでの。妾にしっかりと捕まっておれ〟
「えっと……こうですか?」
俺は抱きつくように、瑠胡の首元に手を廻した。
こんなものか――と思ったんだけど、瑠胡は先ほどより少し上擦れをした声で告げてきた。
〝もっと強くしがみつくがよい。振り落とされたら、地面まで真っ逆さまになるでな〟
「は、はい」
俺が腕の力を少し強めると、背後から振動が伝わってきた。何ごとかと振り返ったら、さっきまでは真っ直ぐに伸びてきた尻尾が、ブンブンと左右に揺れていた。
「えっと、姫様! 尻尾を左右に振るのって、なにか意味があるんですか!?」
〝尻尾……妾は、なにもやってはおらぬぞ?〟
「いや、でも――」
〝なにもやっておらぬぞ?〟
……えっと、はい。
俺が追求を諦めたとき、二つ目の山を越えた。西南の方角に少し大きめの街がすっぽりと入るような、大きな湖が見えてきた。
「あれが、アララカン湖です。神殿があるみたいですけど――」
〝それなら、もう見つけておる〟
ドラゴンの瞳は、鷹並みの視力を持っているようだ。
大きく旋回するように、瑠胡はアララカン湖へ向けて下降を始めた。強くなっていく風圧に耐えていると、今度は身体が瑠胡の背に押さえつけられるような圧力がかかった。
ズン……と瑠胡は湖畔に着地した。周囲は木々に囲まれ、頻繁に人が訪れているような雰囲気ではない。
ここは村や街から、そこそこに離れている。立ち寄るのは、水を求める旅人や交易商くらいかもしれない。
海岸のような砂地と森の境目は、はっきりと分かれている。それは砂地が手の平くらい低い位置にあるからで、反対側に森が無ければ、海と見間違えそうな景色となっていた。
そんな湖畔には似つかわしくない、石造りの人工物があった。
人工物は、一片が数マーロン(一マーロンは約一メートル二五センチ)、高さは三マーロン(約三メートル七五センチ)ほど。
四方の柱と三角屋根しかない、神殿のような建物だ。その中央には苔の生えた、高さ一マーロンほどの女神像が鎮座していた。
「ここが、神殿なんでですか?」
〝そのようだ。さて、どうのようにして鬼神と会えばいいのやら〟
瑠胡がドラゴンの頭部を神殿に近づけたとき、俺は柱の裏に高さが一マーロンより少し大きめの板が、立てかけてあるのを見つけた。
「なにか書いてありますね」
板を瑠胡にも見える場所に移動した俺は、表面に刻まれた文字を読み始めた。
『混乱を司る鬼神ダグリヌスの神殿にようこそ。
ただ今ね、あたしの可愛いマーガレットちゃんが行方不明なの。マーガレットちゃんというのは、あたしのペットちゃんなんだけど、ちょっと散歩と思ってこっちの世界に連れてきちゃったら、ちょっと目を離した隙にどこかへ行っちゃって。だって、急に小鳥が囀りだしたら、驚いて、なになになにって、キョロキョロしちゃうなじゃい? あたし、どうしようって悩んじゃって。ふと気がついたら、マーガレットちゃんがいなくなってたの。それでまた、あたしはどうしたらいいか(以下三〇行ほど、意味が無いので省略)
あれ? そういえばなにが言いたかったんだっけ? ああ、もう、わけがわからなくなっちゃった。急ぎの御用があれば、この世界のどこかにいるから探して!』
とりあえず全部、読んだけど……なに、これ?
呆れとか時間の無駄とか、そういったのを超越して、ただただ怒りしか沸いてこないんだけど。
俺は腰の剣に手を伸ばすと、板を睨み付けながら、背後にいる瑠胡に訊いた。
「姫様。なんかむかつくので、この板を叩き切っていいですかね?」
〝構わぬ。鬼神が文句を言おうとも、妾が許す〟
どうやら、瑠胡も同じ意見だったようである。
俺が問答無用で板を叩き斬った横で、瑠胡は独特の旋律を持つ声で吼えていた。
「すごい怒ってますね」
〝いや――これは、軽い脅し文句を告げたまでのこと。探し廻るなど阿呆なことなどせずとも、向こうから来させればよいだけだ〟
瑠胡の発言のすべてを理解したわけじゃないけど、探し廻る手間がなくなるのは、とても有り難い。
俺は意味がわからないなりに、瑠胡に頷くことにした。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます。
わたなべ ゆたか です。
火曜日アップ予定と言っておきながら、月曜日に書き上げた今回です。
原因は二つほどありまして。
一つ目は、日曜日に『古物商に転生~』のプロットを作っていたのですが、夜になって疲労度が増してきまして。
気分転換も兼ねて本作を書いてみたら、一時間で1300文字を超えました。
二つ目は、海の日の今日は仕事だったんですが、ウマ娘とか入ってるタブレットを会社に忘れてきました。
上記の理由によって、月曜日に書き終えた次第です。
以上、言い訳のコーナーでした。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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