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第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』
二章-7
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洞穴から出ると、目の前に《白翼騎士団》の馬車が停まっていた。最近になって御者台が白く塗られた一台だが、幌は使い込まれていて、所々に繕ったあとがある。
まだ昼を少し過ぎたところだろうか、ほぼ真上から降り注ぐ暖かな木漏れ日の中、見張りなのか女従者の一人が、長剣の柄に手を添えながら周囲を警戒していた。
瑠胡は洞穴を出ると、その馬車の後方へと向かい始めた。木々がまばらになり、少し開けた場所に出ると、瑠胡は俺たちに止まるように手で制した。
「しばし、そこで待て」
立ち止まった俺たちから少し離れると、瑠胡は振り返った。
目を閉じた瑠胡から、虹色の光が溢れ、帯のように全身を覆っていく。瑠胡を中心に吹き荒れる突風で舞い上がる砂埃に、俺たちが腕で顔を覆った。
突風が収まったとき、瑠胡が居た場所には艶やかな緑の鱗を持つ、巨大なドラゴンが鎮座していた。
〝どうだ? 妾に乗って行けば、国を横断するのも一日かからぬぞ〟
「ああ、なるほど」
正直に言って……瑠胡がドラゴンだったことを、ちょっと忘れかけていた。確かに飛んで行けたら、アレレカン湖まで一、二時間で行けるかもしれない。
天竜族だっけ……まさかドラゴンの姫様が俺を乗せて飛んでくれると、自分から言ってくれるとは思わなかった。
礼を言おうと瑠胡に近づこうとした俺の耳に、ドサッという音が聞こえてきた。
「あ、ああ……ど、ド、ド、ドラゴン……!?」
腰を抜かしたように、フレッドは地面に尻餅をついた。初見ではないリリンでさえ、顔に緊張の色が窺える。
俺はドラゴンの姿になった瑠胡を見ても、不思議と恐怖心が沸いてこなかった。
ドラゴンが、瑠胡だってわかっているから……かもしれない。外見なんか問題じゃなくて、瑠胡だから安心というのは、我ながら彼女を信頼しすぎだと思う。
そんな自分が妙に可笑しくて、俺は忍び笑いを浮かべていた。
〝どうした?〟
「あ、いえ……前のときと違って、あまり怖くないって思って」
問われたから、素直に答えたわけだけど……瑠胡は目をなんども瞬かせながら、俺に顔を寄せてきた。
〝怖……かったのか?〟
「あ、いや……最初のときは、流石に。なんせ、いきなりドラゴンでしたからね。ビックリとかを通り越して、血の気が引きましたよ」
〝血の気が引く……〟
どこか、瑠胡の声が小さくなった気がするけど……気のせいかな?
俺は少し考えたけど……質問には嘘を混ぜることなく、素直に答えたし。怒らせるようなことはしてないと思うんだけど。
……まあ、深く悩んでいる余裕はない。
俺は瑠胡の胴体に近寄ると、そっと肩のところに手を添えた。
「俺が乗っちゃっていいんですか?」
念のため、確認しようと声をかけたんだけど……瑠胡は巨体を揺らしながら、俺の手から僅かに遠ざかった。
戸惑う俺の前で、瑠胡は見る間に人間の姿へと戻ってしまった。
「えっと……姫様、どうしたんです?」
俺が首を傾げていると、瑠胡はむくれたような、上目遣いの顔を向けてきた。
「……気が変わった。やはり馬車で行くとしよう」
「ちょ……ちょっと、待って下さい。どうしてですか?」
いきなりのことで、俺は気が動転してしまった。
けれど正直、移動手段なんかより、瑠胡の機嫌を損ねたんじゃないか――ということのほうに気を取られていた。
見るからに慌てていただろう俺の問いに、瑠胡は形の良い唇を少し尖らせながら、僅かに首を背けて、何ごとかを呟いた。
「怖いなどと言われたら、ドラゴンに変化したくなくなるではないか……」
「なにか言いました?」
「……気にするでない。大したことではない」
プイッとそっぽを向いた瑠胡の横顔を見るに、大したことじゃないという雰囲気でもなかった。
というより……もしかして、拗ねてる?
なんだろう、俺がドラゴンの姿でも怖くないって発言が、気に触ったんだろうか。なにせ、ドラゴンというのは魔物の中でも最上級の存在だ。
それを〝怖くない〟と言われて、気を悪くした……のかな?
「あ、あの……ですね。ドラゴンの姿が怖くないってわけじゃなくて。正体が姫様だから、怖くないというか……ええっと、どんな姿でも姫様だから安心できるって意味でして。だから、ドラゴンの姿に威厳や迫力がないとか、そういう意味じゃありませんから」
プイッ。
俺の謝罪も虚しく、瑠胡はさらに顔を背けてしまった。
恥ずかしながら、今まで異性との関わりなんてほとんどなかったから。こういうとき、どういう対応が正解なのか、まったくわからない。
リリンから貰った〈計算能力〉の《スキル》でも、俺の経験が少な過ぎるのか、最適解が出てこない。
かくなる上は……正攻法しか、できることはない。
そんなわけで、俺は瑠胡に対して誠心誠意、説明と謝罪を繰り返すこととなった。
*
ランドと瑠胡が二人で騒いでいる光景を、フレッドは半目だが冷静に眺めていた。それもしばらくすると、心から呆れたような、大きな溜息に変わった。
同様にランドたちを見ていたリリンが振り向くと、地面に腰を降ろしたまま、フレッドは再び溜息を吐いた。
「そういえば、キャットさんが『あの二人は、隙あらばイチャイチャとするんだけど』ってぼやいてましたっけ。その気持ちが、わかった気がします」
「あれは、イチャついているというのでしょうか?」
「言うと思います。言っちゃっていいんじゃないですか?」
本当に恋人同士じゃないんですか、あれ。
そんな言葉を飲み込んだフレッドに、リリンは澄まし顔で応じた。
「……仲が良いことは、悪いことではないから」
よく見れば、必死なランドとは対象的に、瑠胡はどことなく楽しげだ。きっと、ランドがこれほどまでに関わってくるのが、嬉しいのだろう。
――その調子。お兄さんとお姉さんには、仲良くしてて欲しいから。
リリンはそんなことを思いながら、ランドと瑠胡のやりとりへと目を戻した。
それから十数分後――ようやくドラゴンになった瑠胡が、ランドを背に乗せて飛び立っていった。
リリンはそれを見送ってから、フレッドと女従者に出立を指示した。
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