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第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』
二章-6
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リリンが洞穴に入ったのは、ランドが行方不明になってから三日目の昼過ぎだった。
松明を持つフレッドを先頭に、包みを片手に抱えたリリンは、杖をつきながら暗い洞穴を進んでいた。
洞穴を覆っていた粘液は、そのほとんどが蒸発しており、滑ることなく歩くことができた。
やがて洞穴の最深部が近づいて来たころ、騎士団が貸し出した椅子に腰掛けた瑠胡の姿が、リリンの目にぼんやりと見え始めた。
リリンは一礼をしてから、瑠胡に声をかけた。
「瑠胡姫様、御食事をお持ちしました」
「……すまぬな」
地面に点けないよう、長い袖を膝の上に乗せている瑠胡は、三日前と比べて表情が暗かった。
できることは、もうやり尽くした――そんな顔だ。
受け取った包みを開けようともしない瑠胡に、リリンは壁を一瞥してから目線を合わせた。
「ランドさん……早く戻ってくるといいですね」
「すぐには、戻って来られぬかもしれぬな。今回のこと……神域の子細を説明せなんだ、妾の責任であろう」
「そんなこと……」
ありません――と、リリンが言う前に、松明を持ったフレッドが瑠胡の前に跪いた。
「姫様、そんな暗い顔をしないで下さい。ランドさんがいなくなった隙間を埋める役目は、このフレッドにお任せ下さ――」
すべての言葉を言い終える前に、リリンは杖の先端でフレッドの後頭部を殴打した。
「そういう余計な言動は慎めと、レティシア団長に言われていますよね」
「そ……そうです、が」
後頭部を両手で押さえながら、フレッドは涙ながらに応えた。
瑠胡は二人のやり取りから目を逸らして、最深部にある壁へと目を向けた。壁にある男を表す印から、青白い光が溢れだしたのは、そんなときだ。
瑠胡が腰を僅かに浮かした直後、光が洞穴内を包み込んだ。
*
娯楽を司る鬼神、アクラハイルの作りだした光球に飛び込んだ途端、俺は目眩に襲われた。頭の芯が痺れるように思考が混濁し、軽い吐き気がこみ上げてくる。
光の中から視界が一気に暗くなり、視界に映るのは微かな光点だけだ。
「ここ……どこだ?」
俺が暗闇に慣れない目を凝らしていると、衣擦れの音が近づいて来た。
「ランド、御主……無事であったか」
「ランド……誰?」
まだ頭の芯が鈍くて、告げられた名前のことや声の主のことが、わからなかった。
視界が暗闇に慣れてきた――と思った直後に俺は、なにか軽いもので頭を叩かれた。
「しっかりとせよ。ランド、向こうでなにを見た。なにがあった?」
「えっと……あ、姫様……ここは?」
「件の洞穴だ。鬼神の神域に囚われよって……もう三日も経ってしまったぞ」
「ああ、そうか。俺は、アクラハイルという鬼神のところに行ってて」
瑠胡の言葉で、俺は記憶を蘇らせた。
小さな手が俺の右袖を掴むのが解って、俺はまた叩かれるのではないかと身構えたけど……想像していた一撃は来なかった。
その代わり、瑠胡が僅かに身体を寄せてきて、俺の右腕に頭を当てた。
「あまり、心配させるでない。戻って来ぬのではと思うたぞ」
「すいません。ちょっと色々とありまして。でも、情報も手に入りましたよ」
瑠胡と話をしていると、松明の灯りが近づいて来た。
視線を向けると、松明の横にいたリリンが泣き笑いのような顔で会釈をしてきた。そして、松明が勢いよく近づいて来た。
「ランドさぁぁぁん!」
フレッドがかなり大袈裟な身振りで、俺に近づいて来た。
「みんなが冷たいんです! ランドさん、みんなに僕を優しくするよう、言って――」
リリンが無言で、俺に駆け寄っていたフレッドの後頭部を杖で殴りつけた。
フレッドが後頭部を手で押さえながら蹲ると、リリンが「邪魔をしてはダメです」と、いつになく辛辣に言い放った。
「えっと、さすがにやりすぎなんじゃ」
「いや。この者に対しては、これで丁度いいようだぞ?」
「はい。姫様の言うとおりです。隙あらば、女の子たちを口説くんですから。さっきも瑠胡姫様に――」
「あ、リリンさん……それ以上は勘弁して下さい」
フレッドが慌ててリリンに頭を下げたが……こいつ、そんなことをしてやがったか。
俺はとりあえずフレッドのことを無視して、アクラハイルから聞いたことを瑠胡とリリンに話した。
「ふむ……ジョンとやらの行方と、あの巨大ワームとが繋がっておったとはな」
「俺が見せられた過去の……なんて言えばいいんでしょうね。幻影みたいなやつが、事実なら、ですけど」
「アクラハイルは普段は戯れている発言が多いが、欺くようなことはせぬ――と、聞いておる。その過去視は、事実であろうな」
「わたしはレティシア団長に、このことを伝えてきます。対策や方針も変わるでしょうし、ジョンさんが囚われている場所も確認しなければ」
「ああ……頼むよ」
俺が頷くと、リリンは頷き返してきた。
ジョンさんの――安否も含めた確認は、リリンたちに任せて大丈夫だろう。そうなると、問題はもう一つのほうだ。
「あとは、タグリヌスって鬼神ですね。アレレカン湖の畔って……ここからじゃ、かなりの距離があるか」
「そうですね。騎士団の馬車ですと、急いでも丸一日はかかるかと」
「だよな。往復で二日……時間はかかるが、行くしかねぇわけだ。そのあいだ、悪いけどレティシアたちには、時間を稼いで貰わないと」
俺の溜息に、リリンは困ったように少しだけ首を下に傾けた。
あの巨大ワームを村から遠ざけるために、騎士団がかなりの苦労をしていると言っていたからなぁ。
あれと毎日、追いかけっこをしているということらしい。それを思うと、クロースたちへの同情を禁じ得ない。
ちょい苦手だけど、巻き込まれて囮役になっている沙羅にも、ほんのちょっぴりは同情をしている。
そんなとき、フレッドが申し訳なさそうな声を出した。
「外に待たせてある馬車は、食料などの補給物資が乗っているので、お貸しすることはできません。荷下ろしをしたら、すぐに戻って来ますが……早くても明朝の出発になるでしょう」
「……それなら、一緒に騎士団のところまで行ったほうがいい。それなら、今晩にでも出発できる」
リリンも同じ考えだったらしく、俺に同調するように頷いた。
それなら急いで馬車に戻ろうとリリンが促したとき、瑠胡が俺の袖を引っ張った。
「待て、ランド。馬車などより、早く湖へ行く手段があるぞ?」
「え? 本当ですか、姫様」
目を丸くする俺に、朧気な松明の光に照らされた瑠胡は笑みを浮かべた。
「無論だとも。まったく……肝心なことを忘れておるな? 御主のために、妾が一肌脱いでやるとしよう。ではランド、行くぞ?」
得意げな雰囲気を醸し出しながら、瑠胡は手を差し出してきた。
その意図を察した俺は、瑠胡の手をとってから、出口へと歩き始めた。普段は俺の手に触れているだけなのに、今は少し強めに掴んできていた。
俺は胸の奥と顔が熱くなるのを感じながら、回りに気取られないように深呼吸を繰り返した。
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