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第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』
一章-5
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河原まで戻った俺たちは、日が暮れるまで休憩を取ることにした。
岩や馬車に積んであったテーブルや椅子を並べて、お茶を飲んだりしているわけなんだが……こんな、調度類なんか持参するために、馬車が必要だったのか。
無駄な荷物とは思うけど、レティシアなりに瑠胡のことを気にかけたのかも知れない――と、好意的に思うことにしよう。
陶器のティーカップに満たされたお茶を一口飲んでから、瑠胡は俺たちの疑問に答え始めた。
「神域と聖域の違いは、さほどあるわけではない。強いて挙げれば、神気などにより浄化された場所が聖域、神の魂がおわす場所が神域、ということかのぅ」
「神の魂……それって、神が鎮座してるってこと?」
目を丸くするキャットに、瑠胡は静かに首を振った。
「そうではない。神の魂というのは、妾たちの解釈でな。お主らの言葉への言い換えが難しい。そうよのう……神が意識を伸ばしておる場所。神に直接、語りかけられる場所と言えば理解できるか?」
瑠胡の説明を訊いても、キャットの顔から不理解の色は拭えなかった。
しかし、しばらく視線を彷徨わせたあと、諦めたように肩を竦めた。
「言葉としての違いはわかったわ。意味はあんまりですけど」
「まあ、それも仕方あるまい。言葉が正確に理解できねば、本来の意味は伝わらぬ」
そう言われてしまうと、話は終わってしまうわけだが。俺は少し考えてから、自分なりに意味を噛み砕いてみた。
「要するに、神様がより近い場所ってことですか?」
「ほお……そのような認識でも構わぬ。それも、なんだったか……〈計算能力〉によるものか?」
「そうかも知れませんね。なんとなく、そう思ったので」
俺が肩を竦めると、瑠胡はなにが楽しいのか、柔和な笑みを見せた。俺はそう返すのが正しいのかわからなかったけど、とりあえず微笑み返すことにした。
瑠胡は扇子で口元を隠してから、神域についての説明を再開した。
「あの図だけでは、本来の意味は掴みきれぬが。夜を示す月と男を示す図が刻まれておった。あれは、神の魂と交信するのに、最適な条件を記しておるのかもしれぬ。あれ以外に、文字なども刻まれておったのかもしれぬが、あの様子では土砂に埋まってしもうたのだろう」
「なるほど。それで、夜まで待つんですね」
お茶を啜っていたユーキが、おっとりと言葉を継いだ。
女従者もお茶を飲んでいるけど、普通では、ありえない光景――のはずだ。レティシアはある程度、彼女たちを自由にさせているようだ。
そういう雰囲気だから、フレッドが割を食っているのか……なるほど。
神域――洞穴の中のことを反芻していた俺は、頭の中に一つの可能性が浮かんできた。
「姫様。その神様が、ジョンさんを連れ去ったんじゃないですか? 伝承なんかでは、そういう話もありますし」
「可能性がないとは言えぬが。ただ、あの場所に残っていた気配は、悪いものではない。悪戯に人間を攫ったりはせぬと思うが……」
瑠胡は形の良い顎に手を添えて、なにかを思い出しているような顔をした。
そんな瑠胡の様子に、キャットは腕を組んだ。
「神域とか言ってますけど。あの場所では、どんな神様を奉っているんです?」
「すまぬが、妾にもそこまでわからぬ。だが、先ほど悪いものではないと言ったが、神にも気まぐれなものがおってな。気に入ったものを連れ去って、愛玩する場合もある」
「愛玩って……ジョンって、そんなに良い男なわけ?」
「頭が薄くなり始めてる、小太りのおっさんだけど……良い男かどうかは趣味次第じゃないか?」
俺がジョンさんについて教えると、キャットは露骨に顔を顰めた。
「愛玩は……ないんじゃない?」
「いや、色々な趣味の人がいるからな。神だって、ジョンさんみたいな人が好みの可能性はあるだろ」
とはいえ。俺だって愛玩のために連れ去られた可能性は、低いって思ってる。
「まあ、そこらへんは夜になってからでいいだろ? 神域で神様と接触できないと、わからないんだしさ」
俺がキャットの追求を窘めると、それで神域についての話題は終わった。
洞穴の粘液とか、心配事は尽きないけど……とりあえず、夜までが暇だ。どうやって時間を潰そうかと、欠伸を噛み殺しながら考え始めていた。
そのとき、ユーキがやけに感心した声で瑠胡に話しかけた。
「お姫様は、神様にも詳しいんですか?」
「……そうでもなかろう。この程度のことなど、妾たちにとっては自慢にもならぬ」
瑠胡はそう言うけど、少なくとも王都では一般に知られていない知識だ。
天竜族――だっけ。彼らの持つ知識に、俺は感服していた。
「いやでも、凄い知識だと思いますよ。姫様は博識なんですね」
俺の言葉に、ピクッと少し目を見開いた瑠胡は、扇子で口元を隠した。
「ふふん。そうであろう。我らが天竜――族は、この手の知識も多く伝わっておるしの」
「そうなんですか? 俺も色々な本は読みますけど、神域なんて初めて聞きましたよ。ほかにも、そういった場所とかあるんですか?」
「そうかそうか。興味があるなら今度、魔術と一緒にその辺りも教えてやってもよいぞ」
「本当ですか? あ、ちょっと気になりますね、それ。是非、お願いします」
「ふふん。そうかそうか」
どこか声の弾んだ瑠胡は、しばらく目を細めていた。
けど、俺が頭の中で神域についての考察をしていると、瑠胡は少しだけ上目遣いになった。
「ランド」
「なんです、姫様?」
「……もっと、褒めても良いのだぞ?」
予想外の言葉に、俺は苦笑してしまった。
瑠胡は以外と、褒められ慣れていないのかもしれない。まあ、なんだ。瑠胡からの要望とあらば、俺もやぶさかではない。
ユーキや女従者が声援を送ってくる中、俺は瑠胡の持っている知識について褒め千切った。
ただキャットだけは、「やってらんない」と言わんばかりに、馬車の荷台に入ってしまった。
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