屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです

わたなべ ゆたか

文字の大きさ
上 下
21 / 276
屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです

三章-3

しおりを挟む

   3

 鏡の前にいる瑠胡は、小指の先につけた桃色の紅で唇を薄く染めた。それから何度も、鏡の前で唇の様子を確かめた。


「……うむ」


 仕上がりに満足すると、瑠胡は紅が塗られた貝殻を閉じ、棚の引き出しへと片付けた。
 普段よりも僅かに呼吸が浅く、早い。唇を紅で染めるくらい、なんでもないことのずだった。しかし、今の瑠胡は表情を固くしていた。
 胸の中にあるのは、期待と希望、そして不安だ。
 慣れぬ緊張感にからの戸惑いを、瑠胡は持ち前の負けん気で打ち消した。


「……よし」


 自分に気合いを入れるように呟くと、瑠胡は魔術書をベッドの上に運び出した。

   *

 夕食のあと、俺は誘われるままに瑠胡の部屋に入った。
 とはいえ、色っぽい展開が待っているわけではなく、昼間に話をしていた魔術の修行のためってだけだ。
 机なんてものは、瑠胡の部屋にはない。
 前もって言われていた、水の入った桶を床に置いた俺に、瑠胡はベッドに腰掛けるよう促してきた。

 ……なんか、ちょっと恥ずかしい。

 俺は少し躊躇いながら、瑠胡の左横に腰を降ろした。
 そのとき、俺は瑠胡の唇の色が変わっていることに気づいた。なんだろう、少し大人びてるというか……元々が綺麗な顔立ちだけど、僅かに色香が出ているというか。
 そんなことを思いながら眺めていると、瑠胡は少し上目遣いに訊いてきた。


「どうした……なにかあったか?」


「あ、いやですね。唇……あ、口紅ですか?」


 瑠胡の変化の正体に気づいた俺に、瑠胡は微笑んだ。


「左様。すぐに気づくとは思わなんだぞ? よく見ておるのう」


「ああ、まあ……」


 微笑む瑠胡に、俺は思わず息を呑んでいた。本人も気づいていないのか、やや頬に朱が差した瑠胡の表情に、俺は目を奪われかけていた。
 不意に沈黙が降りた中、瑠胡は何かを待つように、ジッと上目遣いで俺を見ていた。
 俺は……柄にもなく緊張していた。こういう展開に不慣れなためか、どうしても冷静に対処しきれない。


「えっと、似合ってると思いますよ。なんか、大人びたっていうか」


「……世辞なら要らぬぞ?」


「あ、いや、お世辞とかじゃないです。かなり本気の意見で……ええっと」


 いかん、少し本音を言いすぎた――と思った俺は、慌てて口を噤んだ。いつもとは違う瑠胡に見惚れて、普段よりも踏み込んだことを言ってしまった。
 一定の距離を保つように、気をつけないと……と自戒したが、まだ熱が胸の奥に残っている。
 少ししどろもどろになった俺を見て、瑠胡は扇子というもので口元を隠した。


「ほう、そうかそうか。その言葉は素直に受け取っておくとして、魔術の講義を始めるとしよう」


 魔術書を開いた瑠胡は、複雑な文字の書かれた紙面を指先でなぞった。


「我ら天竜族に伝わる魔術にはな、大きく二種類の魔術がある。一つは四大精霊の魔術。これはお主らの魔術師も使うのだろう? そしてもう一つは、光の魔術。妾がお主らに使った魔術は、その光の魔術の一つだな」


「四大精霊の魔術は、人間の魔術と同じものですか?」


 俺の問いに、瑠胡は顔を上げながら答えた。


「妾も人間の魔術はわからぬが、恐らく細部は異なるであろうな。例えば……お主、妾から奪った魔術の中で、氷結系の魔術はどれかわかるか?」


「えっと……はい。多分ですけど」


「ふむ……ならば、あの桶の水を凍らせてみよ」


「はい……ええっと」


 俺は頭の中に刻まれたものを思い出しながら、呪文の一つを選んだ。
 選んだのは、氷結の霧――この地方の言葉に翻訳すると、そういう意味の魔術だ。魔術の威力は、俺の意志で調整できる。
 最弱――かどうかはわからないけど、俺の手の平から霧状の冷気が噴射された。冷気の霧は桶や周囲の床を白く染めながら、水を凍らせていく。


「えっと……こんな感じですか?」


「ふむ……悪くはないが、周囲まで凍らせておるな。光を放つ、氷結系の魔術があると思うたが。それでやってみよ」


「えっと……はい」


 言われるとおりに呪文を選ぶと、今度は俺の指先から白い光が放たれた。光を受けた桶の水面――少し凍ってはいたけど――は、ほぼ瞬時に凍っていった。
 凍った水面を見た瑠胡は、俺の指先を注視した。


「なるほどのぉ。お主は魔術を知った状態ではあるが、効果の詳細までは知らぬのだな」


「まあ、そんな感じです」


 俺が素直に認めると、瑠胡は尊大に――しかし、口元には笑みを浮かべながら頷いた。


「よかろう。それでは妾が一つずつ、説明をしてやろうかの」


「えっと……今晩でそれを?」


「阿呆。それほど単純なことではないわ。日に……一つか二つが精々だろうて」


 どこか声に楽しげな雰囲気を滲ませながら、瑠胡は魔術書を捲った。
 かなりのページを進んでから、瑠胡は紙面に書かれた一文に指を添えた。


「今日は、先ほどやった二つの魔術から教えてやろう。氷結系は、水の精霊と思われがちではあるが、実のところ土の精霊の要素が大きい。氷なら水も関係があるが、基本は土で間違いがない」


「氷結の魔術って、水の精霊が重要だって思ってたけど、違うんですね」


 俺の質問に、瑠胡は魔術書を閉じてから答え始めた。


「人間の魔術がどういう定義かはわからぬが。妾たちは、土は固体や固定の状態と解釈しておる。冷気の魔術は、空間の状態を固体に近づけることにより、冷気を生み出しておる。冬は寒くなるが、そこに水気は関係なかろう?」


「冬については、なんとなくわかりますけど……それ以外が、わかりにくいです」


 俺が小さく手を挙げると、瑠胡は「ふむ」と目を僅かに上に向けた。どうやら、考えるときの癖みたいだ。


「例えば、手を擦り合わせてみよ。暖かくなるであろう?」


「え? あ、はい。そうですね」


 俺が試しに左右の手の平を合わせて擦ると、擦ったところが暖かくなる。
 瑠胡はそれを見てから、ポンと手を叩いた。


「今度は、それを止めてみよ。徐々に暖かさが冷めていかぬか? その手が止まった状態が、固定の状態だと、我らは考えておる」


「ああ、なるほど。熱になるものを止めて冷やすってことですか」


「左様」


 瑠胡は短く答えると、たおやかに微笑んだ。こうしていると、本当に可愛いんだけど――じゃない。
 いや、それは本当だけど、それよりも気になることがある。


「でもこれ、人間の魔術とは違う理論……ってことですよね。そんなことを、俺に教えちゃっていいんですか?」


「構わぬ。だが、一つだけ約束をしておくれ。ほかの者には、このことを話さぬと」


「それはいいですけど……そんな約束だけで、いいんですか?」


「よい。しかし……そうよなぁ。ランド、小指を出しておくれ?」


 俺は、請われるままに小指を出した。すると瑠胡は、自分の小指を俺の小指に絡めてきた。なんていうか、ちょっと恥ずかしいんだけど、これ……。
 照れていることに気づいたのか、瑠胡は少し上目遣いに俺を見た。


「照れずともよいぞ? これは妾の故郷では、契約の印にすぎぬ。この場合は、二人だけの約束――という意味合いでしかないからの」


「あ……なる、ほど」


 なんとなくだけど、瑠胡の言葉は嘘じゃないと思った。
 されるがままに数秒ほど、小指を絡めたまま小刻みに手を揺らされていた。だけど瑠胡は、そのあとも絡めた小指に視線を注ぎながら、なにもしなかった。
 さすがにおかしいと思った俺は、瑠胡に声をかけることにした。


「あの……姫様?」


 ビクッと顔を上げた瑠胡は、どこか躊躇いながら小指を放した。


「これで、契約は結ばれた。嘘つきにするな――あの言葉、信じさせてもらうぞ?」


「え――ああ、はい。約束は守ります」


 俺が拳を握ると、瑠胡はやや俯き加減に頷いた。
 また勉強を再開するかと思っていたけど、瑠胡の口から出たのは、俺の予想とは違っていた。


「今宵は、ここまでにしよう。お主も……慣れぬことで疲れたであろうしな」


「え? ああ……そうですね。そうしましょうか」


 どこか様子がおかしいと思ったけど、とりあえず深くは追求するのを止めた。
 まだ餓鬼のころ、近所の女の子にしつこく聞き続けたら、「変態」って言われたことがあるからなぁ。月一のことなんて、知らなかったし。事故みたいなものだと……いや、これ以上のことを思い出すのは止めよう。
 霜のついた桶を持って部屋を出ようとしたとき、瑠胡が俺を呼び止めた。


「……あとで、一勝負しにいくからの。準備して待っておれ」


「あ、またカードの勝負ですか。いいですけど……手加減しますか?」


 あの初戦以来、俺と瑠胡はカードの勝負を続けている。
 今のところ、俺の全勝だ。さすがに申し訳なくなって、何度か手加減を申し出たんだけど、瑠胡は頑なに断り続けている。


「いらぬ。対等の勝負で勝たねば、意味が無いではないか」


 そして今回も、今までと同じ答えが返ってきた。
 俺は「わかりました」とだけ答えて、瑠胡の部屋を出て行った。



 一人部屋に残った瑠胡は、荒くなった息を整えていた。
 ランドの小指と絡めていた、自分の小指をジッと眺めていた瑠胡は、ほう、と吐息をついた。
 そして躊躇いがちに小指を逆の手で包み込むと、まるで抱きしめるように胸元へと押し当てた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

明日を信じて生きていきます~異世界に転生した俺はのんびり暮らします~

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生した主人公は、新たな冒険が待っていることを知りながらも、のんびりとした暮らしを選ぶことに決めました。 彼は明日を信じて、異世界での新しい生活を楽しむ決意を固めました。 最初の仲間たちと共に、未知の地での平穏な冒険が繰り広げられます。 一種の童話感覚で物語は語られます。 童話小説を読む感じで一読頂けると幸いです

最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます

わたなべ ゆたか
ファンタジー
高校一年の音無厚使は、夏休みに叔父の手伝いでキッチンカーのバイトをしていた。バイトで隠岐へと渡る途中、同級生の板林精香と出会う。隠岐まで同じ船に乗り合わせた二人だったが、突然に船が沈没し、暗い海の底へと沈んでしまう。 一七年後。異世界への転生を果たした厚使は、クラネス・カーターという名の青年として生きていた。《音声使い》の《力》を得ていたが、危険な仕事から遠ざかるように、ラオンという国で隊商を率いていた。自身も厨房馬車(キッチンカー)で屋台染みた商売をしていたが、とある村でアリオナという少女と出会う。クラネスは家族から蔑まれていたアリオナが、妙に気になってしまい――。異世界転生チート物、ボーイミーツガール風味でお届けします。よろしくお願い致します! 大賞が終わるまでは、後書きなしでアップします。

転生前のチュートリアルで異世界最強になりました。 準備し過ぎて第二の人生はイージーモードです!

小川悟
ファンタジー
いじめやパワハラなどの理不尽な人生から、現実逃避するように寝る間を惜しんでゲーム三昧に明け暮れた33歳の男がある日死んでしまう。 しかし異世界転生の候補に選ばれたが、チートはくれないと転生の案内女性に言われる。 チートの代わりに異世界転生の為の研修施設で3ヶ月の研修が受けられるという。 研修施設はスキルの取得が比較的簡単に取得できると言われるが、3ヶ月という短期間で何が出来るのか……。 ボーナススキルで鑑定とアイテムボックスを貰い、適性の設定を始めると時間がないと、研修施設に放り込まれてしまう。 新たな人生を生き残るため、3ヶ月必死に研修施設で訓練に明け暮れる。 しかし3ヶ月を過ぎても、1年が過ぎても、10年過ぎても転生されない。 もしかしてゲームやりすぎで死んだ為の無間地獄かもと不安になりながらも、必死に訓練に励んでいた。 実は案内女性の手違いで、転生手続きがされていないとは思いもしなかった。 結局、研修が15年過ぎた頃、不意に転生の案内が来る。 すでにエンシェントドラゴンを倒すほどのチート野郎になっていた男は、異世界を普通に楽しむことに全力を尽くす。 主人公は優柔不断で出て来るキャラは問題児が多いです。

異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。

久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。 事故は、予想外に起こる。 そして、異世界転移? 転生も。 気がつけば、見たことのない森。 「おーい」 と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。 その時どう行動するのか。 また、その先は……。 初期は、サバイバル。 その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。 有名になって、王都へ。 日本人の常識で突き進む。 そんな感じで、進みます。 ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。 異世界側では、少し非常識かもしれない。 面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。

転生したらスキル転生って・・・!?

ノトア
ファンタジー
世界に危機が訪れて転生することに・・・。 〜あれ?ここは何処?〜 転生した場所は森の中・・・右も左も分からない状態ですが、天然?な女神にサポートされながらも何とか生きて行きます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初めて書くので、誤字脱字や違和感はご了承ください。

異世界キャンパー~無敵テントで気ままなキャンプ飯スローライフ?

夢・風魔
ファンタジー
仕事の疲れを癒すためにソロキャンを始めた神楽拓海。 気づけばキャンプグッズ一式と一緒に、見知らぬ森の中へ。 落ち着くためにキャンプ飯を作っていると、そこへ四人の老人が現れた。 彼らはこの世界の神。 キャンプ飯と、見知らぬ老人にも親切にするタクミを気に入った神々は、彼に加護を授ける。 ここに──伝説のドラゴンをもぶん殴れるテントを手に、伝説のドラゴンの牙すら通さない最強の肉体を得たキャンパーが誕生する。 「せっかく異世界に来たんなら、仕事のことも忘れて世界中をキャンプしまくろう!」

スマートシステムで異世界革命

小川悟
ファンタジー
/// 毎日19時に投稿する予定です。 /// ★☆★ システム開発の天才!異世界転移して魔法陣構築で生産チート! ★☆★ 新道亘《シンドウアタル》は、自分でも気が付かないうちにボッチ人生を歩み始めていた。 それならボッチ卒業の為に、現実世界のしがらみを全て捨て、新たな人生を歩もうとしたら、異世界女神と事故で現実世界のすべてを捨て、やり直すことになってしまった。 異世界に行くために、新たなスキルを神々と作ったら、とんでもなく生産チートなスキルが出来上がる。 スマフォのような便利なスキルで異世界に生産革命を起こします! 序章(全5話)異世界転移までの神々とのお話しです 第1章(全12話+1話)転生した場所での検証と訓練 第2章(全13話+1話)滞在先の街と出会い 第3章(全44話+4話)遺産活用と結婚 第4章(全17話)ダンジョン探索 第5章(執筆中)公的ギルド? ※第3章以降は少し内容が過激になってきます。 上記はあくまで予定です。 カクヨムでも投稿しています。

転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
ファンタジー
転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

処理中です...