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屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです

三章-3

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   3

 鏡の前にいる瑠胡は、小指の先につけた桃色の紅で唇を薄く染めた。それから何度も、鏡の前で唇の様子を確かめた。


「……うむ」


 仕上がりに満足すると、瑠胡は紅が塗られた貝殻を閉じ、棚の引き出しへと片付けた。
 普段よりも僅かに呼吸が浅く、早い。唇を紅で染めるくらい、なんでもないことのずだった。しかし、今の瑠胡は表情を固くしていた。
 胸の中にあるのは、期待と希望、そして不安だ。
 慣れぬ緊張感にからの戸惑いを、瑠胡は持ち前の負けん気で打ち消した。


「……よし」


 自分に気合いを入れるように呟くと、瑠胡は魔術書をベッドの上に運び出した。

   *

 夕食のあと、俺は誘われるままに瑠胡の部屋に入った。
 とはいえ、色っぽい展開が待っているわけではなく、昼間に話をしていた魔術の修行のためってだけだ。
 机なんてものは、瑠胡の部屋にはない。
 前もって言われていた、水の入った桶を床に置いた俺に、瑠胡はベッドに腰掛けるよう促してきた。

 ……なんか、ちょっと恥ずかしい。

 俺は少し躊躇いながら、瑠胡の左横に腰を降ろした。
 そのとき、俺は瑠胡の唇の色が変わっていることに気づいた。なんだろう、少し大人びてるというか……元々が綺麗な顔立ちだけど、僅かに色香が出ているというか。
 そんなことを思いながら眺めていると、瑠胡は少し上目遣いに訊いてきた。


「どうした……なにかあったか?」


「あ、いやですね。唇……あ、口紅ですか?」


 瑠胡の変化の正体に気づいた俺に、瑠胡は微笑んだ。


「左様。すぐに気づくとは思わなんだぞ? よく見ておるのう」


「ああ、まあ……」


 微笑む瑠胡に、俺は思わず息を呑んでいた。本人も気づいていないのか、やや頬に朱が差した瑠胡の表情に、俺は目を奪われかけていた。
 不意に沈黙が降りた中、瑠胡は何かを待つように、ジッと上目遣いで俺を見ていた。
 俺は……柄にもなく緊張していた。こういう展開に不慣れなためか、どうしても冷静に対処しきれない。


「えっと、似合ってると思いますよ。なんか、大人びたっていうか」


「……世辞なら要らぬぞ?」


「あ、いや、お世辞とかじゃないです。かなり本気の意見で……ええっと」


 いかん、少し本音を言いすぎた――と思った俺は、慌てて口を噤んだ。いつもとは違う瑠胡に見惚れて、普段よりも踏み込んだことを言ってしまった。
 一定の距離を保つように、気をつけないと……と自戒したが、まだ熱が胸の奥に残っている。
 少ししどろもどろになった俺を見て、瑠胡は扇子というもので口元を隠した。


「ほう、そうかそうか。その言葉は素直に受け取っておくとして、魔術の講義を始めるとしよう」


 魔術書を開いた瑠胡は、複雑な文字の書かれた紙面を指先でなぞった。


「我ら天竜族に伝わる魔術にはな、大きく二種類の魔術がある。一つは四大精霊の魔術。これはお主らの魔術師も使うのだろう? そしてもう一つは、光の魔術。妾がお主らに使った魔術は、その光の魔術の一つだな」


「四大精霊の魔術は、人間の魔術と同じものですか?」


 俺の問いに、瑠胡は顔を上げながら答えた。


「妾も人間の魔術はわからぬが、恐らく細部は異なるであろうな。例えば……お主、妾から奪った魔術の中で、氷結系の魔術はどれかわかるか?」


「えっと……はい。多分ですけど」


「ふむ……ならば、あの桶の水を凍らせてみよ」


「はい……ええっと」


 俺は頭の中に刻まれたものを思い出しながら、呪文の一つを選んだ。
 選んだのは、氷結の霧――この地方の言葉に翻訳すると、そういう意味の魔術だ。魔術の威力は、俺の意志で調整できる。
 最弱――かどうかはわからないけど、俺の手の平から霧状の冷気が噴射された。冷気の霧は桶や周囲の床を白く染めながら、水を凍らせていく。


「えっと……こんな感じですか?」


「ふむ……悪くはないが、周囲まで凍らせておるな。光を放つ、氷結系の魔術があると思うたが。それでやってみよ」


「えっと……はい」


 言われるとおりに呪文を選ぶと、今度は俺の指先から白い光が放たれた。光を受けた桶の水面――少し凍ってはいたけど――は、ほぼ瞬時に凍っていった。
 凍った水面を見た瑠胡は、俺の指先を注視した。


「なるほどのぉ。お主は魔術を知った状態ではあるが、効果の詳細までは知らぬのだな」


「まあ、そんな感じです」


 俺が素直に認めると、瑠胡は尊大に――しかし、口元には笑みを浮かべながら頷いた。


「よかろう。それでは妾が一つずつ、説明をしてやろうかの」


「えっと……今晩でそれを?」


「阿呆。それほど単純なことではないわ。日に……一つか二つが精々だろうて」


 どこか声に楽しげな雰囲気を滲ませながら、瑠胡は魔術書を捲った。
 かなりのページを進んでから、瑠胡は紙面に書かれた一文に指を添えた。


「今日は、先ほどやった二つの魔術から教えてやろう。氷結系は、水の精霊と思われがちではあるが、実のところ土の精霊の要素が大きい。氷なら水も関係があるが、基本は土で間違いがない」


「氷結の魔術って、水の精霊が重要だって思ってたけど、違うんですね」


 俺の質問に、瑠胡は魔術書を閉じてから答え始めた。


「人間の魔術がどういう定義かはわからぬが。妾たちは、土は固体や固定の状態と解釈しておる。冷気の魔術は、空間の状態を固体に近づけることにより、冷気を生み出しておる。冬は寒くなるが、そこに水気は関係なかろう?」


「冬については、なんとなくわかりますけど……それ以外が、わかりにくいです」


 俺が小さく手を挙げると、瑠胡は「ふむ」と目を僅かに上に向けた。どうやら、考えるときの癖みたいだ。


「例えば、手を擦り合わせてみよ。暖かくなるであろう?」


「え? あ、はい。そうですね」


 俺が試しに左右の手の平を合わせて擦ると、擦ったところが暖かくなる。
 瑠胡はそれを見てから、ポンと手を叩いた。


「今度は、それを止めてみよ。徐々に暖かさが冷めていかぬか? その手が止まった状態が、固定の状態だと、我らは考えておる」


「ああ、なるほど。熱になるものを止めて冷やすってことですか」


「左様」


 瑠胡は短く答えると、たおやかに微笑んだ。こうしていると、本当に可愛いんだけど――じゃない。
 いや、それは本当だけど、それよりも気になることがある。


「でもこれ、人間の魔術とは違う理論……ってことですよね。そんなことを、俺に教えちゃっていいんですか?」


「構わぬ。だが、一つだけ約束をしておくれ。ほかの者には、このことを話さぬと」


「それはいいですけど……そんな約束だけで、いいんですか?」


「よい。しかし……そうよなぁ。ランド、小指を出しておくれ?」


 俺は、請われるままに小指を出した。すると瑠胡は、自分の小指を俺の小指に絡めてきた。なんていうか、ちょっと恥ずかしいんだけど、これ……。
 照れていることに気づいたのか、瑠胡は少し上目遣いに俺を見た。


「照れずともよいぞ? これは妾の故郷では、契約の印にすぎぬ。この場合は、二人だけの約束――という意味合いでしかないからの」


「あ……なる、ほど」


 なんとなくだけど、瑠胡の言葉は嘘じゃないと思った。
 されるがままに数秒ほど、小指を絡めたまま小刻みに手を揺らされていた。だけど瑠胡は、そのあとも絡めた小指に視線を注ぎながら、なにもしなかった。
 さすがにおかしいと思った俺は、瑠胡に声をかけることにした。


「あの……姫様?」


 ビクッと顔を上げた瑠胡は、どこか躊躇いながら小指を放した。


「これで、契約は結ばれた。嘘つきにするな――あの言葉、信じさせてもらうぞ?」


「え――ああ、はい。約束は守ります」


 俺が拳を握ると、瑠胡はやや俯き加減に頷いた。
 また勉強を再開するかと思っていたけど、瑠胡の口から出たのは、俺の予想とは違っていた。


「今宵は、ここまでにしよう。お主も……慣れぬことで疲れたであろうしな」


「え? ああ……そうですね。そうしましょうか」


 どこか様子がおかしいと思ったけど、とりあえず深くは追求するのを止めた。
 まだ餓鬼のころ、近所の女の子にしつこく聞き続けたら、「変態」って言われたことがあるからなぁ。月一のことなんて、知らなかったし。事故みたいなものだと……いや、これ以上のことを思い出すのは止めよう。
 霜のついた桶を持って部屋を出ようとしたとき、瑠胡が俺を呼び止めた。


「……あとで、一勝負しにいくからの。準備して待っておれ」


「あ、またカードの勝負ですか。いいですけど……手加減しますか?」


 あの初戦以来、俺と瑠胡はカードの勝負を続けている。
 今のところ、俺の全勝だ。さすがに申し訳なくなって、何度か手加減を申し出たんだけど、瑠胡は頑なに断り続けている。


「いらぬ。対等の勝負で勝たねば、意味が無いではないか」


 そして今回も、今までと同じ答えが返ってきた。
 俺は「わかりました」とだけ答えて、瑠胡の部屋を出て行った。



 一人部屋に残った瑠胡は、荒くなった息を整えていた。
 ランドの小指と絡めていた、自分の小指をジッと眺めていた瑠胡は、ほう、と吐息をついた。
 そして躊躇いがちに小指を逆の手で包み込むと、まるで抱きしめるように胸元へと押し当てた。
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