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三章-4
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クラネスの制止を振り切ったサリーは、アリオナの手を引っ張って、庭へと出た。
その途中で羊皮紙と羽ペンを手にしたサリーは、二歩分のあいだを空けてアリオナを振り返った。
「アリオナ様? あなたは――クラネス様のこと、お慕いしているのかしら? そのように着飾ったとしても、貴族ではないのでしょう? その程度なら、立ち振る舞いでわかりましてよ」
サリーは強い口調で告げたが、やはりアリオナには理解できていない――いや、聞こえていないようだ。
首を傾げるアリオナに、サリーは不機嫌そうに眉を顰めると、手にした羊皮紙に羽ペンを走らせた。
ペン先に付けてきたインクが切れたことに、さらに不機嫌な顔をしたが、だからといって、これ以上は一文字も書けなかった。
「まあ、いいですわ。これを――帳簿を付けることが出来るなら、このくらいの文字は読めますわよね」
サリーの発言は聞こえないものの、手渡された羊皮紙を見て、アリオナは意図だけは理解した。
(なにが書いてあるんだろう――?)
内容を読み始めたアリオナは、目を見広げた。
〝クラネス様は、カーター伯爵家に名を連ねる貴族。異国かどうかは知りませんが、平民の出である貴女とは身分が違います。
貴族である彼に、平民の出の貴女が付きまとうなど、厚かましいにも程があります。身分の差というのを、自覚なさい。
幼い頃から、わたくしはクラネス様のことを〟
途中で文章が終わっているのは、インクが切れたのが原因だ。
全文を読んだアリオナは、表情の無くなった顔を上げた。
「嘘……そんなの、聞いてない」
「嘘ではありませんわ――といっても、通じておりませんわよね」
サリーは右の人差し指を立てると、そのまま裏門のほうへ向けた。
その意味するところを理解したアリオナは、震えるように首を左右に振った。
「で、でも、クラネスくんは違うって――」
「ご託は結構。理解したなら、今すぐクラネス様の元から去りなさい」
大きく手を振るように、サリーは改めて表門へと指先を向けた。
(クラネスくん……音無くんは、あたしに嘘を吐いたの?)
愕然とした想いが、アリオナの胸中に暗い影を呼び起こした。
サリーの指先が示す方角へ視線を向けたアリオナは、だらんと下げた手から羊皮紙を落とすと、フラフラとした足取りで、裏門へと歩き始めた。
裏門を出てから、街中をどう歩いたか、まったく記憶になかった。隊商の馬車がある市場でもなく、手配した宿に向かう道でもない。
いつしか、どこか古びた街並みに入り込んでいた。周囲に人の気配はなく、野良犬や豚がウロウロとしているだけだ。
そんな状況にも関わらず、今のアリオナの心は、ほかのことに気を取られていた。
(音無――クラネスくんは、貴族じゃないって言ってたのに)
すでに視線は、前を見ていない。視界にあるのは、薄暗くて陰影でしか判別できない足元だけだった。
その視界が、滲み始めていた。
目に熱を覚え始めたとき、涙袋まで伝った水滴が、地面に落ちる。胸の奥から嗚咽が込み上げてくると、アリオナは立ち止まって両手で顔を覆った。
今にも大声で泣き出すのを我慢できなくなった、そのとき、二つの足音がした。
「おやおや、こんなところで嬢ちゃんが泣いてるぜ?」
「可哀想になぁ。親に怒られたか? ん? 俺たちのところで、休んでいくといいぜ」
二人の男は、薄汚れたチェニックに長ズボンという格好で、顔は無精髭、腰にはダガーを下げていた。
露出した腕や頬には切り傷のあともあり、どこから見ても無頼漢といった風貌をしていた。
話しかけられたことで顔を上げたアリオナは、男たちの姿に三歩ほど退いた。
男たちは互いの視線を交錯させつつニヤリとした笑みを浮かべ、早足にアリオナへと迫った。
「そう怯えるなよ。優しくすっからさぁ」
「そうだぜぇ。悪いようにはしねぇさ」
右側にいた男が、アリオナの腕を掴んだ。
瞬間、力任せに振り解こうとしたアリオナだったが、そこで脳裏にサリーの言葉が思い返された。
もう、クラネスの隊商には戻れない。戻ったとしても、クラネスはいずれ貴族として祖父の元へ帰るのだろう――そんな想いが、アリオナの身体から気力を削いだ。
(――この世界での人生なんか、どうでもいい)
振り解こうと藻掻きかけた手が止まったことに、男たちはニヤッと笑みを浮かべ合った。
「そうそう、大人しくしてりゃ、優しくしてやるからな」
その言葉をかけられている中、どこかで奔る馬車の音が、夜の街に響いてきた。
*
アリオナさんとサリー嬢が食堂から出て行って、まだ二、三分しか経っていないにも関わらず、俺は焦れったさを覚えていた。
会話の途中で〈舌打ちソナー〉を、それこそ数秒に一回の割合で使って、アリオナさんとサリー嬢の様子を窺っている。
二人は庭で、羊皮紙かなにかを見ているようだ。
できれば〈集音〉で会話の内容も聞きたかった。けど、これだけ周囲から話し声が聞こえている環境では、声が混じって狙った声が聞き取りにくくなる。
集中すれば上手くいくかもしれないけど……そうなると、俺に喋る余裕が無くなってしまうんだ。このジレンマに悩んでいると、横から声をかけられた。
「カーター様、険しい顔をなされてますが、どうかなされましたか?」
そう問いかけてきたコールナン男爵に、俺は愛想笑いで応じた。
「いえ、すいません。アリオナ――と、サリー嬢が遅いなと思いまして。話をすると言っても、アリオナはこの地方の言葉に不自由ですから……やはり、わたしも立ち合ったほうがいいかと、悩んでおりました」
「そんな心配など、なさらずとも大丈夫でしょう。きっと仲良く戻ってくることでしょう」
コールナン男爵は満面の笑みを浮かべているが、どこか悪いことを考えている顔が、一瞬だけ表に出てきた。
それに、俺の《力》が男爵の上昇した心拍数と、微かな舌打ちを耳に捉えていた。
……絶対に、なにか企んでる。
俺は微笑みを崩さないようにしながら、〈舌打ちソナー〉を続けた。
再開してから四回目で、サリー嬢が指をどこかに向けている像が伝わって来た。それから……アリオナさんが歩いているのがわかった。
だけど、その行き先は屋敷じゃない。向かっている先は、まるで逆の方角だった。なにかを空ける仕草をして、壁から出て行く様子が伝わってくると、俺は慌てて立ち上がった。
「カーター様、如何なされましたか?」
「少し、様子を見てきます」
俺が離席しかけたとき、サリー嬢が戻って来た。右手に丸めた羊皮紙を持っていたことから、庭からすぐ戻ってきたようだ。
「あら、クラネス様……どちらへ?」
「サリー嬢、アリオナさんは何処へ?」
俺の問いに、サリー嬢は目を彷徨わせながらも口元に笑みを浮かべた。
「わ、わたくしに目に物を見せられて、ショックだったようですから。そのまま帰ったのではありませんか?」
「そんな馬鹿なことを……例えば、これはなんですか」
俺はサリー嬢から羊皮紙をひったくると、内容を確かめた。
そこに書かれている内容に、俺は愕然とした。もしかして、これをアリオナさんに見せた――そう確信した瞬間、俺は食堂の出口に向かっていた。
「お待ち下さい、クラネス様! あの者は異国の民といっても、庶民。わたくしたちとは、住む世界が違うではありませんか。どうして、そこまで気にかけるのですか」
サリー嬢からの問いかけられ、俺は食堂の扉を開けながら、振り返った。
「彼女は隊商に所属する、大せ――貴重な人材です。隊商の長として、気にするのは当然です。それに、目に物を見せたことは、とやかく言いません。だけど、こんな夜に、一人で帰すことはないでしょう? せめて馬車を待たせている場所を、教えても良かったんじゃないですか」
「……彼の言うことは、正しいわ」
サリー嬢がなにかを言おうとする前に、俺の近くに座っていた貴婦人が静かに告げた。
「カーター様、彼女を追いかけてあげて下さい」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
俺は貴婦人に礼を告げると、食堂を飛び出した。
さっきから続けている〈舌打ちソナー〉で、アリオナさんの居場所は、ギリギリ把握している。俺は屋敷を飛び出すと、《力》を込めて馬車のある方角へ怒鳴った。
「フレディ、裏口の正面にある裏通りを西へ! アリオナさんを追いかけてる!」
声が届いたという確信はあるが、馬車を待っている時間的余裕はない。この先を真っ直ぐに進むと、ごろつきが屯する貧民街の外れに出るからだ。
走りながら〈舌打ちソナー〉をしていると、アリオナさんの前に二人の人影が出てきたのを感知した。
俺が両脚に力を込めて走る速度を増してから、数秒。目の前に、三人の人影が見えてきた。背後から馬車の音が聞こえてきたから、フレディも追いついてきたようだ。
男の一人がアリオナさんの腕を掴んで、左側にあるボロ屋へ連れて行こうとするのを見て、俺の中に激しい怒りが沸いた。
「おまえら、アリオナさんをどうする気だっ!!」
すべての《力》を振り絞って、俺は二人組の無頼漢へと怒鳴った。
放たれた俺の声を受けて、二人組は耳を押さえながら怯んだ。その隙に、俺は一気に距離を詰めた。
「な、なんだっ!?」
最初に顔を上げた男の腹部へ、俺は左脚を軸にした蹴りを放った。男が倒れると、俺はアリオナさんを庇うように、手を広げた。
「この野郎……巫山戯やがって。これが見えねぇのか」
もう一人が俺を睨みながら、ダガーを抜いた。
そんなものに怯むと思ったら、大間違いだ。俺はまだ込め続けている《力》を、二人の男に放ち続けた。
「あんたら、二人がかりで俺の大事な子に、なにをしようとした! 今後、この子に手を出そうとしたり、俺たちの前に現れるなら……次は容赦しねぇからな!! わかったら精々、物陰で怯えながら暮らしてろ!」
声に含まれた、固有振動による破壊音波、そして鼓膜を狙った音声拡大、そして声と言葉の力――それらを同時に受けた男たちは、地面に蹲りながら、怯えるように悶え苦しみ始めた。
とりあえず、男たちは無力化した。
俺はアリオナさんを振り返ると、両肩を掴んだ。
「アリオナさん、なにがあったのかは……いや、一人で夜の街を歩くなんて、危なすぎるよ。早く戻ろ――」
言葉の途中で、アリオナさんは俺の手を払いのけた。
驚く俺に、感情の失せた目を向けたアリオナさんは、感情を抑えた声で言った。
「あたしを……騙したの? 貴族じゃないって、言ったのに」
「それは……騙そうなんてしてないよ」
「嘘吐き」
「違うんだよ。ちゃんと俺の話を聞いて!」
俺は必死で訴えたけど、アリオナさんは視線を逸らしたままだ。
ああ、もう……これは落ちつくまで話ができそうな雰囲気じゃない。俺が困っていると、馬車を駆るフレディが追いついてきた。
「若――アリオナ嬢。ご無事なようで。その二人は?」
「アリオナさんを襲うとした、二人組だよ」
「そうですか。若とアリオナ嬢は、馬車へ」
御者台から降りたフレディに頷くと、俺はアリオナさんを荷台へと促した。
「アリオナさん、隊商に戻ろう。俺のことを怒るのは構わないけど、今のアリオナさんは隊商の一員なんだ。寝床と食事――少なくとも、一人でいるより身の安全は保証できるし。隊商には戻ってくれていいと思うけど」
俺の説得に、アリオナさんは迷う素振りを見せた。しばらくして、俺と目を合わせはしないまでも、荷馬車には乗り込んでくれた。
荷台の後ろで安堵していると、フレディが戻って来た。
「なにをしてたの?」
「いえ。お二人の安全確保を。もう、あの二人に悩むことはありません」
「……そうなんだ。ありがと」
暗い顔をする俺に、フレディは荷馬車を一瞥した。
俺の腕を叩いて御者台に上がるよう促しつつ、フレディは荷台に入って行く。どうやら、俺とアリオナさんのあいだに起きた問題を察したようだ。
俺は御者台に上ると、手綱を操って馬車を奔らせた。頭の中にあるのは、アリオナさんのことばかりだ。
これからアリオナさんに、どう接して、どんな説明をすればいいんだろう。なんとか仲直りを――。
そこまで考えたとき、俺は気付いてしまった。
かなり本気で、アリオナさんを好きになり始めていることに。
借金などの問題もあるから、恋心は自戒しようと考えていたはずなのに。
でも頭に思い浮かぶのは、アリオナさんに嫌われたくないとか、仲直りをして今日まえでのように一緒に居たいとか、そんな想いばかりだ。
理性と感情、相反する想いが頭の中でぐちゃぐちゃに入り乱れる中、俺は絶望感に打ち拉がれていた。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうござます!
わたなべ ゆたか です。
四千字を超えた上に、仲違い展開で御座います。
内容的に書けることが……フレディがなにをしたかは……あとで語るところが出るかなぁ? と、書いている本人が思っていたりします。
まあ、わかりやすいと思いますので、ご想像にお任せで充分かなと、勝手に思ってます。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
次回も宜しくお願いします!
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