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二章-2
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明けて翌朝。
盗人などの被害もなく、朝食を済ませた商人から商売の準備を始めていた。荷馬車から荷物を降ろしたり木箱を並べたりと、中々に重労働だ。
俺は仮眠をとってから、次の町で使う食材の仕込みを始めていた。ただ朝食の前に始めていた、木の板を使っての工作活動を済まる必要はあったけど。
その工作の成果を使って、アリオナさんは今、隊商で一働きしているはずだ。
「アリオナちゃーん」
女性の声が、厨房馬車まで聞こえてきた。あの、荒くれ者にいちゃもんをつけられていた、商人夫妻の奥さんだ。
接客をするときに使う板張りの小窓を開けて外を見ると、木の札を振りながら、アリオナさんの名前を呼んでいる。
その声は聞こえないんだろうけど、大きく左右に振られた木の札を見つけて、アリオナさんが奥さんに駆け寄っていった。
奥さんはアリオナさんに手振りで一緒に来るよう促すと、自分たちの馬車へと連れて行った。多分だけど、村長あたりから、大口の取引があったのかもしれない。
奥さんに連れてられて、木箱を抱えるアリオナさんの姿が見えた。
アリオナさんは用心棒も兼ねてるけど、こうした村では出番はない。それは腕相撲だって同じことで、金銭を賭けてまで勝負を挑んでくる者は少ないはずだ。
なら商人たちの仕事を手伝って貰ったほうが、暇にならなくていいし、なにより商人たちとの交流も盛んになって――くれるはずだ。
村の奥へと向かう二人の姿を見送っていると、背後から咳払いが聞こえてきた。
「クラネス君。仕込みを、あたし一人にやらせるつもり?」
「あ、ごめんなさい」
俺はユタさんに謝ると、干し肉の切り出しを再開した。
ユタさんには、パン生地を作ってもらっている。俺がパン生地のほうをやってもいいんだけど、これはユタさんのほうが作業が早いんだ。
在庫があるときはともかく、今回のように在庫切れのときは、どうしてもユタさんに頼ってしまう。
ユタさんは丸めたパン生地を底の浅い木箱に並べながら、不意に話しかけてきた。
「ねえ。アリオナちゃんは、あれでいいの?」
「とりあえずは、商人たちの仕事も手伝って貰う方針です。俺の仕事だけ手伝って貰うっていうのも、今後を考えると問題が出る気もしますし」
「ふぅん。まあ、そういう考えならいいけど。でも、今でも問題は出そうじゃない? 例えば、アーウンさんを筆頭とした、あの子への不満分子とか」
アーウンさんの名前が出て、俺は呻きたい気分になった。
アリオナさんへの不満を募らせている商人は少なくないけど、それを呷っているのは、どうやらアーウンさんらしい――というのは、ユタさんからの情報だ。
酒場で商人たちを集めては、アリオナさんへの不審感と嫌悪感を説いているみたいだ。
「今はまだいいけど、そのうちクラネス君にも矛先が向かうわよ?」
「そうでしょうねぇ……嫌悪感から敵対心へって流れは、勘弁して欲しいなぁ」
「呑気なこと言ってるけど。なんか考えてる?」
パン生地を並べるのが終わったのか、ユタさんは俺へ首を向けてきた。
まるで窘めるような表情をしてたけど、俺だって負けてない。
「一方的に俺を悪く言ってますけど。ユタさんだって昨日は、アリオナさんの肩を持ったじゃないですか」
「だって、あそこまでやってるのを見ると、いじらしくって。思わず、応援したくなっちゃった。だけど最終的な判断は、クラネス君だからね。そこは、忘れちゃダメよ」
「……忘れてはいませんけどね。でも、どうしたもんかなぁ」
干し肉を切る手を止めて、俺は溜息をついた。
前世のころの板林さんを思い返しても、真面目な性格な印象が強い。この世界に転生してから、まったく同じ性格じゃないかもしれないけど、喋っている感じでは、前世とあまり変わっていないように思える。
むしろ、性格が変わったのは俺だと思う。自己判断ではあるけど、少なくとも前世の俺は隊商なんか率いる性格ではなかった。
他にもあるけど……まあ、それは今は考えない。
とにかく、だ。例え憑き者だとしても、アリオナさん自身に罪はない。
ただ、アーウンさんを筆頭にした商人たちがやっている、裏工作もどきの悪意に対し、正攻法でどこまで対抗できるか……という問題について、考える必要がある。
俺は少し悩んでから、ユタさんの近くにあった小麦粉の袋に近寄った。
「ユタさん、少しお願いがあるんですが。パン生地は俺がやるので、アリオナさんの様子を見に行ってくれませんか?」
「あたしが? クラネス君が見に行ったほうが、いいんじゃない」
「俺が行くと、アーウンさんたちが、なんて思うかわからないから。ほかの人が行ったほうが、いいんですよ」
「ああ……そういうことね。わかったわ」
ユタさんは白くなった手をエプロンで拭うと、小さく手を振りながら、厨房馬車を降りていった。
*
村長の家に木箱に収めた商品を納品したアリオナは、商人の妻――サラマンドラ・カマオは、穏やかな笑みを浮かべていた。
ややふっくらとした容姿だが、まだ二〇代ということもあって、どこか可愛らしい印象のある女性だ。茶色の髪に、同じ色の瞳。
平民であるが故に化粧っ気はないが、客商売をしているためか、最低限の清潔さは保っている。
サラマンドラは御礼を言おうとして、アリオナと会話ができないことを思い出し、一人で苦笑いをした。
それを見て、アリオナは首を傾げた。
「……どうしたんですか?」
と問いかけたアリオナ自身も、返答が聞こえないのを思い出して「あっ」という顔をした。それを見て、サラマンドラの笑みが増した。
サラマンドラは落ちている枝を拾うと、地面に指を向けた。アリオナが怪訝な顔で首を傾げる前で、サラマンドラは枝の先で地面に文字を書き始めた。
〝このあと、お茶でもどう?〟
その文字列に、アリオナの目に涙が浮かんだ。
「いいんですか?」
アリオナの問いに、サラマンドラは微笑みながら頷いた。
そして地面に、〝昨日の御礼〟と書いた。それから会話は無かったものの、アリオナはサラマンドラとにこやかに隊商への道を戻っていた。
その途中、アーウンの馬車の前を通った。
商売もそこそこに終えたのか、もう片付け始めていた。馬車に荷物を入れたアーウンが、並んで歩くアリオナとサラマンドラに険しい目を向けた。
「――チッ! 憑き者がでかい顔で歩くな、疫病神が」
その呟きが聞こえたのか、隣にいた商人も憎々しげな顔をアリオナに向けた。だが、その奥方が商人の頭を叩いた。
「あんた! 一生懸命に働いてる子に、そんな顔をするんじゃないよ。みっともない」
「みっともないって言ったって……だな。憑き者なんだぞ?」
言い返す商人に、奥方は唇を尖らせた。
「だから、なんだい。昨日は、あの子のお陰で売り上げだって良かったのにさ。恩はあっても、恨みはないはずでしょう?」
「そ、それは、そうだが……」
それっきり反論できなくなった商人は、アリオナとサラマンドラを一瞥すると、大きな溜息を吐いた。
どうやら、奥方には頭の上がらない性分らしい。
アーウンは、そんな隣の馬車を面白くなさそうに見てから、不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らしていた。
少し離れた場所から、アーウンたちの行動を覗き見していたユタは、溜息の代わりに大きく肩を揺らした。
(大体、想定通りの言動ね。女性の味方は多いけど……)
商人たちが一丸となって、クラネスに苦情を言い出しかねない状況だ。ユタはそう考えながら、顔を上げた。
今のままでは護衛兵の手も借りないと、最悪の事態に対処できなくなる。
(クラネス君には悟られたくないし、今のうちに相談しておこうかしら?)
ユタは周囲を見回すと、フレディの姿を探し始めた。
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