最凶と呼ばれる音声使いに転生したけど、戦いとか面倒だから厨房馬車(キッチンカー)で生計をたてます

わたなべ ゆたか

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一章-4

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   4

 水の補充を終えた《カールの隊商》は、次の街に向けて出発した。
 町への到着は間違いなく夕刻になってしまうが、ギリギリ市のやっている時間に間に合う筈だ。
 今日と明日で、隊商のみんなにはめいっぱい稼いで欲しい。
 それに大きな街だから、俺も稼げるだけ稼ぎたい。そこでなら、いつものカーターサンドでも売り上げが期待できるし。
 山賊や狼などに襲われることもなく、隊商は目的地のリオンという街に到着した。
 俺は到着してすぐに、市場を取り仕切る顔役の元へ挨拶を兼ねて出向き、市場の使用料を支払った。
 面倒臭い手続きだけど、勝手な商売で市場が混乱しないよう、これは大きな街では通例となっている。
 顔役に市場の端に案内された隊商の馬車列は、すぐに商売を始めた。
 俺も自分のキッチンカー内で、商売の準備を急いだ。手始めに、乳牛から絞ったミルクを加工するのが、いつもの手順なんだけど――。
 厨房馬車に食材を運んでいると、アリオナさんが話しかけてきた。


「ねえ、音――クラネスくん。ミルクを振るのって、このくらいでいいの?」


「えっと――ちょっと見せて?」


 俺は板林――いや、アリオナさんから小さな壺を受け取ると、木製の栓を抜いて中を覗き込んだ。他の小壺に液体を注いでから、中身に残った固形物を木製のスプーンの先端で掬った。
 白い固形物をひと嘗めすると、俺はアリオナさんに微笑んだ。


「うん。良い感じ」


「ホント? 良かった」


 顔を綻ばせるアリオナさんの目は、少し赤かった。さっき、転生後に再会できた喜びからか、かなり泣きじゃくった余韻が残っている。
 動いているほうが気が紛れるのか、アリオナさんはすぐに周囲を見回して、次の仕事を探し始めた。


「それじゃあ次は――あれを運べばいいの?」


 アリオナさんは微笑むと、キッチンカーの外に置いてある樽へと近づいた。


「あ、その樽は女の子が――」


 持てる代物じゃないから。

 そう言おうとしたんだけど、その前にアリオナさんは樽を「ひょいっと」持ち上げてしまった。
 目を丸くする俺を見て自分のしたことに気付いたのか、アリオナさんは慌てて樽を降ろすと、顔を赤くした。


「あの……あたし、人の声が聞こえなくなり始めたころから、急に力が強くなっちゃったの。だから、家族――にも、荷馬代わりに使われてた」


 少し言葉を詰まらせたのは、きっと殺された母親や兄弟姉妹のことを思い出したからだろう。話をしていて、村の惨劇を思い出しちゃったみたいだ。
 俺は――アリオナさんにかける言葉が見つからなくて、なんだか申し訳ない気持ちになっていた。


「……なんか、ごめん。思い出しちゃったね」


「そんな……その、クラネスくんが謝ることじゃないよ。あたしが勝手に、話をしたんだし。それに、まだ今日のことだもん。急に悲しくもなるときだってあると思うから、気にしないでね」


「そんな――俺でよければ話も聞くし、出来る範囲で相談にも乗るつもりだよ」


 俺が勢いで申し出ると、アリオナさんは目に涙を浮かべたまま微笑んだ。


「……ありがと。耐えきれなくなたら、お願いしちゃうかも」


 そのアリオナさんの微笑みに、俺は顔が赤くなるのを感じていた。
 彼女の笑顔には、その穏やかさの中に、この世界で数多の辛さや悲しさを経験してきた人の持つ、大人びた雰囲気が漂ってきた。
 その温かな笑みに、俺は見とれてしまっていた。正論を言えば、そんな感情を抱いて良い状況じゃないのは、理解してる。
 わかってはいるけど……湧き上がる感情は、すぐに止められなかった。
 赤くなった顔を見られなくなくて俯いた俺に、アリオナさんは小首を傾げた。


「どうしたの?」


「いや、その……なんでもない、です」


 俺は深呼吸を繰り返して、なんとか心臓の鼓動を収めると、勢いよく厨房馬車の後部に外付けの階段を設置した。これで荷物を抱えても、厨房馬車への乗り降りが楽になる。


「よし、それじゃあ――早く開店準備を終わらせちゃおう。急いで商売を始めないと」


「うん。あたしも手伝うね」


「あ、ありがとう」


 俺は樽を抱えたアリオナさんと共に、厨房馬車へと入って行った。
 アリオナさんに樽の中の食材を出すように頼んでから、俺は水差しを手にした。そして石造りの竃の上にある鉄板に、水差しの水を一滴だけ垂らす。
 ジュゥゥ……と、音を立てながら水滴がゆっくりと蒸発していく途中で、俺は昨晩に焼き上げていたパンに、切れ込みを入れ始めた。少し長細いパンは、前の世界のドッグロール――ホットドッグに使うパンだ――に似せてある。
 切れ目を入れたパンを、アジの干物のように開いて、断面にバターを薄く塗った。そして断面を下にして、鉄板で軽く焼く。
 バターの焼ける香りが厨房内に立ち込めると、アリオナさんが笑みを浮かべながら目を細めた。


「良い匂い……こんなの、こっちの世界では初めて」


「……そうだよね。あ、そうだ。一つ、食べてみる?」


「……いいの?」


 驚くように目を丸くしたアリオナさんに、俺は微笑みながら頷いた。
 断面を軽く焼いたパンに、仕込みで準備していたキャベツの千切りと微塵切りにした玉葱、細長く切り分けた干し肉を挟んで、手製のマヨネーズにマスタードを混ぜたものを、切れ目に沿って、平らに塗っていく。
 これが、本来の『カーターサンド』だ。
 俺からカーターサンドを受け取ったアリオナさんは、近くの小さな木箱に腰を降ろすと、小さく口を開けてパンの端に齧り付いた。
 ゆっくりと味わうようにしながら、最初に口に入れた分を飲み込むと、アリオナさんは今にも泣きそうな顔で俺の顔を見上げた。


「美味しい……とても美味しい」


「ありがと。さて、店を開ける準備をしなきゃ」


 俺は用意したパンを取り出しながら、さっきみたいな切れ目を入れていく。四〇個ほどのパンに切れ目を入れ終わると、バターを塗った断面を順番に焼き始めた。
 あとは商売をしながら、作っていけばいい。
 アリオナさんにも手伝って貰えれば、いつもよりも楽に準備もできそうだし。
 いつもは一人で切り盛りしているけど、今日は二人だ。ちょっとだけ――本当に、ほんのちょっとだけだけど、こういうのって良いなぁ……って思ってしまう。
 でも、アリオナさんにとっては迷惑なだけかもしれないから、この気持ちを明かすつもりはない。
 日が暮れて市に人が居なくなるまで商売をして、およそ一五〇個売れた――というか、売り切った。
 客層は商人や街の住人より、冒険者や傭兵らが多かった気がする。彼らのほうが、自由にできる小銭を持っているんだろうな。
 なんにしても、この時間帯でこれだけ売れるとなれば、明日の売り上げも期待できる。
 その分、こっちも仕込みとか大変だけど……それは、夜なべして頑張るしかない。材料はユタさんに頼んであるから、問題はないし。


「さて……アリオナさん、ちょっと厨房の掃除を頼んでもいい? 俺は隊商の仕事をしなきゃいけなくて」


「うん。ここで待ってる」


「ありがとう。なるべく早く戻ってくるから」


 厨房馬車に残したアリオナさんには、フレディを警護につけた。俺はもう一つの馬車の荷台に乗り込むと、隊商としての売り上げを確認し始めた。
 これは帳簿をつけるというより、今日の配当を配るためなんだ。売り上げに応じて、配当の額は決まる。売り上げのすべてが商人たちの物にならないのは、諸経費を均等割してるためだ。
 その中には市場に支払う場所代と税金、それに手数料や護衛の代金なんかも含まれている。
 配当を配るとき、アーウンさんを始めとする、数人の商人たちは辺りを見回しながら、警戒を露わにしていた。
 皆は口にしないが、きっとこれは憑き者である、アリオナさんに対する態度なんだと思う。彼女が近くにいないか、気になっているんだろうな。
 ユタさんに頼んであった材料を確認したとき、そこに砂糖があることを思い出した。あとは旅の食事用だけど、チーズやドライフルーツなんかもある。そして、卵も仕入れ済だ。
 厨房馬車に戻った俺は、小麦粉とバターの余り、そして蜂蜜を混ぜて生地を作った。
 少しずつ千切った生地にドライフルーツを混ぜてから、手の平で叩いて平たくすると、少し失敬した砂糖を少しだけまぶす。
 あとは竃の中央部分で十数分焼けば、クッキーの出来上がりだ。


「お給料が出せるかわからないから、その代わり。まだちょっと熱いと思うけど、食べてみて」


「これ……クッキー? 食べていいの?」


 驚くアリオナさんに、俺は苦笑しながら頷いた。


「そのために作ったんだ。食べて食べて」


 俺が勧めると、アリオナさんはクッキーを一口だけ食べた。それが切っ掛けとなって――もしかしたら、お腹も空いていたのかもしれない――、最初に焼いた十枚を、あっというまに食べてしまった。
 アリオナさんが振り返ったとき、目には涙が溜まっていた。


「美味しい……音無くん、これ、美味しいよ」


「俺の呼び名が、前世の名前になっちゃってるよ……」


 無粋かな――と思いながら突っ込んだ俺に、アリオナさんは少し唇を尖らせながら、上目遣いの眼を向けてきた。
 その顔に見惚れそうになっていると、アリオナさんは十一枚目のクッキーを手に取った。


「仕方ないじゃん。つい出ちゃったんだから。それに御菓子なんて、こっちの世界じゃ初めてなんだし」


「俺だって、クッキーとか食べたことないけどね。作り方は覚えていたけど……今回のは、たまたま材料があったし、御礼の意味もあるから」


「御礼の意味……も」


 俺の言葉を途中まで反芻すると、アリオナさんは頬を桜色に染めながら、俺のほうへと身体ごと振り向いた。


「あの……もしかして、あくまで、もしかしてなんだけど。遠回しに、その、プロポーズとかしてない?」


 ――プロポーズ。その部分だけ、日本語で言われたんだけど、意味はなんとなく覚えている。
 その、なんだ。いわゆる、けっこんのもうしこみってやつで……その。
 俺は顔が真っ赤になるのを感じながら、両手を大袈裟に振った。


「いや、待って。クッキーを貰っただけでプロポーズって認識は、あまりにも飛躍しすぎだから! その、なんだ。もっと気楽に受け取って……ね」


 言いながら、俺は真っ赤になった顔を見られたくなくて、後片付けを始めた。
 クッキーって友情とか、そんな意味じゃなかったっけ? まあ、あんなのこじつけだと思ってるから、どうでもいいんだけど。
 そんなことより、だ。
 アリオナさんの宿はユタさんに任せたし、今日は一人で仕込み作業だから……そのあいだに頭を冷やそう、そうしよう。
 ユタさんに連れられて、宿に向かうアリオナさんを見送りながら、俺は深呼吸を繰り返していた。
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