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一章-3
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俺とフレディ、そしてアリオナさんは、村を出てから三〇分ほどで隊商に合流できた。
隊商は街道をゆっくりと進んでいたが、襲われた形跡はない。そのことに俺は、まず安堵した。
怖れていたのは、俺とフレディが村に戻っているあいだに、隊商が山賊に襲われることだ。用心と心配のし過ぎと思うかもしれないが、ここまでやっても足りないのが、この世界での旅だ。
俺たちが到着すると、隊商の馬車列は停止した。厨房馬車の手綱を操っていた若い護衛兵が、俺に小さく手を挙げた。
「クラネスさん、村はどうだったんですか?」
「……駄目でした。生存者は、一人だけで」
馬を降りながら答えると、護衛兵は沈痛な顔で重い溜息をついた。
俺に厨房馬車の御者台を譲ろうとしたとき、護衛兵は近くに停まったフレディの馬を見て、目を丸くした。
丁度、アリオナさんを馬から降ろしているところだ。
あの村で唯一の生き残りとなった彼女に驚いた警護兵に、俺は簡単に事情を説明した。
「唯一の……」
「とりあえず保護したんだけど……隊商の女性陣を呼んで来てくれる?」
「ええっと――了解です」
護衛兵が後ろの馬車列に向かうと、俺はフレディとアリオナさんを手招きした。
「とりあえず、アリオナさんはうちの隊商で保護するよ。隊商の説明とかは、あとでするんだけど……先ずは、その身体と服の汚れをなんとかしないと」
「……身体の、汚れ?」
怪訝な顔をするアリオナさんは、自分の身体を見回した。
汚れきったボロのような衣服に、あまり洗ってなさそうな髪と肌。竃や煙突の掃除なんかもやらされていたのか、煤の汚れもある。
清潔第一が、うちの隊商のモットーだ。食材や、俺の料理なんかも売り物にしているわけだし、汚れの酷いアリオナさんを、そのまま隊商に招き入れるわけにはいかないんだ。
「この近くに、川があるはずなんだ。隊商の女性陣と一緒に、身体を洗ってきてもらいます。これは、この隊商の長である俺、クラネス・カーターの指示なので。よろしく」
「……はあ」
どことなく、力の抜けた声だった。
俺たちは隊商の馬車列とともに、街道を少し進んだ。そこは街道の近くに川岸があって、よく水の補充のために立ち寄ったりしているんだ。
今回は、水の補充もそうだけど――隊商に参加している女性陣によって、アリオナさんの入浴――というか、実際のところは洗浄に近いことが行われているはずだ。
背の高い女性たちによって、厚手の布で覆われた川岸の一角から、アリオナさんと隊商の料理人であるユタ・マーマニさんの声が聞こえてきた。
「ほら、恥ずかしがらない恥ずかしがらない! 動かないの!」
「なんで、こんな――ちょっと、強く擦りすぎです!」
「え、そんなに強く擦ってないでしょ?」
「あの、聞こえてます? あの、強く擦らな――ちょ、変なところ触らないで下さい!」
……なんだろう。想像力がかき立てられたせいか、覗きとかしてるわけじゃないのに、強烈な罪悪感とか下半身の悶々とした感じとかで、頭の中が一杯になりそうだ。
これは、じっくりと聞いちゃいけない気がする。うん――ここはユタさんに任せて、俺は厨房馬車で待つことにした。
しばらく待っていると、ユタさんがアリオナさんが連れて、俺のところにやってきた。
ブラウンの髪を後ろ手に縛った、なかなかのべっぴんさんなユタさんは、俺の姿を見ると手を振ってきた。
「クラネス君、終わったわよ」
ユタさんに背中を押されて、アリオナさんが一歩前にでた。
さっきまでとは、見違えるような清潔さだった。金髪には艶が戻り、服もボロではなく、薄い茶色のカートルの腰を革のベルトで締め、革のブーツを履いている。
汚れていた肌も白くなり、パッと見には先ほどまでと別人に見える。前髪を後ろに流したおかげで、大きな緑の目も露出していた。
少し痩せすぎな気はするけど、中々に可愛らしい顔立ちだと思う。
「ユタさん、ありがとうございます」
俺が御者台から降りると、ユタさんは小さく肩を竦めた。
「さて、それじゃあ、あたしは戻るわね。みんなに頼んで、水を補充してる最中だし。ちょいと様子を見てくるわ」
「はい、お願いします」
俺に手を振りながらユタさんが立ち去ると、周囲には俺とアリオナさんしかいなくなった。
さて、どこから説明をしようか――と考えながら、俺は少しだけ両手を広げた。
「《カーターの隊商》にようこそ。隊商ってわかる? 各地を周りながら、商売をしてるんだ。要するに、根無し稼業ってわけだけど」
「あなたが……隊商の責任者って、本当に? ここの人たちは、あなたの部下なの?」
「ええっと……最初の問いの答えは、本当。まあ、若輩ではあるけどね。それで、二つ目の問いの答えは、違うよ――かな。商人たちは基本的に、入って来たり出て行ったりの繰り返しなんだ。それに、護衛の大半は雇っているだけ。さっきのユタさんと、護衛頭のフレディくらいかな……ずっと一緒にいるのって」
二人とも、爺さんが付けてくれた人だから――っていうのもある。色々と面倒だから、そのあたりの説明は省いてしまったわけだけど。
「それで、君――アリオナさんは、とりあえず隊商で保護をするつもりなんだけどね。そのあとのことは、道ながらで相談しながら決めていこうと思っています。ここまではいいですか?」
「はい。大丈夫……です」
「ここにいるあいだ、仕事も手伝ってもらうことになると思うけど……しばらくは、俺の近くってことになると思います」
俺は厨房馬車の壁を指先で叩くと、アリオナさんは目を瞬かせた。
「これは……昼前に、お母さんが……食べ物を買った馬車、ですね」
「そうだね。そこで、料理の手伝いとか――してもらうつもりです。俺と一緒のほうが会話でのやりとりが、しやすいですからね」
「はい――わかりました」
「うん。それじゃあ、あとでアリオナさんをみんなに紹介しますね。水汲みが終わるまで、ちょっと待って下さい」
俺は川岸との往復を続けている商人たちの様子を見ながら、説明を終えた安堵感に身を委ねていた。
それから数分で水汲みが終わると、俺は商人たちにアリオナさんを紹介した。さっきまでいた村が襲われたこと、そして唯一の生き残りであることと、耳が少し不自由で会話が不自由であることを説明した。
商人たちはアリオナさんを見たあと、一様にざわつきだした。商人たちの言葉は聞こえないだろうが、その不安げな様子から、ある程度は察したようだ。
口を固く結んで俯くアリオナさんに「大丈夫」と告げてから、俺は商人たちに明るい顔で話しかけた。
「みんな、どうしたんです?」
「長よ……その娘はその、憑き者ではないんですか?」
俺の隊商に参加している商人の中でも、かなりの常連であるアーウンさんだ。アーウンさんは気難しそうな顔で、アリオナさんを一瞥した。
「その首の印だよ! 憑き者といえば、不幸を呼ぶって話だろ? そんな娘と行動を共にして、大丈夫なんかね?」
「憑き者――ですか。でも、逆に考えて下さいよ。この子は、唯一の生き残りなんですよ。逆に考えれば、幸運の持ち主かもしれませんよ?」
「いや、しかし……」
アーウンさんはアリオナさんを見て、まだ迷いと疑心の入り交じった顔をしていた。
俺はアーウンさんが口を開く前に、やや早口に説得を続けた。
「憑き者だから保護するな――と言いたげですけど。こんな女の子を、たった一人で放逐するなんて、できますか? 俺には、無理です」
「う――ううむ。しかし……」
「皆さんの馬車には、必要がなければ近寄ることはないでしょう。俺の馬車で手伝いとかして貰うつもりですから」
「ま、まあ……それなら、まだ我慢できるか」
アーウンさんが追求を止めると、他の商人たちもそれぞれの馬車に戻って行った。
ああ……本当に面倒くさいなぁ、こういうの。
俺が溜息を吐いていると、アリオナさんが控え目に声をかけてきた。
「……ごめんなさい。説得、大変だったんでしょう?」
「ああっと……イヤ、別に。説得という説得じゃなかったし、うん。言い伝えのことで不安がっていただけ……ですから。基本的には、いい人ばかりだと思いますよ」
俺は明るい顔を維持しながら、アリオナさんを俺の馬車へと促した。
「基本的には、俺のキッチンカーにいて貰うことになるけど。それは我慢して下さいね」
「……キッチンカー?」
あ、しまった。つい、前世のころの言葉が出てしまう。自動車なんて存在しない世界で、キッチンカーとか言っても理解できる筈がない。
俺は苦笑いを浮かべながら、アリオナさんに謝ることにした。
「ああ、ごめんなさい。アリオナさんには、意味不明な言葉だったよね。ええっと、この厨房馬車につけた名前って思って――」
「違うの。あの……もしかして、クラネスさんも前世の記憶を持っているんですか?」
前世の、記憶――その言葉に、俺は息を呑んだ。
キッチンカーって言葉から前世の記憶を連想することは、この世界だけで暮らしてきた人々には難しい。
ということは――。
「まさか、アリオナさんも転生を?」
「やっぱり!? あたしも、別の世界からの生まれ変わりなんです」
アリオナさんの告白は、俺の推測の正しさを証明してくれた。だけど嬉しさよりも、驚きと混乱のほうが大きかった。
「こんなことって、マジであるのか。アリオナさんは元の世界――あ、そもそも同じ世界から転生したのかな」
「あ、そっか。お互いに、別の世界からって可能性はありますね」
「ですよね。俺がいた世界は、日本って国があったんです。俺は、そこから来ました」
俺が前世のことを話すと、今度はアリオナさんが驚いた顔をした。
「あたしも……日本から来たの。そこで死んで――」
「嘘。マジで同郷なの? 俺はA県で暮らしてて……あ、でも死んだのは島根の海なんですけど。夏休みに、叔父さんの手伝いで渡航してる途中で、船が沈んじゃって」
昔のことを思い出してしまった俺は、その辛い記憶を誤魔化すように苦笑した。さてアリオナさんは――と思ったら、目を大きく広げながら呆然と佇んでいた。
どうしたんだろう……と思っていると、その口が小さく動いた。
「嘘……あ、あの、前世の名前を、教えてくれません……か?」
「え? えっと……音無厚使って名前でした」
俺が前世の名を告げた瞬間、まるで堰を切ったように、アリオナさんの瞳から大粒の涙が溢れだした。
わなわなと震える唇に、ぎこちなく動く右手が添えられた。
「音無……くん。そんな……ホントに? ホントに音無くんなの?」
「え――俺を知ってる……?」
急に泣きだしたこと、それに俺の名を知っていそうな言動だ。
それらに対して俺が戸惑っていると、アリオナさんの相貌が崩れた。
「知ってる……知ってるよ。だって、あたし……板林精香だよ。忘れちゃった?」
「嘘……」
こんな偶然――いや、ここまでくると最早、奇跡だ。
俺とアリオナさんは、お互いに手を伸ばしていた。あの日も、深海に沈んでいく中で、俺と板林さんは、お互いへ手を伸ばしていた。
あのとき、届かなかった手が今――十数年以上の刻を経て、この異世界の地で繋がった。
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