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最終章前編

二章-3

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   3

 俺がラントンの街に戻ってから、三日後の昼前。
 ジャック商会が所有する馬車や荷車の列が、軍の駐屯地へと向けて街の通りを進んでいた。俺は最後尾から二つ目に位置している、荷車を必死に押していた。
 薄汚い上着を羽織った俺は、穴が空いている帽子を目深に被っている。パッと見、トラストン・ドーベルとは見えない……はずだ。
 少しだけ、自信を無くしているとこだけど。まあ、それはさておき。
 結局のところ、従業員として雇われるというのが、一番無難な潜入方法――ということに落ちついた。
 それが、昨日の朝のことだ。
 新人のやることなんて、大体が雑用か力仕事だ。
 そんなわけで、俺は昨日から一日二回、駐屯地までの荷運びをやっていた。これがまた……純粋な力仕事なわけで。
 一日が終わったあとの疲労感は、並大抵のものじゃない。手足の筋肉痛どころか、指先までが痛い。
 食欲はあるが、固形物よりも汁物を欲していた。それだけ、汗で水分が出てるってことらしい。
 まあ、色々と言いたいことはあるけれど……その一番にあげるのは、ここにマーカスさんがいないことだ。


「すまないが、どちらかといえば頭脳労働専門なんだ」


 そう言ってたけどさぁ……俺はいつから肉体労働専門になったんだ? そんな感じに扱うなら、二度と知恵なんか貸してやらねーからな!

 そーゆーとこやぞ! 人に嫌われるの!! 

 ……とまあ。心の中だけで、盛大に文句を言ってるわけである。


「押せ!! ほら、もっと押せ!」


 荷運びの頭が、荷運びをしている少年たちに檄を飛ばしている。
 情報収集のための潜入だからといって、割り振られる仕事は熟さなくてはならない。そんなわけで、俺も一生懸命に仕事をしているわけである。


「止まれっ!!」


「止まれ、止まれぇっ!!」


 指示を出していた男たちが、口々に停止を呼びかけた。
 俺は少年たちと一緒になって、荷台を停止させた。肩で息をしていると、横にいた二人の少年たちはガックリと項垂れていた。
 誰か見ても、疲れ果てているのがわかるだろう。
 俺が視線を上げると、先頭の馬車にいるジャック商会の社長が、検問の衛士と談笑していた。
 数分ほど経ってから、再び移動の指示が出た。
 俺は少年たちと荷車を押しながら、駐屯地へと入っていった。軍人たちが往来する中を進むと、倉庫番へと続く列に並ぶことになった。


「つかれた……おい、ちょっと休もうぜ」


 隣にいる少年たちは、この待機時間で休憩をしようとしていた。だけど俺には、やるべきことがあった。
 怪しまれないよう気をつけながら、俺は周囲を見回した。
 兵士の顔を覚えつつ、前方で員数チェックをしている品々を確認し始めた。大半は食料だが、日用品も混じっている。
 その中に、衣類があるかどうか――確認をする第一の目的は、それだ。
 次に、兵士たちの人相だ。
 誰とどこで出くわすかわからない以上、兵士の顔を覚えておくのは重要だ。街中だけでなく、街の外――例えば、スコントラード国の領内で、工作活動をしていたりしたときなどだ。
 髭を生やした赤毛に、顎が前傾になった眼鏡。白髪交じりの七三分けで、不機嫌そうに口を一文字にした、部下に威張り散らかしている糞野郎など。
 そんな、色々な兵士たちの顔を覚えていると、前の荷車が進み始めた。


「おお……い。押すぞ」


 力のない声の少年に頷くと、俺は荷車を押し始めた。
 倉庫に向かう途中、壁にスコントラード軍の特徴が描かれた板が置かれていた。やけに目に付く場所に置いてあるからか、荷台を押す少年たちは、その図をチラ見していた。
 それから一〇分ほど経って、ようやく俺たちの番になった。
 荷台の荷物は、小麦とジャガイモだ。くそ……重いヤツばかりだ。
 ともかく、荷を倉庫に運んだ俺たちは、文字通り重荷から解放された。空になった荷台を押していると、ふと視線を感じた。
 一体どこから……と思っていると、一際大きな天幕の外に、将校らしい軍服を着た男が立っていた。
 その背格好には、なんとなく見覚えがあった。

 ……まさか、あのときの?

 ファーラー市で暗躍していたマンティコアを葬った大男。あの将校の体型は、その大男に良く似ていた。
 こういうときに、なんで俺はガランを連れてこなかったのか。後悔先に立たずなんだろうが、となると幻獣に俺の存在を知られてしまい、最悪は先制攻撃を受ける羽目になるだろう。
 俺はあまり天幕のほうを見ないようにしながら、荷車を駐屯地の外へと出した。
 全員が揃ってジャック商会に戻る途中、街の至る所にスコントラード軍の軍服が描かれた看板が立っていた。
 こうもスコントラード軍の軍服が描かれた看板があると、街の人々も覚えちゃいそうだな……。
 いや、それが目的なんだろうけど。
 それが……目的、か。
 いくつかの可能性を頭に思い浮かべながら、俺はジャック商会への道を進んだ。
 今日の仕事は、これで終わりだった。日当を貰った俺は、まっすぐに宿に――は、戻らなかった。
 普段とは違う道を進み、人混みに紛れるようにして、路地裏へと入った。
 物陰に潜むようにして、しばらく待ってみる。

 ……誰も来ない、かな?

 一応、尾行を警戒したんだけどな。それが杞憂に終わるなら、それでいい。
 俺は裏路地を通りながら、もう一度だけ同じことをやってみた。それでも尾行らしい人影は現れなかった。
 俺は裏路地を小走りに駆け抜けると、泊まっている宿に戻った。
 部屋に戻ると、新聞を読んでいたマーカスさんとクリス嬢が、俺を出迎えた。


「おや、トト。おかえり」


「トト、お帰りなさい」


「ただいま、です。えっと……二人して、俺の部屋でなにを?」


「あら。トトを出迎えようと待っていたら、マーカスさんも来ただけです」


 戯けたように頬を膨らませたクリス嬢に、俺は苦笑しながら部屋に入った。


「ところでマーカスさん。この街の中で、スコントラード軍の軍服が描かれた看板が置かれてるんですけど。なぜか知ってますか?」


「え? あ、いや……そうなのかい?」


「そうなんですよ。昨日までは気付きませんでしたけど、今日は何枚か見かけました」


「そうなんだ。でも、すまない。僕は、しらないんだ」


 マーカスさんは、そう言いながら頭を振った。
 となると、推測するしかない。仮想敵の軍服のことなんか、大したことではないかもしれない。だが、されど軍服だ。
 これがどんな影響を及ぼすか。そして、どんなことに利用されるかが、問題だ。
 少し考えていた俺は、ふとマーカスさんの部下のことを思い出した。


「マーカスさん、部下の人たちと連絡をとれませんか?」


 俺の問いに、マーカスさんは目をぱちくりと瞬かせた。


「いや、連絡はとれるけど……どうしてだい?」


 俺はマーカスさんの問いに答えようと口を開きかけて――思いとどまった。
 大した理由はない。ちょっとした意地悪を思いついただけだ。


「いやあ、俺は肉体労働担当なので。そのあたりの解釈は、頭脳労働の人に任せます」


「トト……いや、色々と悪いとは、思ってるんだよ? ただね。本当に、僕は肉体労働に向いていないんだ。喧嘩とかも弱いし」


 マーカスさんの独白に似た返答に、俺は苦笑しながら両手を挙げた。


「冗談なんで、気にしないで下さい。部下の人は、見張り役に欲しいんですよ。スコントラードにある塹壕のあたりとか」


「スコントラードにある塹壕……?」


 怪訝な顔をするマーカスさんに、俺は羊皮紙に三本の線を描いた。
 そして、国境までの距離や街の位置を記していく。


「そうです。今では使われていない、塹壕があるんですよ。工作員が隠れるには、もってこいの場所です」


「それはいいけど。塹壕なんて、スコントラードの兵士が巡回してるんじゃないかい?」


「戦時中なら、ですよ。砦とかならともかく、塹壕ですからね。両国の緊張が高まっているならともかく、平時においては兵士なんかいませんって。なにか工作活動をするなら、こういった場所は便利でしょうから」


「了解だ。二、三日かかると思うけど……呼んでみるよ」


「てか、そんな近くにいるんですね」


「まあ、ね。なにがあるか解らないから、近くの街で待機させている」


「それは、心強い」


 俺は話を終えると、椅子からベッドに移動した。


「トト?」


 呆れたような、それでいて苦笑しているような――そんなクリス嬢に手を振りながら、俺はベッドに横たわった。


「……疲れてるので、ちょっと横にならせて下さい」


「はいはい。わかりました。御食事の時間になったら、起こしますから」


 クリス嬢は俺の頭の横に腰掛けると、横に伸ばした俺の手を掴んだ。


「それまでは、こうさせて下さいね」


 手の平から、クリス嬢の体温が伝わって来た。
 それにどことなく安堵感を覚えながら、俺は睡魔に身を委ね寝ていった。

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本作を読んで頂き、まことにありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

塹壕というと……あれです。スナイパーライフルで一丁で日本刀と対峙するという、BF1のトラウマを思い出します。

なんともなりませんわ……あれ。

『屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです』も、宜しくお願いします!

読んで頂いている方々におかれましては、感謝しか御座いません。

少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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