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第二章~魔女狩りの街で見る悪夢
間話 ~ 真っ白い、嫌な夢
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間話 ~ 真っ白い、嫌な夢
小麦粉で真っ白になった台所とダイニングテーブルを目の当たりし、母・中島恵美子は先ず呆然と立ち尽くしていた。
賃貸マンションの台所は、流し台と換気扇のあるコンロ台のみ。仕切りはなく、すぐ後ろにテーブルや冷蔵庫、食器棚などが置かれる間取りだ。
母親の視界の隅では、煎餅が入っていた缶の箱を満たしてるドロッとした液体を、六歳になる息子がトンカチで叩いていた。
呆然していた母親が、そんな息子の姿に気づいたのは、三〇秒以上も経ってからだ。
「健司っ!! なにやってるの!?」
母親の怒声に、作業に夢中になっていた中島健司は、ビクッと身体を硬直させ、その拍子にヌメリのある液体のついたトンカチを、床に落としてしまった。
驚きから凍り付いた顔で振り向く息子に近づくと、恵美子は健司の耳たぶを思いっきり引っ張った。
「こんなに散らかして! なにやってるか言いなさいっ!!」
「じ……実験」
「実験? 実験って……片栗粉と牛乳――をこんなにして、なにが実験よ。食べ物で遊ぶなって、いつも言ってるでしょ!?」
「遊んでない……科学の実験」
「科学ぅ? あんたの科学は、食べ物を無駄にしなきゃできないわけ!?」
テーブルの上に散った片栗粉を指で示す母親に、健司は少しの罪悪感と大きな気まずさから、目を伏せた。
「だって……材料が片栗粉だったし」
「片栗粉だったし、じゃないでしょ! 大体なんなの、この液体――ああ、もう、カーペットにまで付いちゃったじゃない」
母親が近くに置いてあった菜箸で液体をかき混ぜると、カチンと音がした。
怪訝な顔で液体の中の異物を菜箸で掴み上げると、それは母親のシルバーネックレスだった。高価な宝石ではないものの、メノウが飾り石になったものだ。
少し顔を青ざめさせた母親は、健司を睨み付けた。
「あんたは一体、なにをやってんの!? 人の物をオモチャにするなんて!!」
「オモチャにしてない……実験に使っただけ」
「実験じゃないでしょうがっ!!」
そこそこ大事にしていたネックレスを粘液まみれにされ、母親としては怒髪天どころの騒ぎではない。
顔を真っ赤にさせながら、健司へと怒鳴り声をあげた。
「あんた一人で、今すぐ、全部片付けなさい! いいねっ!?」
さもなくば、晩ご飯は抜き――その脅し文句で、健司は嫌々ながらも片付けをし始めたのだった。
午後四時から始めた片付けと掃除は、午後七時を過ぎたころに、漸く終わった。
*
真夜中に目が覚めた俺は、夢見の悪さに溜息を吐いた。
よりによって、前世の夢を見るなんて……ここ数年は、まったくなかったのに。マーカスさんが言ってた悪夢ってこのこと……じゃあないか。悪魔崇拝って言ってたし。
だけど、俺にとっては悪夢にも等しい内容だった。
……いや、ちょっとトラウマってだけだけど。
幼かったときとはいえ、母親のアクセサリーを実験に使ったなんて、今にしてみれば『そりゃ怒られるわ』って感じだ。
あのあと、半泣きで掃除したにも関わらず、嫁姑問題によく出てきそうな『ここに埃が残ってますよ』的な、容赦の無い指摘とチェックを受け続けたわけで。
そりゃトラウマにもなるって出来事だった。
なんとか晩ご飯は出たけど……妙に質素だった記憶がある。お茶漬けと目玉焼きにソーセージだけ、みたいな。
不満だったけど、機嫌の悪い母親の顔を見れば文句など言えないわけで。一番災難だったのは、親父だけど。
なにせ仕事から帰ってきて、用意してあった晩ご飯が先の内容だったのだから、そのショックは筆舌に尽くし難い状況だったに違いない。
それからしばらく、親父も俺に対して機嫌が悪かった気がするし。
そんなわけで俺は幼心に、人の物を使って実験をしてはいけない、ということを学んだのだった。
俺がベッドの上で溜息を吐いていると、不意にガランに話しかけられた。
〝どうしたのだ、トト?〟
「うん? ああ……久しぶりに前世の夢を見てさ。それもちょっと思い出したくもない感じのヤツを。久しぶりに調べ物なんてしたから、好奇心旺盛だった時代のことを思い出しちゃったのかな」
テーブルの上に置かれた数枚の羊皮紙――図書館で調べたことの覚え書きだ――を一瞥したとき、ガランが興味ありげな声で訊いてきた。
〝ふむ……転生者というのは、前世の記憶で夢というのを見ると?〟
「……みたいだよ。よくはわからないけど。脳みそと前世の記憶って、そういう繋がりになってるんだろうね、まったく。そういえば、ガランたちは夢を見ないっていってたよね? 寝ているときは、どういう感じになっているの? 寝て、気づいたら朝って感じ?」
〝……いや。身体を休めながら、周囲の警戒のために頭の半分は起きている状態だ〟
「ああ、なるほど。そりゃ夢なんか見ている余裕なんかないはずだよね。頭の中身は交互に休む感じなの?」
〝ふむ――それが一番近い状態かもしれぬな〟
「へえ……便利だなあ」
感心しながら、俺はベッドの中で横向きになって、枕元に置いてある竜の指輪を眺めた。
そんなこんなで――俺は再び睡魔が訪れるまで、ガランを相手に雑談を続けたのだった。
--------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、ありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
主人公で間話は初めてかもしれません。基本は脇役で書くのですが、前世の話ということもありましたので、間話でのアップとなりました。
親の私物で遊ぶというのは、あまり記憶にありません。
母親のミシンをシールまみれにしたり、父親のエロ雑誌を発見したくらいです。
今思い出しても、正直すまんかった、という念で一杯です。特に後者。
次回は日曜……月曜にずれ込むかもです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
小麦粉で真っ白になった台所とダイニングテーブルを目の当たりし、母・中島恵美子は先ず呆然と立ち尽くしていた。
賃貸マンションの台所は、流し台と換気扇のあるコンロ台のみ。仕切りはなく、すぐ後ろにテーブルや冷蔵庫、食器棚などが置かれる間取りだ。
母親の視界の隅では、煎餅が入っていた缶の箱を満たしてるドロッとした液体を、六歳になる息子がトンカチで叩いていた。
呆然していた母親が、そんな息子の姿に気づいたのは、三〇秒以上も経ってからだ。
「健司っ!! なにやってるの!?」
母親の怒声に、作業に夢中になっていた中島健司は、ビクッと身体を硬直させ、その拍子にヌメリのある液体のついたトンカチを、床に落としてしまった。
驚きから凍り付いた顔で振り向く息子に近づくと、恵美子は健司の耳たぶを思いっきり引っ張った。
「こんなに散らかして! なにやってるか言いなさいっ!!」
「じ……実験」
「実験? 実験って……片栗粉と牛乳――をこんなにして、なにが実験よ。食べ物で遊ぶなって、いつも言ってるでしょ!?」
「遊んでない……科学の実験」
「科学ぅ? あんたの科学は、食べ物を無駄にしなきゃできないわけ!?」
テーブルの上に散った片栗粉を指で示す母親に、健司は少しの罪悪感と大きな気まずさから、目を伏せた。
「だって……材料が片栗粉だったし」
「片栗粉だったし、じゃないでしょ! 大体なんなの、この液体――ああ、もう、カーペットにまで付いちゃったじゃない」
母親が近くに置いてあった菜箸で液体をかき混ぜると、カチンと音がした。
怪訝な顔で液体の中の異物を菜箸で掴み上げると、それは母親のシルバーネックレスだった。高価な宝石ではないものの、メノウが飾り石になったものだ。
少し顔を青ざめさせた母親は、健司を睨み付けた。
「あんたは一体、なにをやってんの!? 人の物をオモチャにするなんて!!」
「オモチャにしてない……実験に使っただけ」
「実験じゃないでしょうがっ!!」
そこそこ大事にしていたネックレスを粘液まみれにされ、母親としては怒髪天どころの騒ぎではない。
顔を真っ赤にさせながら、健司へと怒鳴り声をあげた。
「あんた一人で、今すぐ、全部片付けなさい! いいねっ!?」
さもなくば、晩ご飯は抜き――その脅し文句で、健司は嫌々ながらも片付けをし始めたのだった。
午後四時から始めた片付けと掃除は、午後七時を過ぎたころに、漸く終わった。
*
真夜中に目が覚めた俺は、夢見の悪さに溜息を吐いた。
よりによって、前世の夢を見るなんて……ここ数年は、まったくなかったのに。マーカスさんが言ってた悪夢ってこのこと……じゃあないか。悪魔崇拝って言ってたし。
だけど、俺にとっては悪夢にも等しい内容だった。
……いや、ちょっとトラウマってだけだけど。
幼かったときとはいえ、母親のアクセサリーを実験に使ったなんて、今にしてみれば『そりゃ怒られるわ』って感じだ。
あのあと、半泣きで掃除したにも関わらず、嫁姑問題によく出てきそうな『ここに埃が残ってますよ』的な、容赦の無い指摘とチェックを受け続けたわけで。
そりゃトラウマにもなるって出来事だった。
なんとか晩ご飯は出たけど……妙に質素だった記憶がある。お茶漬けと目玉焼きにソーセージだけ、みたいな。
不満だったけど、機嫌の悪い母親の顔を見れば文句など言えないわけで。一番災難だったのは、親父だけど。
なにせ仕事から帰ってきて、用意してあった晩ご飯が先の内容だったのだから、そのショックは筆舌に尽くし難い状況だったに違いない。
それからしばらく、親父も俺に対して機嫌が悪かった気がするし。
そんなわけで俺は幼心に、人の物を使って実験をしてはいけない、ということを学んだのだった。
俺がベッドの上で溜息を吐いていると、不意にガランに話しかけられた。
〝どうしたのだ、トト?〟
「うん? ああ……久しぶりに前世の夢を見てさ。それもちょっと思い出したくもない感じのヤツを。久しぶりに調べ物なんてしたから、好奇心旺盛だった時代のことを思い出しちゃったのかな」
テーブルの上に置かれた数枚の羊皮紙――図書館で調べたことの覚え書きだ――を一瞥したとき、ガランが興味ありげな声で訊いてきた。
〝ふむ……転生者というのは、前世の記憶で夢というのを見ると?〟
「……みたいだよ。よくはわからないけど。脳みそと前世の記憶って、そういう繋がりになってるんだろうね、まったく。そういえば、ガランたちは夢を見ないっていってたよね? 寝ているときは、どういう感じになっているの? 寝て、気づいたら朝って感じ?」
〝……いや。身体を休めながら、周囲の警戒のために頭の半分は起きている状態だ〟
「ああ、なるほど。そりゃ夢なんか見ている余裕なんかないはずだよね。頭の中身は交互に休む感じなの?」
〝ふむ――それが一番近い状態かもしれぬな〟
「へえ……便利だなあ」
感心しながら、俺はベッドの中で横向きになって、枕元に置いてある竜の指輪を眺めた。
そんなこんなで――俺は再び睡魔が訪れるまで、ガランを相手に雑談を続けたのだった。
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本作を読んで頂き、ありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
主人公で間話は初めてかもしれません。基本は脇役で書くのですが、前世の話ということもありましたので、間話でのアップとなりました。
親の私物で遊ぶというのは、あまり記憶にありません。
母親のミシンをシールまみれにしたり、父親のエロ雑誌を発見したくらいです。
今思い出しても、正直すまんかった、という念で一杯です。特に後者。
次回は日曜……月曜にずれ込むかもです。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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