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転生して古物商になったトトが、幻獣王の指輪と契約しました
一章-2
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2
領主の屋敷は、元城塞都市の例に漏れず街の中心に造られていた。街はブーンティッシュという国の地方都市、ドラグルヘッド市という。国の首都からほどよく近く、ほどよく遠い場所にある街だ。
高さが四インテト(約四メートル二〇センチ)ほどもある塀に囲まれた屋敷の門まで来た俺に、大柄な衛兵が睨みを利かしてきた。
俺は心の中で溜息をつくと、ポケットに手を入れたまま肩を竦めてみせた。
「トラストン・ドーベルっていいます。執事さんに、仕事を頼まれてきたんですけど?」
「ああ、話は聞いている。まさか、こんなガキとは思わなかった。少し待ってろ」
……ガキとか、うっさいわい。
言われた通り門の外で待っていると、今朝の執事が表に出てきた。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
執事に促されて、俺は門をくぐった。そこそこ整えられた庭園には、道に沿って花壇が並んでいた。赤い屋根が目立つ三階建ての屋敷まで、門からさほど遠くない。領主の屋敷でこの狭さは、城塞都市の宿命かもしれない。
花壇を三つほど通り過ぎたとき、右から二つの人影が近づいて来た。
一人は、明るい金髪にブルーアイの少年だ。年は俺より少し上くらい。被っている茶色の帽子、それに茶色の長ズボンと半袖のシャツは、どれも質が良い。
もう一人は、緑色のドレスに身を包んだ少女だ。少年と同じブルーアイに、明るい金髪を頭の両サイドで三つ編みにしていた。
二人とも気の強さが表情に表れ、さらに俺を睨みながら腕を組んでいた。膝や手が少し土で汚れているのは、花壇の世話でもしていたのだろうか? 少年の手には黄色い花を咲かせたタンポポが握られていた。
俺が立ち止まると、少年のほうが不機嫌そうに声をかけてきた。
「おまえ、この屋敷になんの用だ?」
「幽霊騒動を解決して欲しいって依頼がありまして。その話を伺いにきました」
「必要ない。帰れ」
少年からは予想通り、にべない言葉が返ってきた。ここで困るのが、相手の立場が不明確なことだ。どう言い返すのが適当なのか、判断するのが難しい。
無難な言葉を探している俺の横で、執事が仰々しく頭を垂れた。
「クレストン様、サーシャ様。こちらは、クリスティーナ様の依頼を受けた御方で御座います。御不満があるようで御座いますが、何卒ご容赦下さいませ」
「あいつの依頼だから、気に入らないんだ。」
「そのようなことを仰有られましても……屋敷の状況を鑑みてのことで御座います」
執事が最敬礼をすると、クレストンとサーシャの二人は、舌打ちを残して去って行った。
「ご気分を害すようなことを――申し訳ございません。改めて、お屋敷に参りましょう」
執事は俺に謝ってから、先へと進み出した。
言われるままに執事のあとを付いて行った俺は、正面玄関から屋敷の中に入った。僅かに鼻孔を擽るワックスと木の香り。昼間だからか、窓から差し込む日差しで内部は明るかった。玄関から左側には二階への階段、右側には角の二面に扉がある。
執事の案内で二階へと上がった俺は、左側の廊下にある一番手前のドアに通された。
応接室らしい室内には低いテーブルとソファが四つ、壁際には棚や柱時計、そして肖像画が三つほど壁に掛かっていた。
窓の近くでは、栗色の髪をした少女が棚を拭いていた。しかし、家政婦――元の世界ではメイドの名で有名な職だ――ではなさそうだ。濃い赤色のドレスを着て、髪は赤いリボンで両サイドを結っていた。
先ほどのサーシャという少女もそうだが、髪を結うのは裕福さの証だ。それだけの手間やリボンなどを使う余裕がある証拠である。
前髪が目を隠すほど長い少女は、俺に気づくと掃除をする手を止めて、背筋を伸ばした。
「あら、みっともないところを……申し訳ありませんでしたぁ」
のんびりとした口調で、少女は俺に会釈をしてきた。
「わたくしが依頼主のクリスティーナ・ローウェルと申します。どうぞ、クリスとお呼び下さいね」
「トラストン・ドーベルです」
会釈を返すと、クリスティーナ――クリス嬢は手を差し出して、俺に座るよう促した。
俺がソファに座ると、対面にあるソファにクリス嬢が腰を降ろした。
「早速ですが、依頼の話をさせて下さい。ここ最近、お屋敷で幽霊騒ぎが続いていて、とても難渋しておりますの。使用人たちも怯えてしまい……お恥ずかしい話ですが、辞める者も出てきている次第でして」
この辺りは、ダグラスさんから聞いていた話とおりだ。俺が「なるほど」と頷くと、クリス嬢は――前髪でまったく見えないが――目を伏せた。
「依頼は幽霊――または人為的なものに関わらず、この騒動を解決して頂きたいのです」
「なるほど。ですが、一つ問題が。うちはあくまで古物商です。幽霊や荒事は専門外ですし、人間相手だと手荒なことはできません。それでもいいんですか?」
「あ、あらぁ? ですが、お噂では幽霊騒動を何件も解決し、喧嘩にも強いと聞いておりますけど。酒場の店主さん? が、そう仰有っていたと」
ダグラスさんには今度、文句を言っておこう。うなりながら、俺はそう決めた。
「幽霊騒動は、勘違いなものばかりでしたし。喧嘩に強いっていうのは、やや誇張されてますね。噂なんか当てにならないって、いい例ですよ」
「あらぁ……でも、今はあなたしか頼れなくて……お願いできませんか?」
クリス嬢の言葉に、俺は諦めの気持ちを隠しながら頷いた。
「幽霊騒動は、昼夜問わず起きますか?」
「いいえ。夜だけです」
「そうですか……」
徹夜での見回りを想像した俺が、げんなりと顔を上げたとき、正面の肖像画が目に入ってきた。栗色の髪をした女性の手には一輪の白い花があるが、花弁の形からすると、タンポポらしい。
背景には、女性の左右に山の峰が描かれていた。空は青空ではなく、夕暮れ。左の山に夕日が沈みかけていた。
肖像画を見上げていると、クリス嬢が俺の視線を追った。
「ああ……あの肖像画は、御婆様なんですよ」
「御婆様――ということは、御領主の奥方ですか?」
「ええ。なにか気になるところでも?」
クリス嬢の問いに、俺は肩を竦めてみせた。
「いえ……貴族にしては、可愛らしい花を持ってるなって」
「あの白い花、実はタンポポでして……きっと塗り忘れだと思うんです。黄色に塗るよう知り合いの画家に依頼をしようとしたら、お爺様はこのままにしろと仰有って。お年がお年ですし、少しその、認識が曖昧になられているのでは、という人もいて――」
語尾を濁したクリス嬢は、なにかを思いついたように、ポンと手を叩いた。
「そうだ。これから、お爺様へのご挨拶をしに行きませんか? お屋敷の中を調べるのですし、顔合わせはしたほうがいいと思いますの」
「……そうですね。それは当然です」
「ええ。それでは、早速行きましょう」
*
クリス嬢の案内で三階へ上がったとき、少し離れた部屋から話し声が聞こえてきた。
「それでは、失礼します」
「会合が終わり次第――」
「はい。こちらへお連れします。それで伯爵。もし古代の遺物などをお持ちなら、是非譲っていただきたいのですが――」
「そんなものはないと言っているだろう!! 早く戻って、会合の準備をせぬかっ!!」
部屋からの怒声に、ベージュ色のドレスを着た女性は頭を下げてから、ドアから離れた。
明るい茶色の髪をアップに束ね、眼鏡をかけた中年の女性である。やや痩せており、双眸の光はかなり鈍いように見えた。
黄色い大粒の宝石が四つ並んだネックレスを下げた彼女の横には、五、六歳くらいの男の子が無表情に立っていた。小さな黄土色の宝石をつけたペンダントを下げ、服も品と質がかなり良いものを身につけていた。
俺の前を歩いていたクリス嬢が、女性に会釈をした。
「あら……市長さん、こんにちは」
「こんにちは。それでは」
言葉も短めに挨拶をすると、市長――アントネット・サーロン市長は、俺には一瞥をくれただけで去って行った。
ブーンティッシュで中央政府と国王による共和制政府が樹立されてから、各都市では元々の領主と市長が共存するという、ややこしいことになっている。
とはいえ、アントネット市長も貴族であることには違いない。夫の他界で、そのまま市長を継いだという話だ。
俺がアントネット市長を横目に見ていると、クリス嬢が声をかけてきた。
「お待たせしてしまって、申し訳ありません。こちらです」
クリス嬢はノックしてから、ドアを開けた。
部屋の中はベッドと低い棚、そして古いクローゼットがあり、壁には一定間隔で燭台が備え付けられていた。
どれも形はシンプルだが、なかなかに質の良いものばかりだ。特にクローゼットは、今から百年以上も前に造られたアンティーク品である。こういうのを商材にしたいものだけど……購入前に破産確定だ。
俺が興味津々な顔で周囲の調度品を眺めていると、ベッドで寝ている厳めしい顔の老人が咳払いをした。
「……君は誰かね」
「幽霊騒動の調査に、わたくしが依頼しましたの。トラストン・ドーベルさんです」
クレア嬢に紹介され、俺は慇懃に頭を下げた。
「トラストン・ドーベルと申します。街で古物商を営んでます」
「ゼネストル・ローウェルだ。孫娘の依頼だと?」
「……はい。そうです」
クレア嬢は、領主であるローウェル伯爵の孫娘だったのか。性は同じだから、一族の人だとは思ってたけど。
俺が頷くと、ローウェル伯爵は口をへの字に曲げた。
「まったく、幽霊などと。家の恥だ」
「しかし、お爺様。使用人たちが怯えておりますから、なにか対処はしなければいけませんわ。現に、三名ほど辞めてしまいましたし」
睨めるようにクリス嬢を一瞥してから、ローウェル伯爵は上半身を起こした。
「ドーベルと言ったな、少年。古物商だと」
「……はい」
俺が頷くと、ローウェル伯爵は僅かに目を伏せた。
「そうか。運命というヤツかもしれんな。君の祖父は、わたしの知り合いだった」
この話は、初耳だった。目を瞬かせた俺に、ローウェル伯爵は小さく手をあげた。
「屋敷の中を調べる許可は出そう。クリスティーナ、彼を案内してあげなさい」
「はい、お爺様」
恭しく頭を垂れてから、クリス嬢は俺に微笑んだ。
「どこから、御案内しましょうか」
「そうですね……もし、お屋敷にあるならトイレから」
糞真面目な顔で答えた俺に、クリス嬢はぽかん、と口を開けた。
この周辺で家屋の中にトイレがあるというのは、ごく一部の家だけだ。
大半は道端で済ませるか、バケツなどに用を足して道端や空き地に捨てている。あとは街や村に放たれた豚が、それらを餌代わりにする――という寸法だ。
だから表通りはともかく裏道に入ると、とても臭い。一般の家庭にトイレがあるというのは、近年に改築された裕福層の家くらいだろう。
クレア嬢に案内されて、俺は自分の寝室よりも広いトイレに入っていた。あとから増設されたらしく、場所は一階の一番端っこだ。
必要以上に豪華なトイレに腰を下ろした俺は、落ち着かないまま上を見上げた。
あ、天井に染み発見。あと、いくつか穴も空いてる……工事、以外と適当だなぁ。
俺は天井から視線を戻すと、首から提げていた指輪に触れた。
「さて……仕事を受けることになったわけだけど」
〝良かったのか?〟
「いいさ。せっかくの機会だし、ガランの身体の手掛かりでもあれば、めっけもんだよ。とはいっても、幽霊騒動の調査もしないといけないけどさ。しばらくは徹夜かなぁ」
〝ということは、今日は家には帰らないのか?〟
「そうなるかなぁ……そういえば、晩飯が出るのか聞いてないや」
〝なら一度帰宅して、準備をするべきだろう。魔術も二つほど減っている〟
「あ……そっか。そうだね」
溜息を吐いて立ち上がると、俺はトイレから出た。
とりあえずは大まかな部屋の把握と、幽霊騒動が起きた場所だけは調べておきたい。
トイレから出た俺は、廊下で待っているクリス嬢に相談することにした。
「すいません。一通り屋敷を見たら、一度家へ帰ってもいいでしょうか。その、食材とか処理しないと。スーパーマーケットやネットの宅配とかないんで、食材を貯め込んでて」
「スーパーマーケット――ネットの宅配!?」
驚いた顔をしたクリス嬢に、俺は内心で苦笑した。たまに、前世の知識で物事を言ってしまって、周囲の人を呆れさせることがある。
俺は「ああ、気にしないで下さい」と誤魔化してから、再度帰宅の許可を求めた。
領主の屋敷は、元城塞都市の例に漏れず街の中心に造られていた。街はブーンティッシュという国の地方都市、ドラグルヘッド市という。国の首都からほどよく近く、ほどよく遠い場所にある街だ。
高さが四インテト(約四メートル二〇センチ)ほどもある塀に囲まれた屋敷の門まで来た俺に、大柄な衛兵が睨みを利かしてきた。
俺は心の中で溜息をつくと、ポケットに手を入れたまま肩を竦めてみせた。
「トラストン・ドーベルっていいます。執事さんに、仕事を頼まれてきたんですけど?」
「ああ、話は聞いている。まさか、こんなガキとは思わなかった。少し待ってろ」
……ガキとか、うっさいわい。
言われた通り門の外で待っていると、今朝の執事が表に出てきた。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
執事に促されて、俺は門をくぐった。そこそこ整えられた庭園には、道に沿って花壇が並んでいた。赤い屋根が目立つ三階建ての屋敷まで、門からさほど遠くない。領主の屋敷でこの狭さは、城塞都市の宿命かもしれない。
花壇を三つほど通り過ぎたとき、右から二つの人影が近づいて来た。
一人は、明るい金髪にブルーアイの少年だ。年は俺より少し上くらい。被っている茶色の帽子、それに茶色の長ズボンと半袖のシャツは、どれも質が良い。
もう一人は、緑色のドレスに身を包んだ少女だ。少年と同じブルーアイに、明るい金髪を頭の両サイドで三つ編みにしていた。
二人とも気の強さが表情に表れ、さらに俺を睨みながら腕を組んでいた。膝や手が少し土で汚れているのは、花壇の世話でもしていたのだろうか? 少年の手には黄色い花を咲かせたタンポポが握られていた。
俺が立ち止まると、少年のほうが不機嫌そうに声をかけてきた。
「おまえ、この屋敷になんの用だ?」
「幽霊騒動を解決して欲しいって依頼がありまして。その話を伺いにきました」
「必要ない。帰れ」
少年からは予想通り、にべない言葉が返ってきた。ここで困るのが、相手の立場が不明確なことだ。どう言い返すのが適当なのか、判断するのが難しい。
無難な言葉を探している俺の横で、執事が仰々しく頭を垂れた。
「クレストン様、サーシャ様。こちらは、クリスティーナ様の依頼を受けた御方で御座います。御不満があるようで御座いますが、何卒ご容赦下さいませ」
「あいつの依頼だから、気に入らないんだ。」
「そのようなことを仰有られましても……屋敷の状況を鑑みてのことで御座います」
執事が最敬礼をすると、クレストンとサーシャの二人は、舌打ちを残して去って行った。
「ご気分を害すようなことを――申し訳ございません。改めて、お屋敷に参りましょう」
執事は俺に謝ってから、先へと進み出した。
言われるままに執事のあとを付いて行った俺は、正面玄関から屋敷の中に入った。僅かに鼻孔を擽るワックスと木の香り。昼間だからか、窓から差し込む日差しで内部は明るかった。玄関から左側には二階への階段、右側には角の二面に扉がある。
執事の案内で二階へと上がった俺は、左側の廊下にある一番手前のドアに通された。
応接室らしい室内には低いテーブルとソファが四つ、壁際には棚や柱時計、そして肖像画が三つほど壁に掛かっていた。
窓の近くでは、栗色の髪をした少女が棚を拭いていた。しかし、家政婦――元の世界ではメイドの名で有名な職だ――ではなさそうだ。濃い赤色のドレスを着て、髪は赤いリボンで両サイドを結っていた。
先ほどのサーシャという少女もそうだが、髪を結うのは裕福さの証だ。それだけの手間やリボンなどを使う余裕がある証拠である。
前髪が目を隠すほど長い少女は、俺に気づくと掃除をする手を止めて、背筋を伸ばした。
「あら、みっともないところを……申し訳ありませんでしたぁ」
のんびりとした口調で、少女は俺に会釈をしてきた。
「わたくしが依頼主のクリスティーナ・ローウェルと申します。どうぞ、クリスとお呼び下さいね」
「トラストン・ドーベルです」
会釈を返すと、クリスティーナ――クリス嬢は手を差し出して、俺に座るよう促した。
俺がソファに座ると、対面にあるソファにクリス嬢が腰を降ろした。
「早速ですが、依頼の話をさせて下さい。ここ最近、お屋敷で幽霊騒ぎが続いていて、とても難渋しておりますの。使用人たちも怯えてしまい……お恥ずかしい話ですが、辞める者も出てきている次第でして」
この辺りは、ダグラスさんから聞いていた話とおりだ。俺が「なるほど」と頷くと、クリス嬢は――前髪でまったく見えないが――目を伏せた。
「依頼は幽霊――または人為的なものに関わらず、この騒動を解決して頂きたいのです」
「なるほど。ですが、一つ問題が。うちはあくまで古物商です。幽霊や荒事は専門外ですし、人間相手だと手荒なことはできません。それでもいいんですか?」
「あ、あらぁ? ですが、お噂では幽霊騒動を何件も解決し、喧嘩にも強いと聞いておりますけど。酒場の店主さん? が、そう仰有っていたと」
ダグラスさんには今度、文句を言っておこう。うなりながら、俺はそう決めた。
「幽霊騒動は、勘違いなものばかりでしたし。喧嘩に強いっていうのは、やや誇張されてますね。噂なんか当てにならないって、いい例ですよ」
「あらぁ……でも、今はあなたしか頼れなくて……お願いできませんか?」
クリス嬢の言葉に、俺は諦めの気持ちを隠しながら頷いた。
「幽霊騒動は、昼夜問わず起きますか?」
「いいえ。夜だけです」
「そうですか……」
徹夜での見回りを想像した俺が、げんなりと顔を上げたとき、正面の肖像画が目に入ってきた。栗色の髪をした女性の手には一輪の白い花があるが、花弁の形からすると、タンポポらしい。
背景には、女性の左右に山の峰が描かれていた。空は青空ではなく、夕暮れ。左の山に夕日が沈みかけていた。
肖像画を見上げていると、クリス嬢が俺の視線を追った。
「ああ……あの肖像画は、御婆様なんですよ」
「御婆様――ということは、御領主の奥方ですか?」
「ええ。なにか気になるところでも?」
クリス嬢の問いに、俺は肩を竦めてみせた。
「いえ……貴族にしては、可愛らしい花を持ってるなって」
「あの白い花、実はタンポポでして……きっと塗り忘れだと思うんです。黄色に塗るよう知り合いの画家に依頼をしようとしたら、お爺様はこのままにしろと仰有って。お年がお年ですし、少しその、認識が曖昧になられているのでは、という人もいて――」
語尾を濁したクリス嬢は、なにかを思いついたように、ポンと手を叩いた。
「そうだ。これから、お爺様へのご挨拶をしに行きませんか? お屋敷の中を調べるのですし、顔合わせはしたほうがいいと思いますの」
「……そうですね。それは当然です」
「ええ。それでは、早速行きましょう」
*
クリス嬢の案内で三階へ上がったとき、少し離れた部屋から話し声が聞こえてきた。
「それでは、失礼します」
「会合が終わり次第――」
「はい。こちらへお連れします。それで伯爵。もし古代の遺物などをお持ちなら、是非譲っていただきたいのですが――」
「そんなものはないと言っているだろう!! 早く戻って、会合の準備をせぬかっ!!」
部屋からの怒声に、ベージュ色のドレスを着た女性は頭を下げてから、ドアから離れた。
明るい茶色の髪をアップに束ね、眼鏡をかけた中年の女性である。やや痩せており、双眸の光はかなり鈍いように見えた。
黄色い大粒の宝石が四つ並んだネックレスを下げた彼女の横には、五、六歳くらいの男の子が無表情に立っていた。小さな黄土色の宝石をつけたペンダントを下げ、服も品と質がかなり良いものを身につけていた。
俺の前を歩いていたクリス嬢が、女性に会釈をした。
「あら……市長さん、こんにちは」
「こんにちは。それでは」
言葉も短めに挨拶をすると、市長――アントネット・サーロン市長は、俺には一瞥をくれただけで去って行った。
ブーンティッシュで中央政府と国王による共和制政府が樹立されてから、各都市では元々の領主と市長が共存するという、ややこしいことになっている。
とはいえ、アントネット市長も貴族であることには違いない。夫の他界で、そのまま市長を継いだという話だ。
俺がアントネット市長を横目に見ていると、クリス嬢が声をかけてきた。
「お待たせしてしまって、申し訳ありません。こちらです」
クリス嬢はノックしてから、ドアを開けた。
部屋の中はベッドと低い棚、そして古いクローゼットがあり、壁には一定間隔で燭台が備え付けられていた。
どれも形はシンプルだが、なかなかに質の良いものばかりだ。特にクローゼットは、今から百年以上も前に造られたアンティーク品である。こういうのを商材にしたいものだけど……購入前に破産確定だ。
俺が興味津々な顔で周囲の調度品を眺めていると、ベッドで寝ている厳めしい顔の老人が咳払いをした。
「……君は誰かね」
「幽霊騒動の調査に、わたくしが依頼しましたの。トラストン・ドーベルさんです」
クレア嬢に紹介され、俺は慇懃に頭を下げた。
「トラストン・ドーベルと申します。街で古物商を営んでます」
「ゼネストル・ローウェルだ。孫娘の依頼だと?」
「……はい。そうです」
クレア嬢は、領主であるローウェル伯爵の孫娘だったのか。性は同じだから、一族の人だとは思ってたけど。
俺が頷くと、ローウェル伯爵は口をへの字に曲げた。
「まったく、幽霊などと。家の恥だ」
「しかし、お爺様。使用人たちが怯えておりますから、なにか対処はしなければいけませんわ。現に、三名ほど辞めてしまいましたし」
睨めるようにクリス嬢を一瞥してから、ローウェル伯爵は上半身を起こした。
「ドーベルと言ったな、少年。古物商だと」
「……はい」
俺が頷くと、ローウェル伯爵は僅かに目を伏せた。
「そうか。運命というヤツかもしれんな。君の祖父は、わたしの知り合いだった」
この話は、初耳だった。目を瞬かせた俺に、ローウェル伯爵は小さく手をあげた。
「屋敷の中を調べる許可は出そう。クリスティーナ、彼を案内してあげなさい」
「はい、お爺様」
恭しく頭を垂れてから、クリス嬢は俺に微笑んだ。
「どこから、御案内しましょうか」
「そうですね……もし、お屋敷にあるならトイレから」
糞真面目な顔で答えた俺に、クリス嬢はぽかん、と口を開けた。
この周辺で家屋の中にトイレがあるというのは、ごく一部の家だけだ。
大半は道端で済ませるか、バケツなどに用を足して道端や空き地に捨てている。あとは街や村に放たれた豚が、それらを餌代わりにする――という寸法だ。
だから表通りはともかく裏道に入ると、とても臭い。一般の家庭にトイレがあるというのは、近年に改築された裕福層の家くらいだろう。
クレア嬢に案内されて、俺は自分の寝室よりも広いトイレに入っていた。あとから増設されたらしく、場所は一階の一番端っこだ。
必要以上に豪華なトイレに腰を下ろした俺は、落ち着かないまま上を見上げた。
あ、天井に染み発見。あと、いくつか穴も空いてる……工事、以外と適当だなぁ。
俺は天井から視線を戻すと、首から提げていた指輪に触れた。
「さて……仕事を受けることになったわけだけど」
〝良かったのか?〟
「いいさ。せっかくの機会だし、ガランの身体の手掛かりでもあれば、めっけもんだよ。とはいっても、幽霊騒動の調査もしないといけないけどさ。しばらくは徹夜かなぁ」
〝ということは、今日は家には帰らないのか?〟
「そうなるかなぁ……そういえば、晩飯が出るのか聞いてないや」
〝なら一度帰宅して、準備をするべきだろう。魔術も二つほど減っている〟
「あ……そっか。そうだね」
溜息を吐いて立ち上がると、俺はトイレから出た。
とりあえずは大まかな部屋の把握と、幽霊騒動が起きた場所だけは調べておきたい。
トイレから出た俺は、廊下で待っているクリス嬢に相談することにした。
「すいません。一通り屋敷を見たら、一度家へ帰ってもいいでしょうか。その、食材とか処理しないと。スーパーマーケットやネットの宅配とかないんで、食材を貯め込んでて」
「スーパーマーケット――ネットの宅配!?」
驚いた顔をしたクリス嬢に、俺は内心で苦笑した。たまに、前世の知識で物事を言ってしまって、周囲の人を呆れさせることがある。
俺は「ああ、気にしないで下さい」と誤魔化してから、再度帰宅の許可を求めた。
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