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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』

エピローグ

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 エピローグ


 俺が目を覚ましたのは、安貞の一件が終わってから五日後のことだった。
 目が覚めたのは、嶺花さんの屋敷の客間だ。気を失ったあと、俺を人里の町医者に運んでくれたのは、タマモちゃんに――墨染お姉ちゃんだったらしい。
 俺の傷を癒やしたのは医者の治療にアズサさんの霊符、そして墨染お姉ちゃんのもたらした薬草だ。
 墨染お姉ちゃんは医者に薬草を託したあと、アズサさんに捕らえられたという。
 そのあと――嶺花さんによる尋問と裁きが行われたそうだ。そのときの内容は、俺にとっても辛いものだった。

   *


「事情はわかった」


 胴体ごと両腕を縛られた墨染からことの経緯を聞いたあと、険しい顔の嶺花は吐き出すように言った。
 尋問は屋敷の広間で行われていた。記録を取るために、会話の内容を書き留めているアズサはいるが、他には誰もいない。
 煙管に伸ばしかけた手を途中で止め、苛立ちを紛らわせるように、乱暴に髪の毛を掻き毟った。


「だが、納得はしてない。だってそうだろう? 独断する必要が、どこにある。あたしらに相談することだってできたし、安貞を止め、もっと平和的に浄化することだってできたはずだ」


 嶺花は怒りを抑えながら告げたが、墨染は首を横に振ることで、その意見を否定した。


「安貞様は悪霊だったわけでは御座いません。呪術で呼び出されたとはいえ、願いを叶えることで、成仏なされる可能性もありましたから」


「そのために、要石を破壊したというのか! どんな影響が出るかもわからぬというのに、恋仲だった男のために、破壊したのか、あんたはっ!!」


 激高した嶺花の怒声が、屋敷中に響き渡った。アズサが首を竦める中でも、墨染の表情はピクリとも変わらなかった。


「……言い訳をするつもりは御座いません。少なくとも、〈穴〉の要石を壊しには行ったのですから」


「この――あんたは、青葉山と黒水山でなにをやったのか、忘れたというのかい。ええ? 言っておくが、あたしは裏切りを許すつもりはない」


 臓腑の底から搾り出すように嶺花が怒りを吐き出したとき、前触れもなく広間の襖が開いた。
 肩を襖の端に凭れさせるようにした流姫が、まっすぐに嶺花へ顔を向けた。


「……ちょいと待っておくれ。黒水山の要石は、破壊されていない」


 まだ麻痺の影響が抜けきっていないのか、流姫はふらふらとした足取りで広間に入ると、墨染の隣に腰を降ろした。
 足を崩し、左手を畳に付けた流姫に、墨染は深々と頭を下げた。


「この度は、大変なご迷惑をおかけしました」


「まったくね。まだ身体がふらつくんだ。青龍の加護があるにせよ、大した力の持ち主だだよ、あんたは」


 流姫は小さく微笑んでから、嶺花へと向き直った。


「さて、さっき言ったことの説明をしよう。墨染が……安貞だっけか。侍を伴って黒水山に来る前日に、手紙が届いたんだ。侍たちが来る前に要石を隠し、偽物を置いて欲しいってね」


「……それは、本当ですか?」


 驚く嶺花に頷いた流姫は、ちらりと墨染を見た。


「なんのことかとは思ってたが、墨染はあたしと戦っている最中に言ったんだ。『準備は終わっているか』ってね。あの手紙を届けたのは、墨染なんだろう?」


「あちきに仕えてくれる、鎌鼬たちです」


「でも、指示を出したのは墨染なんだろう。破壊された青葉山の要石は、本物だったのかい?」


 その問いに墨染は少し悩んでから、淡々と答え始めた。


「偽物です。本物の要石は、土台から少し離れたところに埋めてあります。その際、青葉山で発光現象が起きてしまいましたが……」


「よく、丁度良い大きさの岩を見つけたね。あたしは一晩、探し廻ったけどさ」


「石は……このお屋敷の庭にあった岩を使わせて頂きました」


「あの、無くなった岩か!」


 庭から忽然と消えた岩――すっかり忘れていたものを思いだし、嶺花は思わず大声を出していた。
 墨染が失踪した直後の出来事で、そのあとで青葉山の発光現象も起きたため、岩如きを気にしている余裕がなかったのも、忘れていた一因だろう。
 大口をあけてポカンとしている嶺花に、流姫は右手を小さく振った。


「そういうことさ。墨染は本気で、あたしらを裏切ったわけじゃない。とはいえ、それに気付いたのは麻痺をして、ここに運び込まれたあとだけどさ。情状酌量ってわけじゃないけどさ、その辺りは考えてやってもいいと思うけどねぇ」


 流姫の言葉に、嶺花は深々と溜息をついた。


「だが、一つわからないところもある。なぜ、烏森には要石の偽物の話や、事情を伝えなかった?」


「安貞様の元へ行った以上、合わせる顔がありません。敵対して、憎んで頂いたほうが……堅護さんにとっては楽ではないかと、そう考えておりました。ですが争っている最中に堅護さんのお考えを知って、それが誤りだったと気付きました」


 墨染の返答を黙って聞いていた嶺花は、悩むような顔で頭を掻いた。


「まったく……樹霊っていうのは情が深すぎる。あたしには、理解できない。できないが……処罰は決めなくてはならない」


「嶺花殿の役目は、理解しております。どうぞ、死罪でも追放でも、お好きになさって下さい」


「……気楽に言うな」


 嶺花は堪らず、溜息を吐いた。
 墨染の覚悟は、本物だ。堅護を助けるため、墨染は処罰を覚悟で人里に戻って来た。それがどんな罪であれ、堅護が死ぬよりはいいと考えたのが、嶺花にもひしひしと伝わってきた。
 それに要石の偽物のことなど、流姫の言うとおり一考の余地は残されていた。
 しばらくのあいだ、広間はしんと静まり返っていた。重苦しい唸り声で沈黙を破った嶺花は、まだ怒りの残った複雑な顔を墨染に向けた。


「屋敷の牢に、十日。追放も考えたが……それは、今から言うことを終えてから考える。十日後、烏森にすべての事情を伝えた上で、二人で話し合え。話の内容は、こちらから指定はしないから、二人でじっくり話し合いな。今のあんたには……これが一番の処罰だろうさ」


 嶺花は大袈裟に手を振ると、ゴロンと寝転がってしまった。

   *

 この尋問と裁きが終わってから、今日で十日目だ。
 俺の傷は薬湯や霊符などの効き目のおかげか、痛みもほとんど無くなっていた。予めアズサさんから裁きのことを伝えられていた俺は、ずっと家で待っていたけど……夜になっても、墨染お姉ちゃんは来ていない。
 もしかしたら、俺と会うこと無く、人里を去ったんじゃ……という考えが、頭の中で何度も蘇る。

 ……もし、本当に墨染お姉ちゃんが人里を去ったのなら、俺もここにいる理由がなくなるな。

 人里というだけでなく、妖界にいる意味もない。
 いっそ、墨染お姉ちゃんを捜す旅に出ようか……と考え始めたころ、家の引き戸が小さく叩かれた。
 俺は逸る気持ちを押さえきれずに、引き戸を開けた。


「堅護さん……」


 月明かりに照らされた墨染お姉ちゃんが、そこにいた。俺は感極まったのか言葉を詰まらせてしまったけど、咄嗟に墨染お姉ちゃんの手を掴んでいた。


「な……中に、中に入って」


 俺は墨染お姉ちゃんを座敷に上げると、その正面に座った。
 先ず話をしたのは、安貞さんのこと。それから、行方不明になったあとの生活のこと、嶺花さんの裁きのことを、墨染お姉ちゃんは淡々と話してくれた。
 ふと話が途切れたとき、俺は少し視線を下にしながら、胸の中にある悲しい予想を誤魔化しつつ、口を開いた。


「これから……どうするの?」


「わかりません。ただ……あちきは、この町を離れたほうがいいと、考えています。色々な方々に、迷惑をかけてしまいましたから。そのほうが、いいのではと……」


「俺は、そんなのイヤだ」


 墨染お姉ちゃんの言葉を遮るように、俺は顔を上げながら喋り始めた。


「墨染お姉ちゃんが居なくなってから、ずっと俺の頭はぐちゃぐちゃだったんだ。侍と一緒にいることに嫉妬もしたし、悲しくもなった。寂しさもあったし、怒りが沸いたこともあるんだ」


「堅護さん、すいませんでし」


「でもね」


 再び墨染お姉ちゃんの言葉を遮った俺は、少しだけ身を乗り出した。


「そんなぐちゃぐちゃを受け入れたあと、最後に残ったのは……やっぱり俺は墨染お姉ちゃんと一緒に居たいって、そんな気持ちだけだったんだ」


「堅護さん……とても有り難い御言葉です。けれど、あちきにはその資格がございません。理由はどうあれ、ほかの男へ行ってしまったのですから」


「でもそれは、安貞さんの魂を救うためじゃないか。そうなんでしょ?」


「そうですが……それでも、そのような不貞をしたのも事実です」


「誰かを助けるために動くのは、不貞なんかじゃないよ。それに俺は、不貞とか不貞じゃないとかはどうでもよくて、ただ墨染お姉ちゃんと一緒にいたいんだ。それとも墨染お姉ちゃんは、俺と一緒にいるのはイヤなの?」


「そんなこと――あちきも堅護さんのお側に居たいです。でも堅護さんは、本当によろしいんですか? あちきは、あなたになにも話さぬまま、安貞様のとこへ行ってしまった女です。こんな女を、許して下さいますの?」


 瞳に泪を浮かべる墨染お姉ちゃんに近寄った俺は、照れから少しだけ悩みながら、両肩に手を添えた。


「許すもなにもないよ。俺は、墨染お姉ちゃんと一緒にいたい。後にも先にも、それだけなんだ」


「堅護さん……」


 涙が頬を伝い、それを隠すように墨染お姉ちゃんは両手で顔を覆った。
 俺は墨染お姉ちゃんの左隣に座ると、そっと肩を抱いた。しばらくして、墨染お姉ちゃんは顔を上げると、肩を抱いていない俺の手に触れた。



「堅護さん……お願いが御座います」


「なに?」


「もう二度と、あちきが堅護さんを裏切らないよう……今回のようなことが起きないようにしたいんです。ですから……あちきを堅護さんの女にして下さい」


「それってどういう――」


 意味? という言葉まで、俺は言えなかった。なぜなら、墨染お姉ちゃんが、俺の手を着物の帯締めの結び目に誘ったからだ。
 俺は慌てて手を引っ込めようとしかけたけど、不意に安貞の言葉が脳裏に蘇った。


〝墨染はあれで、心配性なところがあるからな。想いを伝えるのを躊躇ったり、愛情表現をするのを渋ったりすると、かなり不安になるからな――〟


 もしこれで、墨染お姉ちゃんが安心できるなら……と思ったけど、照れで顔が真っ赤になっているであろう俺の頭の中は、すでに真っ白になりかけていた。
 思考が混濁して、なにも考えられない。


「あ、あの……俺、なにをしたらいいか、どうすればいいか、全然わからない……んだけど、その」


「心配しないで下さいませ。全部、あちきが教えて差し上げますから」


 墨染お姉ちゃんは俺の指を動かしながら、器用に帯締めを解いていく。その指先の感触が、俺の思考をさらに真っ白に染め上げていく。


「す、墨染お姉ちゃん、あの――」


「駄目ですよ、堅護様?」


 墨染お姉ちゃんは微笑むと、そっと俺の頬に触れた。


「あちきのことは、呼び捨てにして下さい。それから、先ずは唇を重ねて――」


 そう言って目を閉じる墨染お姉ちゃんを見つめていると、どこか催眠術にでもかかったかのように、俺の身体は言われたとおりに動いていた。


「墨染……」


 唇を重ねると、墨染の手が俺の背中に回された。

   *

 開けて次の日。
 俺と墨染お――いや、墨染は、色々と報告をしに嶺花さんの屋敷へと訪れていた。
 まずは一報を告げた俺たちに、嶺花さんは露骨に不機嫌そうな顔をした。


「……悪いが、もう一度言っておくれ」


「ですから……その、俺と墨染は祝言をあげたいと思っています。色々とあったばかりですので、念のため嶺花さんへは報告と許しを頂きたく……あの、来たわけなんですけど」


 嶺花さんの睨みが怖くなって、最後のほうは言葉がぐちゃぐちゃになったけど。
 そんな俺に、嶺花さんは拳で畳をドン、と殴りつけた。


「墨染が裏切りじみたことをした、昨日の今日だ! 烏森、墨染があんたを裏切らないと信頼した根拠は、どこにあるっていうんだっ!」


「それは……その、ですね」


 昨日のことを答えようとしたけど、気恥ずかしさから声が出ない。
 俺の右に座っていた墨染が、俺の右拳に手を添えながら嶺花さんに微笑んだ。


「あちきは昨晩、堅護様の女になりました。そこで、あちきの中に……堅護さんが息づいているのが、わかりますから。だから、もう裏切りなど致しません」


 墨染の言ったことの意味が理解できたのか、嶺花さんは俺をチラッと睨めてから、盛大な溜息を吐いた。


「まったく、あんたたちは……まあ、いい。あたしも馬に蹴られたくはないからね。好きにしな。あの呪禁師に指示を出していた黒幕も、人界で処罰されたようだし。しばらくはここも安泰だろうさ」


「人界の人が、呪禁師を?」


 俺の問いに、嶺花さんは「ああ」と短く応じた。


「金御門家の頭領が指示を出していたらしい。土御門家から処分が下り、他の三家で金御門家への監視と指導が入るそうだ。頭領は土御門家で、かなり酷い処罰を受けるらしい」


 俺の問いに答えてから、嶺花さんは俺と墨染を順に睨めた。


「祝言を認める代わりに、条件がある。まずは墨染――いいかい、次はないからね。覚悟しておくんだ。そして烏森! あんたは墨染がまた馬鹿をしないよう、ちゃんと面倒を見ろ。それから多助や次郎坊たちへ、謝罪しに行け。この三つが条件だ」


 俺と墨染は互いに顔を見合わせてから、嶺花さんに頷いた。


「はい」


「御意にございます」


 二人で最敬礼をしたところで、話は終わりとなった。




 堅護と墨染が去ってから、嶺花は疲れたように息を吐いた。
 呆れ半分、そして苛立ち半分――といったところだ。堅護が、人里に残るよう墨染を説得するところまでは予想していたが、祝言をしたいと言ってくることまでは、予測していなかった。
 墨染の性格を考えれば、堅護への執着が増すとは思っていたものの、嶺花は自分の予測の甘さを少し後悔した。


(まったく……これだから樹霊は理解できん)


 嶺花がそう考えたとき、横にいたアズサが「まったく……」と呟きながら溜息を吐いた。
 てっきり、その溜息は自分と同じ意味合いのものだと思った嶺花は、口の端を歪めながら、煙管に手を伸ばした。


「あの二人に呆れたんだろ? あたしも同じだからね。気持ちはわかるさ」


 その言葉に、アズサは慌てて首を振った。


「あ、いえ……さっきのはですね。あの二人が夫婦になったら、烏森さんの春画が描けなくなるなって思ってですね。独身ならいざ知らず、妻のいる人を春画の題材にするのは、さすがに気が引けますから」


 最近では一番売れる題材だったんですけど――そう告げるアズサに、嶺花は思わず天井を見上げた。


(まったく……どいつもこいつも)


 すでに怒りなど数光年は通り越し、呆れながら、項垂れることしかできなかった。


 ――まともなヤツは、人里にいないのかねぇ。


 そんなことを悩みながら、嶺花は煙管を吹かしたのだった。


                                     完

--------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、まことにありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

……アップがこんな時間になった理由は、文字数をご覧頂ければ御理解いただけると思います(滝汗

四章-5 と分割するか迷った挙げ句「まあ、三千文字ちょっとくらいか」という憶測でエピローグ一本にしたんですけれど……なんかもう、産まれてすいません。

本作ですが、とりあえず三部までで、書きたい内容はすべて話として纏めることができました。
ここまでお付き合い下さった方々、本当にありがとうございます。

安貞のことを調べていると、墨染(小野小町姫)って恋愛依存症かな――って思うときがあります。

歌舞伎では、安貞はすでに死んでおり、登場人物としては兄の宗貞が出ているんですが……小野小町姫は、この兄と恋仲なんですね。
でも安貞とは愛の契りを交わしているあいだから。

……江戸時代の価値観ですから、現代とは異なるとはいえ。
恋愛依存症な部分はあるのかなぁ……と。

海外でも、ドライアードが気に入った人間を木の中に閉じ込めるとかありますし、古今東西、木の精霊というのは恋愛が重い傾向なんでしょうか?

とまあ、長々と書きましたが、書きたいことを書いたので、次のは話は正直、未定です。


考えてもみたんですが、思いついたのは

自身が書いた春画を「男同士しか書けない半端もの」と酷評され、怒りに我を忘れたアズサ。霊符を使って、文句を言っていた若者衆を、男色物好きへと変えてしまう。

これを切っ掛けに、アズサは気付いてしまった。


「この力で、妖界すべてを腐男子、腐女子にしていまえば同人活動が捗るんじゃない?」


 夜な夜な町に出ては、霊符で眠っている町の人を腐男子、腐女子へと変えていくアズサ。その結果、春画だけに留まらず、現実にも男色に走ってしまう男衆が増加していった。
 このままでは、子どもを作るという営みが潰え、妖界はゆっくりと滅びの道を歩んでしまう。

 その危機感を持ちながらも、その内容が内容である。

 堅護たちはあまり関わりたくないと思いながらも、イヤイヤ重い腰を上げるのだった。

 新シリーズ・闇落ちしたアズサ~世界を腐界から護れ!


というものなんですが。
余りにも毛色が違いすぎて、速攻でボツにしました。
お察しいただけたら幸いです。

 とりあえず、これにて完結ということで……。ただ、設定上は完結にしません。なにか思いついたら、再開するかもです。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

ひとまずは、これまでありがとうございました!

他の作品も書いていますので、どうぞそちらもよろしくお願いしたします。
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