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第二幕 『黒き山と五つの呪詛』
三章-3
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鬼たちの住処の最奥の聖域ともいえ、さらに人里に四神の加護を与えている黄龍の地の中心ともいえる〈穴〉の周囲は、生い茂る木々に覆われていた。
陽炎のような太陽は、まだ頭上まで昇っていない。だけど岩場となっている〈穴〉の周囲は、暖かい日差しに包まれていた。
その岩場と木々の境目で、墨染とアズサは丁度良い岩に腰掛けていた。霊符で生み出した絨毯のような式神を岩に敷いて、のんびりとした雰囲気で話をしている。
墨染とアズサは特別、親しいわけではない。しかし、年頃の女子――という年齢でもないかもしれないが――が二人いれば、それなりに話は弾むものである。
「なるほど。堅護さんが煮え切らないというか、一線を越える気配がないですか」
「ええ。未だにお姉ちゃんと呼ばれて――あ、お姉ちゃんと呼ばれるのは、イヤではないんです。けれど、あちきの気持ちは、お伝えしたつもりですのに……」
表情を陰らせる墨染からは、堅護との恋愛に対する自信が窺えない。見目麗しいと人里で噂になっている墨染が、こんな悩みをもっているとは誰も思わないだろう。
アズサは人差し指を額に押し当てながら、元々住んでいた人界のことを思い出そうとした。
「あたしも、そんなに詳しいわけではないんですが……恋愛に消極的な男子が、増えてきてたって話があったような」
「人界では、そんなことになっておりますのね」
「ええ……趣味とか多様性? 妖界に比べると、できることも増えてますから。それに、あの年頃の男の子は、恋愛に慣れてないって子も多いみたいですよ。ただ端から見ていても、烏森さんは墨染さんのこと、大好きだと思うんですよね」
「本当に、そう思います?」
「ええ。それだけは、断言できますよ。あたしでも察しがつくくらい、分かり易いですよ」
トン、とアズサは胸を叩いてみせたが、墨染の表情は晴れなかった。
「その好きというのは……幼い頃に会った、お姉ちゃんに対するものかもしれないと……そう思えてしまって」
「ううん……それとは違うと思うんですけどねぇ。あ」
最後に言ったアズサの「あ」に、墨染が反応した。
顔を上げた墨染の目には、堅護は消極的な原因がわかるのではという、期待の色が浮かんでいた。
アズサはそんな墨染の顔を眺めながら、「これは仕方ないことなんですけど」と前置きをした。
「墨染さんは、美人過ぎますから。気後れしてる可能性はあるかも……ですよ」
「そうでしょうか? あちき自身は、気にしたことがないものですから、よくわかりませんけれど」
「いや、それが美人さんの余裕というかですね。人によっては、喧嘩を売られたと思いますから。あまり、そういうことは言わないほうがいいですよ」
どこか物悲しくなってきたアズサがガックリと肩を落としたとき、二人が座っている背後で、なにかが藻掻くような音がした。
〝おまえさんがた……呑気に話などしておらず、拘束を解いてくれんか〟
鼻頭の黄色い猿が、黒い蔓で全身を拘束されていた。
顔は膨れあがり、片目は腫れでほとんど開いていない。口を見れば、ほぼ均等に並んでいる牙が、数本ほど折れていた。
これは勿論、墨染とアズサの仕業だ。
堅護たちと別れて〈穴〉を訪れた墨染とアズサは、猿と一つ目の大男に襲われたのである。
〝ヒヒッ 女が相手とは運がいいわい。精気をたんまりと喰らってやるとするか〟
襲撃を仕掛けた当初、黄鼻の猿は、そんな余裕の表情を浮かべていた。しかし、アズサの〈ごーるどぶれいかー〉の一撃を受けてからは、顔から笑みが失せた。
土気を放つ一つ目にしても、木気の神獣である青龍の加護を受けた墨染にとっては、さほど苦労する相手ではなかった。
墨染が得意とする麻痺の効果のある赤い蔦と、桜の枝の一撃の連撃で、いとも容易く斃してしまった。
あとは呪いと源である呪具を探すだけだが、墨染はもとよりアズサも戦いで消耗した妖力や霊符などが回復していない。
その回復を待つあいだ、井戸端会議――もとい、恋愛相談をしていたわけである。平穏な光景に見えなくも無いが、後ろで拘束されたまま放置されていた黄鼻の猿にとっては、苦悶でしか無い。
そんな黄鼻の猿を振り返った墨染は、黒い蔓の拘束を強めた。
「お黙り? 今は、あなたに構っている暇はないの」
再びアズサとの会話に戻ってしまった墨染に、黄猿はぽかんと口を開いたまま、言葉を失っていた。
〝この娘ッ子らは――〟
ちょっと変。
文句を言いたかったが、それでまた、蔓の力を強められたらたまらない。
そんな黄猿を尻目に、墨染は小さく溜息を吐いた。
「あちきでは、堅護さんは恋人と思ってくれないんでしょうか?」
「そうじゃなくてですね。さっきも言いましたけど、気後れしてるのかなって。墨染さんの恋人として、自分が相応しいのか――悩んでいるのかも。人里の男衆と話をすれば、墨染さんへの好意とか、お二人の関係への嫉妬とか、耳にするでしょうし」
これは堅護が、反物屋の若旦那から言われたことでもある。
『あんな美人が相手だと、なにかと持て余すだろうぜ?』
アスサの推測は、見事に的中していた。
浅く息を吸った墨染に、アズサは安心させるように微笑んでみせた。
「その辺りのことを、堅護さんと話をしてみて下さい。そのほうが、いいと思います。脳内以外の恋愛経験がないから、このくらいしか助言はできませんけど」
「いいえ。アズサ殿、ありがとうございます」
言葉を正した墨染に頷いたアズサは、手に霊符を造り出した。
「さて、それでは」
アズサは指で霊符を弾いた。すると、まるで意志を持っているかのように、霊符は黄猿の額に貼り付いた。
〝これは、なにか?〟
「質問です。この〈穴〉の地に、呪具はありますか?」
〝そんなことを喋るわけが――少し北に行った場所にある、切り株の根元に埋めたぞ――ん!?〟
話すつもりのない呪具の在処を口にした黄猿は、自分の発言に驚いた。
アズサは立ち上がると、新たな霊符で生み出した金属バットの〈ごーるどぶれいかー〉を握った。
「墨染さん。あたしは呪具を回収してきます。この猿を監視しておいて下さい」
〝おい、娘! わしになにをした?〟
「ああ、その霊符はですね。嘘を言えない、黙っていられない――そんな効果があるんです。すべての質問に、正直に答えますので、尋問に便利なんですよ」
アズサの返答を聞いた黄猿は、愕然とした顔をした。
それから程なく、呪具を回収したアズサが戻って来た。黄猿の処分は嶺花に委ねることに決めた墨染とアズサは、一先ず人里に戻ることにした。
「アズサ殿。あちきは嶺花殿に会ったあと、黒水山に向かいます」
「はい。是非、そうして下さい」
頷くアズサに、墨染は微笑んだ。
「それにしても、驚きました。アズサ殿が男色の春画以外にも、お話ができる人だったなんて」
「いやまあ、そこは否定しません。これを切っ掛けに、堅護さんの使用許諾を許容すればいいなって、思っただけですから」
「……そこは、お許しするつもりは御座いません」
墨染の返答に、アズサはガックリと項垂れた。半泣きで「ですよね……」と答えながらも、内心では違うことを考えていた。
(しまった、まだ時期尚早だった……)
次の機会があれば、もっと時間をかけよう――アズサは決意を新たに、墨染には見えない位置で拳を握った。
……この懲りないアズサの精神力は、人里でも随一だ。残念なのは、それがただの人迷惑にしかなっていない事実――かもしれない。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
プロット作成時では、この回は戦闘描写ばかりだなーと思っていたんですが。プロット完成時には戦闘シーンがほぼ無いという事態に。
……なぜ? と自問した記憶があります。
結論として、「ま、しゃーない」になるわけですが。
では最後に……。
「屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです」のほうも、宜しくお願いいたします。
読んで頂いている方々に置かれましては、感謝しかございません。いつも、ありがとうございます。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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