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第二幕 『黒き山と五つの呪詛』
二章-2
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嶺花の屋敷にある小屋――堅護やアズサが住居にしているものだ――の一つに、多助という妖が住んでいた。
多助はナマハゲという妖であると同時に、堅護や墨染と同じく、四神である朱雀の加護を得ていた。
厳めしい赤ら顔でボサボサの髪、鬼のように一本の角も生えている。動物の毛皮を衣服代わりにして、腰には包丁を下げている。
そんな、見るからに剣呑な妖めいた多助は今、台所でお粥を作っていた。
ぐつぐつと煮える土鍋を竃から上げると、竹で編まれた鍋敷きの上に置いた。湯気の立つ土鍋が冷めるのを待ちながら、多助は布団の中で横になっている沙呼朗に近寄った。
蛇のような頭部のみを布団から出した沙呼朗に、多助は優しく声をかけた。
「沙呼朗、具合はどうだ? 粥が冷えたら持って来る」
「世話をかけて、すまない……多助。や、病が落ち着けば、すぐに出て行く……」
「なにを言っているんだ、沙呼朗よ! おまえと俺の仲じゃねぇか。こういうときくらい、思う存分に頼ってくれ」
沙呼朗はここ三日ほど、体調を崩していた。
ミズチという妖であり、さらに玄武の加護を得ている沙呼朗が病になるなど、本来なら有り得ぬことだった。
さらにいえば、沙呼朗は嶺花の屋敷には住んでいない。水場に近い場所のほうが体質に合っているようで、人里から少し離れた水場に居を構えていた。
体調を崩し、原因不明の病に冒された沙呼朗は、一〇〇年来の友人である多助を頼ったというわけだ。
それから、三日。沙呼朗はほぼ寝たきりになっていた。
「昨日は、少し良くなったと思ったが……や、やはり気のせいだったか」
「それがな? 烏森たちが黒水山で呪具らしいものを回収したらしい。呪いがどうとか言っていたが……もしかしたら、関係があるのかもしれねぇな。玄武の力で、なにかわからねぇのか?」
「……今の身体では無理だ。玄武の力に、身体が耐えきれぬ」
「そうか……あとで、嶺花殿に呪いの件、子細を聞いてみる。まずは、沙呼朗の飯だな」
そこそこ冷えた土鍋を手繰り寄せると、多助は杓で粥を掬った。
「ほら、食え」
顔を横にした沙呼朗に粥を食べさせていると、小屋の戸が叩かれた。
「多助さん、ご在宅ですか?」
嶺花の使用人であるアズサの声に、多助は立ち上がった。
「少し待ってな」
沙呼朗に告げてから、多助は障子戸を開けた。
出てきた多助に頭を下げたアズサの後ろには、長い黒髪の妖――文車妖妃の恋子が佇んでいた。
二人に目礼をした多助に、アズサは頭を下げた。
「嶺花さんから、多助さんと沙呼朗さんへ召集がかかっています。お屋敷のほうへ来て頂けますか?」
「いや……沙呼朗は、ちょっと無理だ。身体の不調でな、今は起き上がるのも辛いようだ」
「そうですか。多助さんだけでも来て頂けますか?」
「ああ……先に行っててくれ。もう少しあとで行く」
「わかりました。では、屋敷の広間でお待ちしております」
アズサが頭を下げると、多助は障子戸を閉じた。
そのまま屋敷に戻るアズサに、恋子はあとを追いながら声をかけた。
「……アズサ殿、もっと大騒ぎをしないのですか? 多助殿が沙呼朗殿を看病など、興奮要素しかないことでは?」
「沙呼朗さんが病ですから。病で伏せっている相手で盛り上がるのは、さすがに……」
窘めるような言葉に、恋子はハッとした顔でアズサを見た。
「……そこまで考えませんでした」
「ええ。だから今は、多助さんの言葉と、目に入った光景を記憶するだけにしましょう。沙呼朗さんが元気になったら、精一杯の妄想と執筆をしちゃいます」
アズサは、グッと拳を握った。それで納得がいったのか、恋子は「……フフフ」と微笑んだ。
「……賛成です。アズサ殿の作品が、今から楽しみです」
今起きている異変とは別の方向で、人迷惑な淫謀の構想が、練り上げられつつあった。
アズサは自分の家の障子戸を開けると、座敷でくつろいでいた流姫に一礼した。
「流姫様。嶺花さんの屋敷で、合議を行います。広間まで御案内します」
「ああ、そうかい? なら、よろしくしておくれよ」
暇つぶしなのか、読んでいた本を閉じた流姫は、しとやかに立ち上がった。
*
屋敷に集まった俺や墨染お姉ちゃんたちは、上座から降りた嶺花さんと車座になっていた。
先に待っていた俺や墨染お姉ちゃん、次郎坊、そして凰花さんは、開いた襖から広間に入ってきたアズサさんたちに目を向けた。
アズサさんと恋子さん、そして黒龍の化身である流姫さんが座ると、嶺花さんが水桶に人形を入れながら、僅かに眉を上げた。
「多助と沙呼朗はどうした?」
「沙呼朗さんは、体調不良で伏せっています。多助さんは看病をしていまして、少し遅れるとのことです」
「……そうかい。妖が病とはね」
「恐らくは、黒水山で起きた異変の影響でしょう。呪いの源を取り除いても病が癒えないのであれば、別の原因があるのかもしれません」
水桶の上に現れた、眼鏡をかけたスーツ姿の男性――水御門政巳さんが、嶺花さんの言葉を継いだ。
話を聞いた嶺花さんは、難しい顔で虚空を睨んだ。
「やはり、猿神を成敗するしかないかねぇ」
「皆様、発言をお許し下さい」
巫女装束姿の凰花さんが、小さく手を挙げた。嶺花さんは水御門さんと目配せをしてから、無言で頷いた。
凰花さんは嶺花さんと水御門さんに一礼をしてから、俺たちを見回した。
「蠱毒は呪術としては単純ですが、手間などを考慮すると短期間でできるものでは御座いません。それに妖が、陰陽道や呪禁道の呪術に精通しているとは思えません」
「……つまり? 長ったらしい説明はいいから、結論から言っておくれ」
嶺花さんに急かされ、凰花さんは「すいません」と頭を下げてから、様子を伺うように水御門さんへと目を向けた。
「今回の件、黒幕には陰陽師か呪禁師がいると思われます」
凰花さんの結論に、水御門さんは難しい顔をした。きっと、否定できなかったんだと思う。
どこか考えるような素振りだった次郎坊が、僅かに顔を上げた。
「そうなると、手分けして捜索したほうが、効率が良いでしょうな。呪術師は某が。猿神は烏森殿らでお願い致す」
「待ちな、次郎坊。早まるんじゃないよ。呪術師の力量が分からぬ以上、おまえさんだけで行くのは危険だ。他に……」
嶺花さんが視線を彷徨わせたとき、襖の向こう側から声が聞こえてきた。
「多助、参上つかまつった」
「ああ、入っておくれ」
嶺花さんが応じると、多助が広間に入ってきた。
俺の隣に座った多助に、嶺花さんが声をかけた。
「丁度いい。多助、次郎坊と動いておくれ」
「動くとは……なにをすればいいんで?」
嶺花さんから今後の行動を聞いた多助は、少し慌てた素振りで畳に両手をついた。
「待って下せぇ……今、沙呼朗は病に伏せっている。その原因は、恐らく黒水山の呪いの影響だと、俺たちは考えています。黒水山の調べもやって下さいませんか」
「……残念だが、そこまで人手は割けなくてね。呪いを調べるのは、後回しに――」
「そいつは承服しかねます。なら、俺は単独で呪いを調べさせてもらう」
多助がそう言い切ると、嶺花さんは嘆息した。
「一体、沙呼朗になにが起きているんだい?」
「ミズチという妖は元来、他者と交わって生きれぬほど、凶暴な妖だ。沙呼朗は、長年の修行によって、破壊衝動を抑えることができております。このままいけば、雨竜として、竜神にも成れるでしょう。
しかし今、陰気や呪いの影響で元の性質が蘇りつつある。恐らく、このことが病の原因だと思っている」
「なるほど。状況は分かり申した。なれば、呪いの調査もせねばなりますまい」
次郎坊の意見に、嶺花さんは頭を掻き毟った。
「……まったく、あたしらは一枚岩になれないねぇ。まあ、それがいいんだけれどさ。あいよ、わかった。黒水山に呪いが残っているか、調べるのも、同時にいこう。問題は、誰が行くかなんだが……ねぇ」
困り顔の嶺花さんへと向き直ったアズサさんは、多助を一瞥してから、深々と一礼をした。
「嶺花様。差し出がましいですが、わたしが向かいます。霊符を使えば、呪いを封じることもできるかと存じます」
「それなら、あたしも一緒にいこうかね。あたしが守護する山だから、ここの誰よりも詳しいだろうし」
流姫さんが名乗りをあげると、嶺花さんは深々と一礼をした。
「ご助力、感謝いたします。それでは、呪術者の捜索は次郎坊と多助、呪い探しはアズサ、それに黒龍様でやってもらおうかね。猿神は墨染、烏森、タマモだ」
「あきちたちは、三人ともばらばらで動くんですか?」
「一塊のほうが、無難だろうね。せめて二人ずつに分けられたらいいんだが」
「……嶺花殿。猿神探し、手伝います。烏森堅護殿と墨染殿、そしてタマモ殿とわたし。二手に分かれることができますから」
恋子さんの申し出に、嶺花さんは唸るような声を出した。
「あんたは客人だから、危険なことはしなくてもいいんだがね」
「……いえ。是非にお手伝いをさせて下さい」
深々と頭を下げる恋子さんに、嶺花さんは「悪いが、頼んだよ」と言って、立ち上がった。どうやら、これで合議は終わりらしいんだけど……。
俺は結局、ひと言も喋れないままだった。
呪術とか呪いとか分からないから、発言のしようが無いんだけど。
もう少し、勉強とかしたほうがいいのかな。そんなことを考えながら、俺は痺れる脚を無理矢理動かしながら、なんとか立ち上がった。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
また、長くなってしまいました……悪い癖ですね、ホント。
前に宣伝をさせていただいた、「屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです」は、来週中くらいからアップできそうです。
今現在、チェックとテキスト化を進めています。
こちらも、どうかよろしくお願いします(ペコリ
少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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