天狗の転生と言われて、何故か妖怪の世界を護ることになりました

わたなべ ゆたか

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天狗の転生と言われて、何故か妖怪の世界を護ることになりました

二章-2

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   2

 昼食は、嶺花さんの屋敷で御馳走になった。なんでも、アズサさんの手料理らしい。ホント、この人って妖界でのメイド生活を満喫してるなぁ。
 焼き魚と、里芋とニンジンの味噌汁、タクワンに目玉焼き――そしてデザートはクッキーだった。
 美味しいけど、ちょっと味噌汁が熱かった……猫舌だから、冷まさないと飲めないんだよなぁ……俺。
 昼食は次郎坊やタマモちゃんも同席していたけど、ほとんど会話はなかった。せいぜい、嶺花さんから〈穴〉へ行く目的を聞いたくらいだ。
 食事が終わると、俺たちは屋敷を出た。
 それが大体、午後一時くらい。
 屋敷を出てから、俺たちは二時間以上も森の中を歩いていた。鬱蒼と木々が茂る枝葉が日差しを遮っているためか、まだ昼間なのに俺たちの周囲は薄暗かった。
 周囲にからは、鳥の鳴き声や虫の羽音、それに風が枝葉を揺らす音くらいしか聞こえない。街の雑踏に慣れた俺には、森の中は少し寂しく、同時に不気味にも感じられた。


「鬼の住処は、まだなんですか?」


「この調子なら、あと一時間くらいだと思います」


 アズサさんの返答に、俺は少々うろんな顔をした。まだ一時間もあるのか……と思ったところで、俺はあまり疲れていないことに気がついた。
 そんな自分自身に驚いていると、次郎坊が呆れた顔をした。


「お主はすでに、妖の領分に足を踏み入れつつある。これくらいで、疲れなど出ぬよ」


「そうなんですか?」


 内心、次郎坊の言葉にギョッとした。だけど、もう一方で『そういうものか』と思う自分がいることに、二度驚いた。
 人間のままでいたいって、そう思っているんだけどなぁ……。
 それから一〇分もしないうちに、木々の密度が増してきた。さっきまでも鬱蒼としていたけど、今はそれにも増して枝葉が生い茂っている。上を見上げても、日差しなんかほとんど差し込んでこない、薄暗い場所だ。
 木々の生気が、圧力となって周囲を覆っているような気がした。
 雑草が山道にまで浸食してきたとき、頭になにかが当たった。


「いてっ!」


 地面に落ちたものを見れば、桜の実だった。
 桜の実といっても、サクランボじゃない。黒紫色をした木の実だ。苦みがあるから未加工だと実食には向かない――などと、専門学校で習ったことを思い出す暇はない。
 なにせ無数の桜の実が、まるで雨のように降ってきたんだ。


「ちょ――なんだよ!?」


 豪雨の如く降ってきた桜の実に、俺は頭を庇いながら立ち止まっていた。
 しかし、桜の実が当たる感触があったのも二、三秒のことだ。桜の実が地面に落ちる音はし続けていたけど、俺――いや、俺たちには当たらなくなった。
 腕を解いて周囲を見回せば、薄紫色の毛に覆われたなにかが、俺たちを護るように頭上で広がっていた。


「これで、大丈夫だよだよ」


 タマモちゃんの着物の裾から九本の尾が伸びて、まるで屋根のように俺たちの頭上を覆っていた。


「……ナイス」


 俺が親指を立てると、タマモちゃんはどこで覚えたのか、ブイサインなんか送り返してきた。
 柔らかな女性の声が聞こえてきたのは、そんなときだ。


「ここから先は、鬼の領分よ。食べられたくなければ、すぐに帰りなさいな」


 聞き覚えのある声に、俺は目を見開いた。
 黒真珠のような艶やかな黒髪を、足元まで伸ばしている少女だ。緑、赤、桜色の順に重ね着をした着物、金色の帯を身体の前で結び、足元は三枚歯の高下駄を履いていた。
 間違いが無い。幼い頃に出会った少女――墨染お姉ちゃんだ。
 俺は話しかけようとしたけど、それよりも先に墨染お姉ちゃんが口を開いた。


「どうしたの? 早く帰ったほうが、身の為よ」


「待って。待ってくれ――いや、待って下さい! 墨染――のお姉ちゃん、だよね? 俺、あの、烏森堅護っていって……まだ小さい頃に、桜の木の下で御菓子をあげたの、覚えてます?」


 このときの俺は、〈穴〉のこととか、頭になかった。
 ただ、昔のことを――俺のことを思い出して欲しいという一心で、墨染お姉ちゃんに訴えかけていた。
 俺の名前を聞いて「堅護、さん?」と呟いた墨染お姉ちゃんの黒い瞳が、まっすぐに俺を見つめてきた。
 覚えててくれた! 俺のことを忘れないでいてくれた――そのことに、俺は歓喜していた。胸の奥が熱くなって、頭の芯がジンッと痺れるのを感じた。
 だけど……墨染お姉ちゃんは目を伏せると、首を横に振った。


「今のあちきは、昔の名前では呼ばれていないの。今のあちきはね、木鬼。ここを護る、鬼なのよ?」


 次に墨染お姉ちゃん――木鬼が目を開けた瞬間、彼女から寒気を覚えるような気配が、一気に吹き出した。
 俺がビクッと身体を震わせると、次郎坊が一歩前に出た。


「鬼気か――烏森殿、こやつのいうことは誠だ。昔はともかく、今は鬼と成っている」


 次郎坊が手にした錫杖を構えた。しゃりん、と輪っかが鳴ることを聞きながら、俺は呆然と立ち尽くしていた。
 やっと会えた墨染お姉ちゃんに、拒絶されたも同然だった。しかも、鬼だって?


「な、なにがあったんだよ、墨染のお姉ちゃん!」


「その名で、呼ばないで頂戴」


 どこか悲しげな声で、墨ぞ――木鬼は微かに首を振った。
 俺を一瞥してから、なにかを吹っ切るように木鬼は勢いよく右手を振った。空気が弾けるような、ドン、という音がすると周囲の鬼気が増し始め、三〇を超える雑草が、俺たちへ向けて槍のように伸びてきた。


「おのれ!」


 次郎坊が錫杖を振り回し、タマモちゃんは尻尾の三本を巧みに操って雑草の槍を払いのけた。


「――っそっそ!」


 舌打ちをしたタマモちゃんの尻尾から、血が滴り落ちていた。雑草の槍に貫かれたみたいで、引っ込めた尾は赤く染まっていた。


「墨染お姉ちゃん、やめてくれ!」


「お願い――その名で呼ばないで頂戴!!」


 前に出た俺へと、雑草の槍が伸びてきた。槍の穂先に似た雑草の先端が迫ってくると、俺はやけくそ気味に叫んだ。


「神通力、土壁っ!!」


 俺の声に応じて、足元から土の壁がせり上がった。屋敷の庭で練習したときは、包丁で思いっきり突き刺した程度では貫通出来ないだけの強度があった。
 しかし雑草の穂先は、そんな土壁を貫通して俺の右肩に浅く食い込んだ。


「くっ――!」


「烏森さんっ!!」


 俺が堪らず苦悶のあげると、アズサさんが両手に呪符を生み出した。


「一度、退きます」


 アズサさんの投げた呪符が、空中で四枚――いや、八枚に増殖した。
 空中で制止した八枚の呪符から白い霧が吹き出し、周囲を覆った。


「烏森さん、こっちです!」


 俺はアズサさんに手を引かれながら、木鬼のいる場所から離れた。次郎坊とタマモちゃんも、俺たちに続いた。
 時間にして、五分程度。距離にしたら一キロ前後は木鬼と離れてから、俺たちはようやく立ち止まった。
 アズサさんの呪符で止血をして貰っていると、次郎坊が俺に話しかけてきた。


「烏森殿、あの鬼と知己であったのか?」


「昔、神社の近くの桜の木で会ったことがあるんです。話をして、御菓子も一緒に食べて。あのときは、鬼なんかじゃなかった――と思う」


 俺の話を聞いて、アズサさんは「う~ん」と視線を彷徨わせた。
 俺や次郎坊の視線を受けながら、しばらく考え事をしていたアズサさんは、大きな溜息を吐いた。


「これは一度、戻ったほうが良さそうですね。嶺花さんにも相談しないと……あ、烏森さんのことではないですよ? 鬼が〈穴〉の外で他者を追い返していることを報告して、今後のことを考えましょう――ってことです」


 鬼って、墨染お姉ちゃんのことか……。
 自分でもそう言っていたから、鬼呼ばわりされても仕方ないかもしれないけど……なんだか釈然としない気持ちが残る。
 憮然とした顔でもしていたのか、俺を一瞥した次郎坊が、「あえて鬼と言わせてもらうが」と前置きをしてから、アズサさんに問いかけた。


「今後のことと言うのは、鬼と対峙することだろうか?」


「いえ、それはまだ……あたしでは決められませんし。嶺花さんとか――寮の方にも相談したほうがいいかしら?」


 アズサさんの返答を聞いて、次郎坊は面白くなさそうな顔で腕を組んだ。
 相談先……か。嶺花さんはわかるけど、『寮』ってなんだろう?
 わからない言葉が多くて、今一会話に入っていけない。俺は眉を顰めながら、三人――いや、一人と二妖に訊いた。


「あの、寮ってなんですか?」


「え? ああ――それは、戻ってからのほうが良いでしょうね。百聞は一見にしかず、とか言いますし」


 アズサさんはそう言うと、立ち上がった。
 そして手に呪符を造り出すと、手の中で器用に折り鶴を折った。


「このあたりの状況は、この子に監視してもらいます」


「……なんですか、それ?」


 俺の問いに、タマモちゃんがクスクスと笑った。


「式神も知らないの、の? 天狗の生まれ変わりなのにぃにぃ」

 いや、そんなこと言われても。

 呪術の知識なんて、今まで学ぶ機会なんか無かったし。天狗の血を受け継いだか生まれ変わりか……そんなことを知ったのも、妖界に来てからだし。
 こればかりは、俺が悪いわけではないと思う。


「ほらほら、タマモちゃんも意地悪なこといわない。烏森さんも、気にしないで下さいね。とにかく、急いで戻りましょう」


 アズサさんは手を振りながら、俺たちを促した。
 またあの距離を戻るのか――と憂鬱な気分になりながら、そして後ろ髪を引かれる思いで、俺は一行の最後尾を歩き始めた。
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