チャリンコマンズ・チャンピオンシップ

古城ろっく

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第15話 読み飛ばし推奨で自転車が出てこない話

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 ホテルというのは、国道や高速道路近くなら大概は駐輪場を用意している。休日サイクリングやツーリングの人たちも利用することが多いからだろう。
 とはいえ……
「さすがに鉄棒や前輪ラックはないな。アタイの車体はスタンドがないんだけど」
「あ、アレって前輪ラックって名前なんだ」
 空たちが通っている中学校には、前輪をはめ込んでおくタイプのラックがある。鉄パイプを曲げて台座に溶接したような簡素なもので、実は数万円程度で一般販売されているモデルだ。
「いいよな、空はスタンドがあってさ。いや、アタイだって普段は無い方が好みだから買わないわけだが、こういうときだけはうらやましいぜ」
 ちなみに、空はESCAPE共通の純正スタンド(別売)を使っている。最初こそスタンドなしで走っていたが、すぐに不便だと感じて買い足した次第だ。
「まあ、昨日のホテルでも地下駐車場の壁に立てかけたんだし、今回もその作戦でいいんじゃない?」
「……それしかないか」
 本当は安全とは言い難いし、何より駐輪場が後から満杯になると、自分の車両を取り出しづらくなるという問題点もあるわけだが、背に腹は代えられない。
「ラックがあったらいいのにな」
「でも、鹿番長さんの車輪は入らないよね」
「ああ、アイツのは規格がぶっ飛んでるからな。逆にアレに合わせたラックを作ったら、ママチャリなんか立たないぞ」
「史奈さんのピストは、タイヤが細いから入りやすいかな?」
「まあ、入るとは思うけど、カーボン製のバトンホイールだろう?仮に何かあったらと思うと怖い」
「あ、そっか。バイクが倒れると折れるかもしれないね」
「それよりユークリットさんがどうやって止めるのかが気になるよな。あんなの駐輪場の長さに入らないだろう」
「うーん。トレーラーヘッドはいいとして、問題はトレーラー本体だよね。案外ラックに入るのかな。一輪だし」
「有料の駐輪場で2台分払ってたりしてな」
「あ、それはありそう」
 二人で笑って、ホテル入り口に歩いていく。あまりにマニアックな話題だったせいか、周囲の人たちが不思議そうな目で見ていた。茜の格好のせいかもしれないが。

 ホテルに入って、チェックインを済ませる。まだ18:00前後の早い時間で飛び込みとなったが、幸いにも部屋はがら空きだった。
「じゃあ、一番安い部屋を、2部屋……はい。素泊まりで。保護者は……えっと、チャリチャン参加者なんですけど……あ、主催の会社名で……はい。分かりました」
 空が的確に話を進める中、茜はロビーで立ち尽くしていた。さすがに濡れた格好で(半分凍っている気がする)ソファに座るのは気が引けた。
「茜、終わったよ。2階だって」
「おう、ありがとうな」
 さすがに普通の中学生である茜は、今一つホテルの仕組みを知らない。そもそも修学旅行でもなければ外泊なんてなかったということもある。
「空は慣れてんな。なんでだ?」
「え?ああ、小学生のころ、仲のいい友達がいてね。その友達の家族が、よく旅行に僕もつれてってくれてたんだ。で、横で見ていたら覚えちゃったんだよ。本当は見てるのってマナー違反らしいけどね」
「ふーん。昔から友達が多いんだな」
 茜の家は自営業で診療所をやっている。土日は基本的には休みだが、緊急の患者が来るかもしれないと、あまり外に連れて行ってもらえなかった。友達もいるにはいたが、そこまで親しい仲になったことはないし、家族ぐるみで仲良くしていた子も少ない。
「やっぱりすごいな。空は」
 エレベーターを待ちながら、茜はぽつりと言う。
「え?何が?」
「いや、何でもないよ。つーか、2階までなら階段の方が早いだろう。なんで階段がないんだよ」
「茜ってせっかちだよね」
 足が限界に近かった空は、エレベーターがあってよかったと思う次第である。

 茜が213号室。空が215号室。隣り合わせである。茜はどうして214号室がないのかと首をかしげていたが、空は『きっと打ち間違ったんだよ』と適当に流していた。
(でも、さすがに僕も一人で泊まるのは初めてなんだけどね)
 と、そんなことを思いながら、部屋の鍵を開ける。
 部屋の中は、特にこれといって変わった設備があるわけでもない普通のホテル。狭い部屋とバスルームとクロゼットがあるだけの、分かりやすい場所だ。
 ベッドだけで部屋の半分くらいのスペースを埋めていそうなところに、電話機が3割近くを占領するサイドテーブルと、小さな椅子が邪魔くさく置いてある。クロゼットにはガウンが一着。ミニ冷蔵庫はご自由にお使いくださいシステム。
 枕元に設置されたランプをつけて部屋の明かりを消すと、なんともテンションが上がるのは世界三大ミステリーだ。
(と、とりあえず、アレ、やるよね……)
 空はドアを閉めると、誰もいないことを確認したうえで、ベッドを見た。ベッドスロー(ベッドにかけられている帯みたいなもの。フットスローともいう)がかけられているのを見て安心した空は、土足のままでベッドにダイブする。
 勢いよく仰向けに、いっそ頭から打つ感じで。

 ――ぼふん。

(うん。昨日の高級ホテルよりは硬い)
 とはいえ柔らかなベッドマットは、空の身体に合わせてゆっくりと沈む。反発感はなく、かといって包み込む感じでもない。ただ沈むというのが適切な表現だろう。
(ああ、なんならこのままひと眠りしたいな)
 脚を伸ばしたり、背中を反り返らせたり、足首を持って顔に近づけたりと、思うままにストレッチを繰り返す。自転車と言うのは基本的に姿勢が変わらないので、筋肉が硬直することはよくある。降りた時に体を伸ばしたくなるのは本能だ。
(まだ、レースは続いているんだよな)
 時計を見ると、まだ19時前。走り続けている人は多いだろうし、夕食の後もうひと走りと考えている人も多いだろう。
 もちろん、豪雪地帯を抜けた空たちとは裏腹に、まだ30cm以上も積もる雪の中を走っている人も多いはずだ。雪は時間の経過とともに硬くなる性質を持っている。明日から本気を出そうと思っている史奈のような参加者は不利だろう。
(本当に、遠くまで来たっていうか、長い距離を走ったというか……)
 景色ががらりと変わるまで走ると、それはもう達成感のようなものが押し寄せてくる。
 このホテルにしたってそう。いつの間にか、もう秋田を越えて山形に入っているらしい。この調子だと、明日には東北を越えるかもしれない。
 日本地図を頭に描きながら、空は走ってきたコースを指でなぞる。
(そういえば、お腹がすいたな)
 近くにコンビニがないか、スマホで確認する。幸いにも、徒歩3分くらいのところにセブンが見つかった。
 素泊まりコースなわけだし、食事は自分で調達が基本。この距離ならホテルの中を歩く時間の方が長いかもしれない。
(よし、行こうか)
 せっかくなんだし地方ごとの名産を食べたい気もするが、実際のところピンとこないのも事実だ。
 山形の名産ってなんだろう?サクランボとラフランス?それならあちこちに輸出されているから、別に原産地で食べる意味もあまりない気がする。そもそも旬じゃない。そう考えると、結局コンビニ弁当でもいい気がするのが空の考え方だ。
(そういえば、ベタチョコっていうのがあったな……)
 どこから聞きつけてくるのか分からない微妙な知識を総動員して、その考えに行きつく。コンビニに置いてるといいのだが。


 カポーン……
 という擬音は十年ほど前まで漫画やアニメでお風呂場の導入として使われていたもので、健全な青少年が期待に目を輝かせる瞬間の音でもある。
「はぁ……生き返る。まあ死んでないけど」
 もはやノスタルジックと形容して差し支えない光景。茜はホテルついて一番に風呂に入っていた。もっとも、茜がお風呂好きというわけではなく、次郎との決戦で川に飛び込んだままだったから早めに入りたかっただけである。
 読者の皆様、ご安心ください。今回は湯気とか泡とか謎の光など一切ございません。挿絵もございません。
 まだ半分ほどしか水のたまっていない浴槽に、さらに水を足しながら浸かる。本当に寒い時に、急に熱いお湯に入るのは拷問に近い。さらには心臓麻痺などの危険もあるのだ。最初は真水でも暖かく感じるものである。
 丸まって寝転がるようにして無理矢理入りながら、スマホを開く。防水機能は便利。
 ミスり速報でも見るか。と思っていると、空から電話がかかって来た。
(ん?さっき別れたばっかだろう。何の用だ?)
 とりあえず電話に出るかどうか、一瞬迷って出る。
「どうした?」
『ああ、茜。もしかしてお風呂だった?』
「なんでわかるんだよ。エスパーか」
『いや、水の音とか声の響き方だよ。あとは時間と状況からの予測かな』
「ああ、そうか」
 変なところに注意が向く空。
「ところで、何の用だ?」
『ああ、そうそう。今コンビニにいるんだけど、欲しいものとかあったら買っていくよ。夕飯とか』
「ああ、そうか。そうだな……」
 こういう時、茜はご当地の名産とか食べたいと微塵も思わない。そもそも食べ物にこだわりもないし、よく解らないものを食べて好みじゃなかったら嫌だ。
「じゃあ、スーパーカップの豚キムチとツナマヨおにぎり」
『定番かつ安上がり』
「そうか?そんなもんだろう」
『うーん。分かった。他には?』
「とりあえずそれだけ」
『了解。じゃあね』
 特に話すこともないので、さっさと通話を終了する。
「うーん。それにしても、やっと血が通ってきた気がするな」
 実は凍傷寸前と表現しても差し支えなかった茜の身体に、再び血の気が戻る。茜は浴槽に落としていた水を、お湯に切り替えた。このまま温度を少しづつ上げつつ、水かさも上げる。
 身体のメンテナンスも欠かさない。脚や肩を揉みながら、背筋を伸ばしたり、丸めたりして全身をほぐす。自転車に乗っているときは同じ姿勢が続くし、今日はオフロードの振動にさらされていたせいで、余計に硬直している。


 茜に頼まれた買い物を成し遂げて、自室に戻ってきた空。
 奇跡的に見つけたベタチョコとカフェオレを堪能しつつ、自分一人が使うビジネスホテルの一室という素敵空間を満喫していた。スマホでミスり速報をつけっぱなしにして、ベッドに腰かけてくつろぐ。
 しばらくそうして疲れを癒していたが、ふと思う。
(そうだ。ついでだから、洗濯もしてしまおう)
 確か部屋を出て廊下の突き当りに、コインランドリーがあった。こんな時でもないと洗濯できないだろうし、着替えだって必要以上に持ってきているわけじゃない。
 せいぜい2セットくらいで着まわしている空にとって、すでに3日目を終えた今日は限界だった。いや、限界を超えていた。
 寝巻代わりに持ってきたジャージに着替えた空は、それ以外のすべての衣類をもってコインランドリーに向かう。
 実際に使うのは初めてだが、あまり細かいことを気にしなければ簡単である。ドラム式洗濯層の中に衣類をまとめてポイ。残念ながら洗濯ネットの類は無いが、変に引っかかりそうなものもないから大丈夫だろう。
 後は500円玉を投入して、洗濯開始。1時間ほど待っていればいいだけである。
(お手軽。人類は凄い発明をしているんだね)
 適当に時間を潰すとき、空は妄想に浸る癖がある。学校でボーっとしている印象が強いのはそのためだ。
 備え付けの椅子に座って、足をパタパタさせながら考える。もし2WDの機構を持ったファットバイクに、電動アシストをつけたらどうなるだろう。通常より多いチェーンが高速で回転し、太いタイヤが地面と摩擦を生み、爆音を鳴らしながら高速で移動する。
(もうそれはオートバイだよ)
 ぼくがかんがえたさいきょうのじてんしゃ。とでもいうべき代物に、自分でツッコミを入れる。そして自分でツボって笑い始める。
 なまじ幼くて中性的な外見だからこそ、それは可愛らしくも見える。そうでなければ不審者以外の何だろう?
(その自転車に、トレーラーを引っ張らせるんだ。そうしたら、自動車を越える自転車の出来上がり。かな……?)
 なんとも都合よく考えて止まない。それができたらアメリカのメーカーはとっくに商品化しているという話だ。現実は車体重量が重すぎて、電動アシストでは到底動かない代物ができるだけだろう。
(そうだ。茜にもコインランドリーを勧めておこうかな?)
 これまた唐突にそう思う。そもそも茜こそ、着替えを持ってきているかどうかすら怪しい。初日から同じ服をずっと着続けているように見えるのは、多分気のせいではないだろう。
(女の子かどうか以前に、人として大丈夫かな……)
 実際、着替えがデッドウェイトになるとか、そも自転車用品であるジャージやレーパンは意外と高価だとか、いろんな事情は察するが。

『おう、空。今度はどうした?』
「いや、この階の端っこにコインランドリーがあるんだけどさ。ワンコインで利用できるし、茜も使ってみない?」
『おお、いいな。アタイも川入った後で、どうやって服を洗おうか考えていたんだ。っていうか、よくコインランドリーの存在なんか知ってたな』
「いや、部屋のテーブルに案内がなかった?B5サイズでラミネート加工の」
『え?いや、待てよ……あった。そして気づかなかった』
「茜らしいや」
『うるさいな。まあ、今から行くよ』
 そう言って、茜は電話を切った。
(どうせなら、二人分をいっぺんに放り込んだらよかったな。そうすれば割り勘250円で済んだ)
 と、一人で使うには少し大きな洗濯槽を見る。仮にも男子と女子が一緒に衣類を洗うのは倫理的にアレかもしれないが、茜は気にしないだろう。
 いずれにしても、今回は無理だ。空の洗濯はもうすぐ終わる。
「よう、空。お待たせ」
 後ろから茜の声が聞こえたので、空は振り返る。
「ああ、あか、ね……?」
 そこには、珍しい格好の茜がいた。いつもひっ詰めている髪を解いた。とか、そんなことじゃない。
 よりによって、部屋に備え付けてあったガウンとスリッパで来てしまった。
「なあ、これってどう使うんだ?」
 平然と訊く茜に、空はとりあえず解説する。
「うん。全部入れて閉じて、お金を入れるだけ」
「こうか。ずいぶん簡単なんだな」
 茜が放り込んだのは、いつもの見慣れた一張羅のみ。やっぱり着替えとか持ってきてなかったんだ。と、空は確信した。
「ところで、茜。その恰好はどうなのさ」
「ん?これって自由に使っていいんじゃないのか?」
「うん。まあ自由だけど、普通は部屋の中で一人くつろぐときに使うもので、部屋の外に着てくるものじゃないよ」
「え……?」
 茜が急に驚いたような顔をする。
「ま、またまた。空は奇妙なことを……」
「あのね。旅館の浴衣じゃあるまいし、基本的にそのガウンは外出用として使えるものじゃないんだよ。それに、この場所は基本的に公共の場所って認識でいいと思うよ。スリッパだって室内用だし……まあ、ビンディングシューズじゃ歩きにくいのかもしれないけど」
 空の表情が真剣なのを見て、茜の顔はみるみる赤くなっていく。
「ち、ちなみに、この洗濯が終わるのは?」
「1時間後だね。それまで取り出せないから、着る服は無いかも」
 ついでに、空は言おうかどうか迷っていることにも言及することにした。
「茜って、下着とかどうしてる?」
「は?え?あ……な、なななな何が?」
「以前、レーシングパンツの下は何も穿かないのが一般的だって言ってたよね。パッドのフィット感が落ちるからダメだって。そのレーパンが現在洗濯中なわけだから、つまり……」
 そこまで言われると、図星を突かれた茜は、無言で左手を股に、右手を胸に当てた。
「……」
 その仕草に、空は違和感を覚える。左手が股間を隠す目的で、ガウンの裾を押さえたことは分かる。右手はなんだ?
「まさか、茜。ブラも……」
「――っ!なんでそこまで分かるんだよ」
 洗濯機の中にすべて放り込んだらしい。さっきのタンクトップみたいなやつは自転車用のブラトップだったのか。
「まあ、その……僕は洗濯が終わったから、部屋に戻るね」
 サクッと、乾燥まで終了した衣類を回収してリュックに詰め込む空。これで自分の洗濯は終了だ。
「え?アタイはどうすればいいんだよ?」
「ああ……それじゃあ時間まで自室にいて、終わったころ取りに来たらいいんじゃないかな。少なくとも、ここにずっといるよりは」
「な、なるほど」
 それでもこの格好でもう一度コインランドリーまで来ることにはなるが、たしかにこのままここにいるよりは恥ずかしくない……気がする。
 そもそも、空が余計な事さえ言わなければ、茜だって恥ずかしいと思わなくて済んだわけだ。が、それは恥ずかしさに気づかないだけで、いずれにしても傷つくなら傷口が小さい方がいいんだろうか?いや、何を言っているのか分からなくなってきた。
「ところで、部屋の鍵は持ってる?」
 念のため、空は確認する。茜が鍵を持っているように見えなかったからだ。
 案の定だった。
「いや、アタイの部屋はすぐそこだし、別に鍵かけなくても……」
「で、置いてきたの?」
「ああ、それが何か?」
「ここ、オートロック」
 つまり、部屋の中に鍵を置いたまま外に出ると、自動で鍵がかかるため戻れなくなる仕様だ。常識であるため、解説する必要はないと思う。茜を除いて。
「え?じゃあ……」
 みるみる青ざめていく茜。忙しい顔色である。
「フロントに言えばマスターキーなり合鍵なりで対応してくれるから大丈夫だよ。あ、そっちのエレベーターを使って1階まで行ったところだからね。エレベーターはボタンを押すと来るよ。間違えて上に行くエレベーターに乗らないように……」
「いや、さすがにアタイもそこまで解説が必要な馬鹿じゃねぇよ」
「うん。ごめんね。それじゃあ後は一人で頑張って」
「え?待って。冗談だよな。空?ちょっ、そらさーん!?え?いや、助け……」
 その後、茜なりの大冒険が始まってしまったわけだが、これについては何か特別な機会があったら語ることになるかもしれない。


「ふぅ……刺激が強すぎるよ」
 自分の部屋に戻った空は、独り呟いた。
 普段はあまり意識していないだけに、茜にああいう表情をされるとヤバい。何がどうヤバいのか本人さえ知らないが。
 いや、それ以前に、いろいろとチラチラ見えていたのも事実なわけで、なんにしても一緒にいるのが辛くてエスケープしてきた次第である。
「と、とにかく、寝よう。シャワー浴びて寝よう」
 この雑念も消え去れと言わんばかりに、さっさと服を脱いだ空は、冷水シャワーを頭から浴びる。ただ、体が冷えただけで頭は冷えないわけだが……
 風邪ひくだけだな、と判断した空は、普通にシャワーを温水に切り替える。
 ふと鏡を見ると、子供から男に成長途中の自分の身体が映っていた。まだ小柄だが(もしかするとずっと小柄だが)、出るべき筋肉は薄く浮かび上がり、それでいて全体的に細く、か弱い印象の身体。
 肩幅は狭く、胸板は薄い。自転車だからこそ上半身の筋肉は使わないことが多いが、他のスポーツなら脆弱間違いなしの体格だろう。ある意味では重量と空力抵抗を減らせるプロポーションかもしれない。
「あ……」
 この時、空に電流走る。
 さっそく茜に電話をしようと、スマホを手に取る……が、
「出ない……」
 なぜか、茜は電話に出なかった。


 次の日、茜の機嫌が悪かったのは言うまでもないだろう。ただ、空気を読まないことに定評のある空は、あっけらかんと言う。
「昨日、部屋に戻ってから考えたんだけどさ。僕の部屋に茜が来て、僕の服に着替えてからフロントに行くのが一番クールでスマートだったのかな?ほら、お互いに体型もそんなに違わないみたいだし」
「早く気づけよ!そして気づいた時点でアタイに連絡くれよ」
「っていうけど、スマホも部屋に置きっぱなしだったんでしょ?」
「う……」
 チェックアウト手続きを済ませながら、そんな会話をする。なぜかスタッフが茜を見て、奥の方でひそひそ話をしているのは気づかないふり。
「それじゃあ、レース復帰だね」
 まだ時間は早いものの、日は登っている。何より昨日は早めに切り上げた分、睡眠もゆっくりとれた。そのロスを取り戻すためにも、そしてデスペナルティに再び鉢合わせないようにするためにも、早めに復帰する。
 また、今日もチャリチャンが始まるのだった。
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