さつきの花が咲く夜に

橘 弥久莉

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第九章:さつきの花が咲く夜に

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 「質量を持つものはすべて万有引力(重力)
で引き合っとるっちゅうニュートンの考えに
対し、質量を持つものはすべて周囲の空間を
曲げとるっちゅうアインシュタインの理論や。
わかりやすく言うとな、質量を持つすべての
物体の周囲には、人間に知覚出来ないレベル
で『時空の歪み』が存在しとる。例えばこの
コーヒーサーバーにも、俺と満留の足元にも。
せやなぁ……ゴムシートに球体を置いた時の
ように、ごく僅かに時空が曲がっとるっちゅ
う説明なら、わかりやすいやろか?」
 
 「……何となく、イメージできますけど」

 突如始まってしまった妹崎の特別講義に、
首を捻りながら答えると、それでも妹崎は、
うんうん、と満足そうに頷く。

 「つまりや、俺らの住む三次元空間も宇宙
も、質量が大きい物体の側ほど時空が大きく
歪んでまうんや。するとそこには、空間と時
間を隔てた二点を結ぶワームホールっちゅう
『時空のトンネル』が出現する。そのワーム
ホールを通れば、過去や未来への移動も一瞬
で出来るっちゅう話なんや」

 「えっ?じゃあ、あの中庭にワームホール
ってゆうのがあって、私は知らないうちに
そのトンネルをくぐって満くんに会いに行っ
てたってことですか?質量が大きい物体なん
て、あの中庭になかったと思いますけど……」

 明媚な中庭の風景を思い出しながら、満留
は妹崎に問う。噴水や鬱蒼と茂る木々にその
ワームホールとやらを作り出すほどの質量が
あるのだとしたら、そこかしこに『時空のト
ンネル』が存在してしまって、世の中は神隠
しだらけになってしまう気がする。

 満留の突っ込みが鋭かったのだろうか?
 妹崎は思いきり口をへの字にすると「ない」
と断言した。

 「いま言ったワームホールは理論的に存在
が予言されとるだけや。実在するっちゅう証
拠はまだ見つかってへん。その理由はな、人
ひとりが通れるほどのワームホールを作るの
に、木星十個分の質量を半径三十メートルの
球体にまで圧縮せんと出来んからなんや」

 「じゃあ、時空の曲がりもワームホールも
私たちが出会えたことに何の関係もないわけ
ですよね?なら、どうしてこんな不思議なこ
とが起こったんでしょう?」

 話が振り出しに戻ってしまって、満留は
きょとん、とする。妹崎は渋い顔でため息を
つくと、ふむ、と鼻を鳴らした。

 「わからん。現代の物理学を以てしても、
この謎は簡単には解明できんわ。まあ、わか
らんから謎を解き明かすために寝る間も惜し
んで研究しとるんやけど。でもまあ、案外、
俺らが出会えた理由は、こっちの方かも知れ
へんで?」

 「こっちの方、って?」

 しぱしぱと瞬きをしながら訊いた満留に、
妹崎は両手を胸の前に垂らして、にたりと口
を歪める。俗にいう、『お化け』のポーズだ。

 「……ま、まさかぁ」

 「せやけど、あの場所はもともと『出る』
っちゅう噂があるやろ?人智を超えた心霊現
象なら、説明もなんも要らへんわ」

 引き攣った顔で肩を竦める満留に、妹崎は、
あはは、と笑いながら子どもにそうするよう
に、ポンポン、と満留の頭に手を載せる。
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