さつきの花が咲く夜に

橘 弥久莉

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第九章:さつきの花が咲く夜に

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 妹崎が『満』なのだとわかったあの日から
ひと月あまり。いつの間にか『満留』と呼ば
れるようになってからも久しく、それを密か
に嬉しいと思っていても、満留は『満くん♡』
などと気軽に呼ぶことが出来ずにいる。

 その理由は、うっかり他の人がいるときに
そう呼んでしまう恐れがあるからというのと、
いまや物理学分野で名の知れた准教授となり、
しかも八つも年上の彼のことを『満くん』と
呼んでいいものかどうかわからず……。

 だから時々、舌を噛みそうになりながらも
『妹崎先生』を貫いている。未だにこの飄々
とした関西弁の准教授が『満』だという事実
を、受け止め切れていない部分もあるのだ。
少々やり辛くても、それは仕方のないこと
なのだろう。満留はさらに口を尖らせると、
不平を言った。

 「会えないからって……連絡先だって交換
したじゃないですか。ひと言、メール入れて
くれれば、こんな煩わしいことしなくても」

 「せやけど、そのミス書類があれば堂々と
部屋に来られるやんか。忙しゅうて、忙しゅ
うてデートしたくても出来へんし。メールで
『来てくれ』ゆうても、気ぃ使ってさっさと
帰ってまうやろ?苦肉の策や」

 「でっ、デート???」

 悪びれる様子もなく、いきなりピンクな
ワードを口にした妹崎に満留は声をひっくり
返し、頬を朱く染める。

 どういう心境の変化か、伸びっ放しだった
髭をキレイさっぱり剃り落とし、ぼさぼさで
はあるけれど、それを短く切り揃えた前髪は
すっきりとした整った顔立ちを露わにしてく
れて……近ごろは、妹崎目当てに廊下でたむ
ろする女子生徒が後を絶たない。そうして、
女子たちに囲まれている妹崎を見かける度に、
何だか面白くないと思ってしまう自分がいる
ことに、満留は戸惑っていた。

 その矢先のデート発言だ。
 心臓はもちろん、バクバクしている。

 「デートって、もしかしてそういう意味の
デートですか?髪を切ったのも、髭を剃った
のも私のため……とか」

 頬を染めたままで上目遣いに訊くと、妹崎
はやんわりと笑う。そのしっとりとした大人
の色香に、満留の心臓はぶるりと震えてしま
った。

 「当たり前やろ?ようやっと満留に会えた
んや。しっかりハート掴まんと」

 バン、と人差し指を満留の胸に向けて撃つ
フリをして見せた妹崎に、満留は息を止める。

 十七歳の、高校生の『満』は、大人びた顔
を見せつつも、どこか孤独を背負っているよ
うな暗い影があって、その影に惹かれた部分
もあった。けれど、いまの『満』にそんな影
は微塵もなく……なのに満留は彼に惹かれて
いる。十七年という月日が彼をここまで大人
の男性に成長させたのか、はたまた、「母に
愛されている」という自信が、ここまで彼を
変えたのか?

 どちらかはわからないが、とにかく、妹崎
から大人の余裕と色香を感じる度に、満留は
どぎまぎさせられるのだった。
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