さつきの花が咲く夜に

橘 弥久莉

文字の大きさ
上 下
9 / 107
第一章:母と娘

しおりを挟む

 どうしてそんな大事なことを、一人で決め
てしまうのだろう?そんな怒りにも似た感情
が胸の中に渦巻いてしまい、満留は生まれて
初めて母に対し語気を強めてしまった。

 「お母さん、どうしてそんなこと言うの?
治療を中断するなんて、私、ひと言も聞いて
いないよ!」

 強い眼差しを向けてそう言った満留に、母
はそれでも表情を崩さない。そうして、笑み
を浮かべたままで小首を傾げると、いつもの
やわらかな声音で言った。

 「お母さん、もともと丈夫な方だし、家で
のんびりしながら美味しいものたくさん食べ
た方が体力つくと思うの。それにね、ずっと
髪がないままっていうのも、寂しいのよ。
お母さんの長くてきれいな髪、満留も大好き
だったでしょう?だから、やりたいことやっ
て、食べたいもの食べて、それで元気になっ
たらまた治療に専念する。そういう選択だっ
て出来ますよね?先生」

 母の申し出に、渋い顔をして黙り込んでい
た医師は「まあ、休薬するという選択肢もあ
りますね」と頷く。満留はベビーピンクの
ケア帽子に覆われた母の頭に目をやると、
何も言えず両手を握りしめた。


 背中の半ばまであった、母のきれいな
黒髪。毛先を緩く巻いて後ろで一つに束ねた
母の姿は、清楚で若々しくて、子供の頃から
大好きだった。
 
 けれど、自慢の髪を失っても生きていて
欲しい。少しでも長く生きられるよう、
頑張って治療を続けて欲しい。
 
 そう思うのに、母の命は母のもので、母の
人生もまた母のもので……。例え娘であって
も、母の決断に介入することは出来なかっ
た。



 退院すると母は仕事を辞め、その言葉通り
のんびりと日々を過ごした。満留を仕事に送
り出した後は、何をしているかわからなかっ
たけれど、家に帰ってくると夕食が出来てい
るので、買い物に行ったり、掃除をしたりし
て過ごしていたのだと思う。

 食欲も戻り、表面的には体調も回復してい
たので、休日は母が食べたいというパフェの
デカ盛りに挑戦したり、露天風呂付きの客室
を予約して二人で温泉旅行に行ったり、母娘
で濃密な時間を過ごした。

 「ねぇ、満留。触ってみて。人間の生命力
って凄いのねぇ。お母さんの髪、もうこんな
に伸びちゃった」

 温泉から上がってタオルドライした頭を母
が向ける。そろりと手を伸ばして触れてみれ
ば、パヤパヤとやわらかな産毛が、それでも
頭皮を覆うようにしっかりと生えている。

 「本当だ。ふわふわして、とっても気持ち
いい」

 そう言うと、母は「でしょう?」と相好を
崩した。

 「もう少し伸びたら、ケア帽子外して歩こ
うと思ってるの。だから、ベリーショートに
似合いそうな洋服が欲しいのよ。満留、今度
一緒に選んでくれない?」

 「もちろん。ベリショならモノトーン系で
まとめてもカッコ良さそう」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

古屋さんバイト辞めるって

四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。 読んでくださりありがとうございました。 「古屋さんバイト辞めるって」  おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。  学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。  バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……  こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか? 表紙の画像はフリー素材サイトの https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【プロット】ミコナとかぷせるあにまるず

せんのあすむ
ファンタジー
十歳の少女ミコナが暮らすその世界は、亡くなった人の魂が帰ってこれるという不思議なところ。 今よりもっと幼い頃に母親を病気で亡くした彼女のために、彼女の父親(ハカセ)は、帰ってきた母親の魂を自身が作った<かぷせるあにまる>に封入する。 けれど、ミコナへの想いがとても強かった母親の魂は一つには入りきらず、五つのかぷせるあにまるに分割して収められることとなった。 でも、ミコナの母親の魂を収めたかぷせるあにまるは、なぜか、タカ、トラ、オオカミ、サメ、ティラノサウルスと、どれもとても強そうな動物達の姿に。 こうして、ミコナと五体の<かぷせるあにまるず>による、少し不思議で、でもとても楽しい日常が始まったのだった。       こちらはかなりまとまりがなくなってしまったので、プロットということにします。

マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~

Repos
ライト文芸
カフェ開業を夢見たマキノが、田舎の古民家を改装して開業する物語。 おいしいご飯がたくさん出てきます。 いろんな人に出会って、気づきがあったり、迷ったり、泣いたり。 助けられたり、恋をしたり。 愛とやさしさののあふれるお話です。 なろうにも投降中

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...