さつきの花が咲く夜に

橘 弥久莉

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第一章:母と娘

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 それらは母の言う通り高額と言える値段
で、中にはひと箱数万円もするものもあった
けれど……もしかしたらこれで治るかも知れ
ない。
 治らなかったとしても免疫力が上がって、
また治療を再開できるかも知れない。そんな
淡い期待を抱いてしまえば、例え貯金が空っ
ぽになっても、爪に火を点すような生活をす
ることになっても満留は一向に構わなかっ
た。


 いつも元気印で、めったに風邪も引かない
母、芳子が乳がんを患ったのは、満留が高校
二年になったばかりの頃だった。

 「そろそろ受けてみようかな」と、軽い気
持ちで受けた区の検診で、大きなしこりが見
つかったのだ。それでも、始めは何かの間違
いだろうと思っていた。いまや九人に一人が
罹患していると聞いても、まさか元気印の母
ががんを患うなど想像も出来なかったのだ。

 けれど、精密検査の結果を聞きに同席する
と、医師の口から飛び出した言葉は衝撃的な
ものだった。

 「リンパ節と、脊椎……肋骨にも転移して
いますね。いまの段階で手術は出来ないの
で、まずはホルモン療法と骨転移を抑制する
薬を使ってみましょう」

 端末を眺めながら淡々と、まるでテストの
結果を告げるかのような口ぶりでそう言った
医師に、母は取り乱すことなく「そうです
か、わかりました」と頷いていたと思う。

 そして医師の顔を覗き込むと、「病期は
何に当てはまるんでしょうか?」と、ひと言
だけ聞いたのだった。

 端末を向いていた医師が、くるりとこちら
を向いて僅かに言い淀む。医師が口を開くま
での時間が永遠にも感じられて、満留はすっ
かり冷たくなった手を握りしめ、食い入るよ
うに医師の口元を見つめた。

 「ステージは……フォーですね」

 ぽつりと、発せられた言葉を理解するのに
数秒かかった。けれど、その言葉を理解した
瞬間の衝撃はいまでも忘れられない。

――ガン、と頭を殴られたような衝撃。

――もしかしたら、母が死んでしまうかも
知れないという、とてつもない恐怖。

 その感情を正面から受け止めれば、心臓は
バクバクと暴れ出し、涙が溢れて止まらな
い。

 「そうですか、わかりました。これから
どうぞ宜しくお願いします」

 両手で口を覆い、泣き出してしまった娘の
腕を引きながらそう言って頭を下げると、母
はうっすらと笑みさえ浮かべて診察室を後に
したのだった。




 「大丈夫よ、満留。そんな深刻に捉えなく
ても。いまはいい薬があるから、病気と共存
しながら普通に生活してる人がたっくさんい
るんだから」

 病院の会計を終えた帰り道、なかなか泣き
止まない娘の背中を擦りながら、明るくそう
言った母は、どこまでも強く、やさしかっ
た。
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