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episode5 朔風に消える
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「痛い!!痛いっ!!」
犯人は呻き声をあげながら、黒住刑事の膝の下で暴れることをやめた。
斗哉に羽交い絞めにされたまま、その光景を呆然と見ていた加賀見は、
近づいてくる門田刑事に気付くと、がくりと膝を折る。そうして、両手で
顔を覆って、七海、七海、と、嗚咽を漏らし始めた。広い背中が小刻み
に震える。たった今、鬼のような形相で人を殺そうとした背中なのに、
目の前にある背中は、触れれば崩れてしまいそうなほどに、儚い。
胸が痛かった。きっと、犯人を殺したとしても、彼が悲しみから解放
されることはないからだ。だから、悲しみに悲劇を重ねて欲しくなかった。
それが、加賀見の望みじゃなかったとしても、そんな風に堕ちてゆく彼を、
見ていられなかった。本当は優しいこの人が、血に染まる姿を黙って
見ているなんて………
つばさは堪らずに、加賀見の側にしゃがみこんだ。かける言葉を探す。
どんな顔をして、どんなことを口にしても、きっと加賀見は救われない。
だから、思ったままを口にする。自分が伝えたいと思うことを、つばさは
ただ、口にした。
「加賀見さんが、人殺しにならなくて、よかったです。ほんとうに。
きっと、七海さんもそう思ってます。犯人が捕まって良かった、って」
膝をついて、顔を覗き込んだつばさに、加賀見が真っ赤な目を向ける。
その眼差しは、怒りと悲しみに満ちていたけれど……
つばさは、彼から目を逸らさなかった。
「ほんとうに、七海がそう思ってると?だったら、教えてくれ。七海が、
いまどんな顔をしてるのか。側にいるんだろう?七海は俺の側に」
震える声で、加賀見が問いかける。つばさは、頷いて辺りを見回した。
そうして、七海の姿を見つける。加賀見の側にはいなかった。
七海は………
黒住刑事に支えられながら立ち上がる犯人を、鬼のような形相で
睨んでいた。その顔のまま、つばさを向く。彼女と目が合った瞬間、
つばさは背筋が凍りついた。喜んでなんか、いなかった。彼女は。
ものすごい形相でこちらを向いて、七海が何かを口にする。
その言葉を理解したつばさは、泪が滲んでしまわないように、
必死に堪えた。
「殺して、早く。こいつを殺して!!ねぇ、殺してよ!!」
地の底から、響くような声だった。
犯人とつばさを交互に睨みながらそう叫ぶ七海に、つばさは笑みを
返した。そうして、その笑みのまま加賀見を向くと……嘘を付いた。
「七海さん……笑ってます。あなたが、人を殺さなくて、よかった、って」
こんな風に、嘘を付いたのは初めてだった。それでも、彼女の言葉を、
いまの加賀見に伝えることが正しいとは思えない。加賀見が大きく目を
見開く。信じられないと言った顔で、背後にいる嵐を振り返った。嵐は
一瞬だけ、つばさを見やると、何も言わずに加賀見に頷いて見せた。
次の瞬間、加賀見の顔が、くしゃりと歪む。すでに、頬を濡らしていた
泪の痕を、再び大粒の泪が零れ落ちた。
「…っ…うっ……」
加賀見が漏らす嗚咽を掻き消すように、サイレンの音が近づいてきた。
側に立っていた門田刑事が、しゃがみ込んで加賀見の腕を掴む。
一台、二台とサイレンの音が増えていき、空き地の周囲に野次馬が
集まり出した。加賀見は深く、項垂れている。
「加賀見さん。日本には、復讐を禁じる法律があるんです。
だから、どんなにあなたが不憫でも、我々はあなたを逮捕しなければ
ならない。あなたの胸のうちに気付いていながら、こんな事態を招いて
しまって、本当に申し訳なかった」
穏やかな声でそう言ってポケットから手錠を取り出すと、門田刑事は
加賀見に手錠を掛けた。
「あなたを、殺人未遂の現行犯で、逮捕します」
虚ろな目で宙を眺めている加賀見を、立ち上がらせる。
つばさたちが視界に入っても、彼の目は色を取り戻さない。
犯人は呻き声をあげながら、黒住刑事の膝の下で暴れることをやめた。
斗哉に羽交い絞めにされたまま、その光景を呆然と見ていた加賀見は、
近づいてくる門田刑事に気付くと、がくりと膝を折る。そうして、両手で
顔を覆って、七海、七海、と、嗚咽を漏らし始めた。広い背中が小刻み
に震える。たった今、鬼のような形相で人を殺そうとした背中なのに、
目の前にある背中は、触れれば崩れてしまいそうなほどに、儚い。
胸が痛かった。きっと、犯人を殺したとしても、彼が悲しみから解放
されることはないからだ。だから、悲しみに悲劇を重ねて欲しくなかった。
それが、加賀見の望みじゃなかったとしても、そんな風に堕ちてゆく彼を、
見ていられなかった。本当は優しいこの人が、血に染まる姿を黙って
見ているなんて………
つばさは堪らずに、加賀見の側にしゃがみこんだ。かける言葉を探す。
どんな顔をして、どんなことを口にしても、きっと加賀見は救われない。
だから、思ったままを口にする。自分が伝えたいと思うことを、つばさは
ただ、口にした。
「加賀見さんが、人殺しにならなくて、よかったです。ほんとうに。
きっと、七海さんもそう思ってます。犯人が捕まって良かった、って」
膝をついて、顔を覗き込んだつばさに、加賀見が真っ赤な目を向ける。
その眼差しは、怒りと悲しみに満ちていたけれど……
つばさは、彼から目を逸らさなかった。
「ほんとうに、七海がそう思ってると?だったら、教えてくれ。七海が、
いまどんな顔をしてるのか。側にいるんだろう?七海は俺の側に」
震える声で、加賀見が問いかける。つばさは、頷いて辺りを見回した。
そうして、七海の姿を見つける。加賀見の側にはいなかった。
七海は………
黒住刑事に支えられながら立ち上がる犯人を、鬼のような形相で
睨んでいた。その顔のまま、つばさを向く。彼女と目が合った瞬間、
つばさは背筋が凍りついた。喜んでなんか、いなかった。彼女は。
ものすごい形相でこちらを向いて、七海が何かを口にする。
その言葉を理解したつばさは、泪が滲んでしまわないように、
必死に堪えた。
「殺して、早く。こいつを殺して!!ねぇ、殺してよ!!」
地の底から、響くような声だった。
犯人とつばさを交互に睨みながらそう叫ぶ七海に、つばさは笑みを
返した。そうして、その笑みのまま加賀見を向くと……嘘を付いた。
「七海さん……笑ってます。あなたが、人を殺さなくて、よかった、って」
こんな風に、嘘を付いたのは初めてだった。それでも、彼女の言葉を、
いまの加賀見に伝えることが正しいとは思えない。加賀見が大きく目を
見開く。信じられないと言った顔で、背後にいる嵐を振り返った。嵐は
一瞬だけ、つばさを見やると、何も言わずに加賀見に頷いて見せた。
次の瞬間、加賀見の顔が、くしゃりと歪む。すでに、頬を濡らしていた
泪の痕を、再び大粒の泪が零れ落ちた。
「…っ…うっ……」
加賀見が漏らす嗚咽を掻き消すように、サイレンの音が近づいてきた。
側に立っていた門田刑事が、しゃがみ込んで加賀見の腕を掴む。
一台、二台とサイレンの音が増えていき、空き地の周囲に野次馬が
集まり出した。加賀見は深く、項垂れている。
「加賀見さん。日本には、復讐を禁じる法律があるんです。
だから、どんなにあなたが不憫でも、我々はあなたを逮捕しなければ
ならない。あなたの胸のうちに気付いていながら、こんな事態を招いて
しまって、本当に申し訳なかった」
穏やかな声でそう言ってポケットから手錠を取り出すと、門田刑事は
加賀見に手錠を掛けた。
「あなたを、殺人未遂の現行犯で、逮捕します」
虚ろな目で宙を眺めている加賀見を、立ち上がらせる。
つばさたちが視界に入っても、彼の目は色を取り戻さない。
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