彼にはみえない

橘 弥久莉

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episode2 おかしな三角関係

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「しっかりしてよ、黒沢。あんた、生徒会長なのよ?

こんなピンピンしてる生徒を、いったいどんな

理由で連れ帰るって言うの?」

人気の疎らな細い路地の片隅で、真理は斗哉を

見上げて腕を組んだ。つばさは、斗哉と真理の顔を

交互に見て、オロオロしている。

真理の言うことは最もで、つばさが旅行を中断

できる理由はどこにも見当たらない。

「それはそうだけど、熱はなくても腹痛が酷いって

訴えれば、何とかなるかもしれないだろ?」

「この子にそんな嘘が付けると思う?朝ごはん

だって、ぺろりと平らげたのに」

まあ、それは確かに。つばさは、小腹が空いてきた

お腹を押さえて、斗哉を見た。

「とにかく、あと一晩なんだから、我慢しなさいよ。

黒沢の気持ちもわかるけど、今のところ、涼介って

男がつばさに何かする様子もないし、私だって

つばさの側にいるんだから」

真理に説得されて、斗哉もしぶしぶ頷く。

真理の言う通り、今は涼介が側にいる方が

心強いのだ。あんな悪霊の巣窟に、つばさ一人では

立ち向かえない。不意に、つばさはあの笑顔が

側にいないことに気付いて、辺りを見渡した。


そういえば、朝ごはんを食べ終わったあたりから、

涼介の気配を感じない。どこへ行ってしまったんだろう?

二人の会話をよそに、きょろきょろしていたつばさに、

斗哉が念を押した。

「つばさ。俺もお前の側にいるようにするから、

何かあったらすぐ言えよ」

「う、うん。ありがと」

つばさは、心細さを押し隠して、にかっ、と笑うと、

戻りましょ、と先を行った真理の背中に続いた。

以前よりも女子の視線がチクチクと刺さるものの、

何とか二日目の日程を終えたつばさは、集団に

混ざりロビーに立っていた。

「はい!じゃあ、部屋に荷物を置いたら、今日は

E組から順に入浴を始めて下さい!!食堂には

8時集合です!入浴を終えたクラス委員と各部屋の

班長さんは、7時45分に昨日と同じ部屋に集合する

ように。じゃあ解散!!」

昨日と同じように、ざわざわと動き出す集団に

流されながら、つばさは真理と肩を並べた。

「あー、疲れた。早く部屋で休もう」

「うん」

コキコキと首を鳴らしながら、そう言った真理に

頷くと、つばさは、ぞろぞろと先を行く生徒たちの

背中を目で追った。つんつん立った、栗色の髪を

探す。いた!つばさは、自分たちの部屋の先に立つ

涼介を見つけて、小さく手を振った。けれど、涼介と

目が合ったと思った瞬間、ふい、と逸らされてしまう。


ん?何だ???


つばさは、首を傾げながら部屋に入った。

そして、すぐにその変化に気付いた。空気が澄んでいる。

部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、爽やかな香りがしたのだ。

昨日まであった、あの重苦しい空気はなく、カーテンを開けて

みても、悍ましい顔をした幽霊もいない。


これって、もしかして………


つばさは涼介の姿を探して、部屋を見回した。

いない。まだ廊下にいるのだろうか?

「どうしたの?つばさ」

窓を背に、きょろきょろしているつばさに、

真理が怪訝な顔をして訊いた。

「ん?あのね、実は……」

つばさは真理を手招きすると、コソコソと耳打ちした。

「ふうん。あいつがねぇ」

窓の外を眺めながら、真理はちら、と横目で

つばさを見た。

「もしかしたら、涼介のヤツ、あんたのこと

本気で好きになったのかもね」

「いやいや、それはないって。だって、涼介には

加奈子さんがいるんだし」

「でも、あんたのために、涼介はここの

怨霊を追っ払ってくれたのよ?好きでも

ない子のために、普通、そこまでしないと

思うけど」

「だけど、私たち、昨日出会ったばかりだよ?

そんなちょっとの時間で人を好きになるなんて……」

ないない、と顔の前で手を振りながら、つばさは

真理の言葉を否定した。真理の口がへの字に歪む。
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