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【Diary ~あなたに会いたい~】
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closeの札を掛けられたばかりの扉が、
ガタガタと揺れる。店の奥でエプロンを外して
いたらしい父親が、はっと振り返り、ドアのガラス
越しに僕を見つけた。少し驚いたような顔をして、
こちらに向かってくる父親に頭を下げる。
すっかり忘れていたが、ついこの間、僕は父親の
胸ぐらを掴み、怒りのままに彼を責めたのだ。
きぃ、と開いたドアの隙間から父親が顔を覗かせた
ので、僕は再び頭を下げた。
「あの、先日はとても失礼なことをしてしまって、
すみませんでした。こんな時間に、突然、押しかけて
ご迷惑かとも思ったんですが、どうしても……
弓月さんに会わせていただきたくて……その…」
父親の顔が見れないまま、尚も言葉を探す。
すると、息を吐く気配と共に、穏やかな声がした。
「頭を上げてください。遠野さん。そんな風に、
あなたが謝ることは何もありませんから。
ここじゃ寒いでしょう。どうぞ中に入ってください。
弓月は眠っていますが、家には戻ってるんです」
ぽん、と肩にのせられた温もりに顔を上げれば、
父親が目を細めて頷く。
僕は促されるまま店の奥へ進み、
「あがってください。お茶でも淹れますから」
と、家と店とを繋ぐ入り口の灯りをつけた父親の
背中を呼び止めた。
「あの」
「………?」
暗がりの中で橙の灯りに照らされた父親が、僕を
振り返る。僕はほんの少し前に見つけたばかりの、
僕の気持ちを口にした。
「僕はずっと、弓月さんと一緒にいたいです。
だから、僕が弓月さんの側にいることを
許してください」
父親が目を見開く。その表情は、驚いているのか、
戸惑っているのか、よくわからない。
「それは……あの子と結婚したい、という意味で
しょうか?先日お話した通り、あの子の病気は
治る保証がありません。それでもあなたは、ずっと
あの子の側にいてくださる、ということですか?」
どこか、縋るような眼差しをして父親が僕に訊く。
僕は、“結婚”という言葉にどきりとしながらも、
背筋を伸ばして頷いた。
「もちろん、結婚はしたいです。でも、弓月さんの
病状がそれを許さないなら……僕はずっと、恋人の
ままで構いません。大切なことは、弓月さんが僕を
必要としてくれるかということと、僕が弓月さんの
支えになれるかどうかだと、思うんです」
正直、先のことは、何ひとつわからない。
今もまだ、眠り続けているらしい弓月が、いつ、
目覚めるのかも、そのとき、彼女にどんなことが起こる
のかも、弓月が僕を覚えていてくれるのかさえも
わからないのだ。それでも、弓月の側にいたいと思う。
今はただ、その気持ちを、誰よりも父親に知っていて
欲しかった。
「弓月には、あなたが必要です。でも、あの子の心は、
あなただけを、選ぶことはできない。そのことで、
あなたが辛い思いをすることは目に見えているんです。
それでも、あの子の為に側にいてやって欲しいと……
あなたが傷つくのをわかっていながら、私はあの子の
幸せを願ってしまっても、いいんでしょうか?」
もはや、泣き出してしまいそうな程に顔を歪めて、
父親が僕を見る。僕は目を細めた。
その言葉を口にするのは、少しだけ勇気がいった。
「僕が傷つくだけなら、それでいいです。
僕が側にいて弓月が辛くないなら、僕はそれで……」
すっ、と心が静まった。弓月の笑顔が、脳裏に浮かぶ。
彼女が幸せでいるために、僕が必要とされるなら……
どんな苦しみにも耐えられる気がした。
ガタガタと揺れる。店の奥でエプロンを外して
いたらしい父親が、はっと振り返り、ドアのガラス
越しに僕を見つけた。少し驚いたような顔をして、
こちらに向かってくる父親に頭を下げる。
すっかり忘れていたが、ついこの間、僕は父親の
胸ぐらを掴み、怒りのままに彼を責めたのだ。
きぃ、と開いたドアの隙間から父親が顔を覗かせた
ので、僕は再び頭を下げた。
「あの、先日はとても失礼なことをしてしまって、
すみませんでした。こんな時間に、突然、押しかけて
ご迷惑かとも思ったんですが、どうしても……
弓月さんに会わせていただきたくて……その…」
父親の顔が見れないまま、尚も言葉を探す。
すると、息を吐く気配と共に、穏やかな声がした。
「頭を上げてください。遠野さん。そんな風に、
あなたが謝ることは何もありませんから。
ここじゃ寒いでしょう。どうぞ中に入ってください。
弓月は眠っていますが、家には戻ってるんです」
ぽん、と肩にのせられた温もりに顔を上げれば、
父親が目を細めて頷く。
僕は促されるまま店の奥へ進み、
「あがってください。お茶でも淹れますから」
と、家と店とを繋ぐ入り口の灯りをつけた父親の
背中を呼び止めた。
「あの」
「………?」
暗がりの中で橙の灯りに照らされた父親が、僕を
振り返る。僕はほんの少し前に見つけたばかりの、
僕の気持ちを口にした。
「僕はずっと、弓月さんと一緒にいたいです。
だから、僕が弓月さんの側にいることを
許してください」
父親が目を見開く。その表情は、驚いているのか、
戸惑っているのか、よくわからない。
「それは……あの子と結婚したい、という意味で
しょうか?先日お話した通り、あの子の病気は
治る保証がありません。それでもあなたは、ずっと
あの子の側にいてくださる、ということですか?」
どこか、縋るような眼差しをして父親が僕に訊く。
僕は、“結婚”という言葉にどきりとしながらも、
背筋を伸ばして頷いた。
「もちろん、結婚はしたいです。でも、弓月さんの
病状がそれを許さないなら……僕はずっと、恋人の
ままで構いません。大切なことは、弓月さんが僕を
必要としてくれるかということと、僕が弓月さんの
支えになれるかどうかだと、思うんです」
正直、先のことは、何ひとつわからない。
今もまだ、眠り続けているらしい弓月が、いつ、
目覚めるのかも、そのとき、彼女にどんなことが起こる
のかも、弓月が僕を覚えていてくれるのかさえも
わからないのだ。それでも、弓月の側にいたいと思う。
今はただ、その気持ちを、誰よりも父親に知っていて
欲しかった。
「弓月には、あなたが必要です。でも、あの子の心は、
あなただけを、選ぶことはできない。そのことで、
あなたが辛い思いをすることは目に見えているんです。
それでも、あの子の為に側にいてやって欲しいと……
あなたが傷つくのをわかっていながら、私はあの子の
幸せを願ってしまっても、いいんでしょうか?」
もはや、泣き出してしまいそうな程に顔を歪めて、
父親が僕を見る。僕は目を細めた。
その言葉を口にするのは、少しだけ勇気がいった。
「僕が傷つくだけなら、それでいいです。
僕が側にいて弓月が辛くないなら、僕はそれで……」
すっ、と心が静まった。弓月の笑顔が、脳裏に浮かぶ。
彼女が幸せでいるために、僕が必要とされるなら……
どんな苦しみにも耐えられる気がした。
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