Diary ~あなたに会いたい~ 

橘 弥久莉

文字の大きさ
上 下
84 / 105

【月が輝く理由】

しおりを挟む

不思議と、遠野和臣に対する嫉妬心はなかった。

けれど、彼女は自分に、義兄の面影を重ねてみて

いただけだったのかと、そう考えてしまえば、

自分と同じ顔のその男がどうにも羨ましく……

妬ましい。不意に、父親が神妙な面持ちで言った。

「あの、ひとつ、お話ししておきたいことが」

「話……というのは?」

俺は表情を止めて身構えた。しばし沈黙が流れる。

「こんな風に弓月が意識をなくすのは、あの夜

 以来なので……これからどうなるのか、いつ、

 目覚めるのかも正直、わからないんですが……

 前に、小林先生が言っていたことを思い出し

 たんです。こうして眠っている間に“人格の

 統廃合“という現象が起こることがある、と」

「それはどういう……」

「今までいた交代人格が消えたり、新たな人格が

 出現したりする現象だそうです。私にも、詳しい

 ことはわからないのですが……もし、そういう

 ことが起こった場合、弓月が目を覚ましても、

 ゆづるの人格が戻らないこともあるんじゃないかと」

「つまり、もう二度とゆづるには会えない

 かもしれない。ということですね?」

僅かに落胆の色を浮かべ、そう確認すると、

父親は躊躇いがちに首を縦に振った。

「わかりました。そういう可能性もあると、

 胸に留めておきますよ」

俺は父親に微笑を向けると、残っていた

珈琲を一気に飲み干して、席を立った。

そして、そろそろ帰ります、と言った。

「じゃあ、私も。まだ面会時間があるので」

父親も席を立ち、ラウンジの外に向かう。

じゃあ、と別れを告げた俺に頭を下げた

父親の表情には、安堵の色が透けて見えた。


店の前についたのは開店時間よりも少し前で、

入り口の照明はまだ照らされていなかった。

レンガ造りの階段を下りてドアの前に立つ。

街灯の灯りが届かない暗がりの中で、

俺は目を凝らして店のプレートを見た。

『Duo』(デュオ)

音楽用語で“二重奏”という意味の言葉が、

この店の名で、彼女がこの店を好んだ理由も、

いまなら何となくわかる。

あの日記のやり取りにあったD-3089。

あれはおそらく、この店の頭文字だろう。

そんなことを思いながら店の前に立ち尽く

していると、重い扉が開いてマスターが

顔を出した。

「びっくりした。恭さんか。今日は早いね」

目を丸くしながら、白い歯を見せる。

俺は肩を竦めて苦笑いした。

「どうしてもマスターの酒が飲みたくてね。

 まだ開店前だけど、いいかな?」

じっとマスターの目を覗き込む。

すると、何かを察したのか、マスターはもちろん、

と大きくドアを開け、中へと促した。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

[完結]思い出せませんので

シマ
恋愛
「早急にサインして返却する事」 父親から届いた手紙には婚約解消の書類と共に、その一言だけが書かれていた。 同じ学園で学び一年後には卒業早々、入籍し式を挙げるはずだったのに。急になぜ?訳が分からない。 直接会って訳を聞かねば 注)女性が怪我してます。苦手な方は回避でお願いします。 男性視点 四話完結済み。毎日、一話更新

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...