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【運命の交差点】
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「!!」
ドキリと鼓動が跳ねて、俺は息を呑んだ。
ゆらりとドアの前に立つ人物を凝視する。
そこには------
酷くやつれた顔をした、尚美が立っていた。
「……いたのか。ずっと来ないから、
どうしたのかと……何か、あったのか?」
息を整えながら彼女の顔を見れば、
やつれた頬に3本の傷がある。
引っ掻きキズ、だろうか?
細い傷痕は赤いかさぶたを残して
少し腫れている。
「ごめんなさい、恭介。来てくれたのね。
入って。散らかってるけど……」
いつもより張りのない声でそう言って、
尚美が奥へ戻っていく。
俺はただならぬ気配を感じながら、
ドアを閉めて彼女の部屋へ上がった。
しばらくぶりに入った尚美の部屋は、
“今まで”とは違っていた。
一歩入った瞬間に、異様な臭いが鼻をつく。
眉を顰めて辺りを見回せば、倒れた
観葉植物の鉢植えからこぼれた土の臭いや、
絨毯に撒き散らされたワインらしき酒の臭い。
そして捨てられないまま溢れたゴミが、
閉め切りの部屋に異臭を放っていた。
俺は何も言わず、倒されたそれを避けて
部屋の奥へ進むと、分厚いカーテンと共に
ベランダの窓を開け、夜風を部屋に通した。
すぅ、と流れ込んだ外気を吸い込んで
振り返る。尚美は糸が切れた人形のように、
浅くソファーに座ったまま、宙を眺めていた。
「何があったんだ?いったい」
脱いだジャケットをソファーの背にかけて
尚美の隣に腰掛けると、俺は顔を覗き込んだ。
ふと、彼女の表情が緩む。
本当は泣きたいのに、間違えて
笑ってしまったような、そんな顔だった。
「バレたのよ。奧さんに。突然、
ここへ押しかけてきて…あの人と別れろって。
びっくりしちゃった。人って、あんな
鬼みたいな顔をして、あんな怖いことが
できるものなのね。本当に、殺されるかと……」
震える声でそこまで話すと、
尚美は両手で自分の腕を掴んで唇を噛んだ。
そうだったのか、と小さく息をついて尚美の
肩を抱くと、俺はもう一度部屋を見渡した。
それ以上のことはあえて聞かなくても、
部屋の状況を見れば修羅場が目に浮かぶ。
鬼のような形相で尚美に掴みかかった
その人は、怒りと憎しみを込めて
彼女の頬に赤い爪痕を残したのだろう。
夫を奪ったその女の顔に、数日は外に
出られないような傷を、わざと残した。
「傷、酷いな。まだ痛むのか?」
左の頬に残る爪痕に手を伸ばすと、
俺の手が触れる前に尚美は首を振った。
「大丈夫。傷はもう、痛まないの。
それに、酷いことをしたのは、
私の方だから……これは、報いね」
ふふ、と俯いて自嘲の笑みを浮かべる。
俺は一瞬、どう答えていいかわからずに
視線を床へ落とすと、徐に口を開いた。
「部長は……あの人はどうしてるんだ?
話したんだろう?奥さんがここに
来たこと。向こうはどうするって?」
そのことを訊くのは、躊躇いがあった。
不貞を犯す男の本音を考えれば、
部長が“家庭”を壊してまで尚美を
選ぶことは、ない。多くの場合は、
これでおしまいだろう。もしかしたら、
尚美は職場へも戻れないかもしれない。
そんなことを頭の隅で考えながら、
俺は彼女の言葉を待った。
ドキリと鼓動が跳ねて、俺は息を呑んだ。
ゆらりとドアの前に立つ人物を凝視する。
そこには------
酷くやつれた顔をした、尚美が立っていた。
「……いたのか。ずっと来ないから、
どうしたのかと……何か、あったのか?」
息を整えながら彼女の顔を見れば、
やつれた頬に3本の傷がある。
引っ掻きキズ、だろうか?
細い傷痕は赤いかさぶたを残して
少し腫れている。
「ごめんなさい、恭介。来てくれたのね。
入って。散らかってるけど……」
いつもより張りのない声でそう言って、
尚美が奥へ戻っていく。
俺はただならぬ気配を感じながら、
ドアを閉めて彼女の部屋へ上がった。
しばらくぶりに入った尚美の部屋は、
“今まで”とは違っていた。
一歩入った瞬間に、異様な臭いが鼻をつく。
眉を顰めて辺りを見回せば、倒れた
観葉植物の鉢植えからこぼれた土の臭いや、
絨毯に撒き散らされたワインらしき酒の臭い。
そして捨てられないまま溢れたゴミが、
閉め切りの部屋に異臭を放っていた。
俺は何も言わず、倒されたそれを避けて
部屋の奥へ進むと、分厚いカーテンと共に
ベランダの窓を開け、夜風を部屋に通した。
すぅ、と流れ込んだ外気を吸い込んで
振り返る。尚美は糸が切れた人形のように、
浅くソファーに座ったまま、宙を眺めていた。
「何があったんだ?いったい」
脱いだジャケットをソファーの背にかけて
尚美の隣に腰掛けると、俺は顔を覗き込んだ。
ふと、彼女の表情が緩む。
本当は泣きたいのに、間違えて
笑ってしまったような、そんな顔だった。
「バレたのよ。奧さんに。突然、
ここへ押しかけてきて…あの人と別れろって。
びっくりしちゃった。人って、あんな
鬼みたいな顔をして、あんな怖いことが
できるものなのね。本当に、殺されるかと……」
震える声でそこまで話すと、
尚美は両手で自分の腕を掴んで唇を噛んだ。
そうだったのか、と小さく息をついて尚美の
肩を抱くと、俺はもう一度部屋を見渡した。
それ以上のことはあえて聞かなくても、
部屋の状況を見れば修羅場が目に浮かぶ。
鬼のような形相で尚美に掴みかかった
その人は、怒りと憎しみを込めて
彼女の頬に赤い爪痕を残したのだろう。
夫を奪ったその女の顔に、数日は外に
出られないような傷を、わざと残した。
「傷、酷いな。まだ痛むのか?」
左の頬に残る爪痕に手を伸ばすと、
俺の手が触れる前に尚美は首を振った。
「大丈夫。傷はもう、痛まないの。
それに、酷いことをしたのは、
私の方だから……これは、報いね」
ふふ、と俯いて自嘲の笑みを浮かべる。
俺は一瞬、どう答えていいかわからずに
視線を床へ落とすと、徐に口を開いた。
「部長は……あの人はどうしてるんだ?
話したんだろう?奥さんがここに
来たこと。向こうはどうするって?」
そのことを訊くのは、躊躇いがあった。
不貞を犯す男の本音を考えれば、
部長が“家庭”を壊してまで尚美を
選ぶことは、ない。多くの場合は、
これでおしまいだろう。もしかしたら、
尚美は職場へも戻れないかもしれない。
そんなことを頭の隅で考えながら、
俺は彼女の言葉を待った。
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