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【一輪の恋】
しおりを挟むすっかり冷めた最後の一口を口に含んで
カップをソーサーに戻した。その時、カラン、と
ベルの音をさせて店の戸が開いた。いつもの席に
座る僕を見つけて、彼女が微笑む。
-----コツコツコツ
古い木の床を歩く彼女のサンダルが、控えめな
足音を立てた。
「お疲れさま」
少し腰をずらして、隣をあけた僕に「ありがと」と
言って彼女が座る。アンティーク調の古いソファーが
彼女の体を支えて、ギシと僕を揺らした。
「はい、これ」
いま座ったばかりの彼女に、僕はお薦めの本を渡した。
「ありがとう」
ふふ、と、肩をすくめて弓月が本の表紙を開く。
「まだ、先週借りた本が読み終わってないの。
これ、しばらく借りるけどいい?」
パラ、と目次に目を通すとすぐに本を閉じて言った。
「もちろん。ゆっくり読んで。この作者の探偵シリーズは
どれも面白いけど、特にこの作品の叙述トリックは
本当に凄いから。きっと最後まで…っ…」
そこまで言った僕の唇を、弓月の人差し指が止めた。
「聞いちゃったら、読む楽しみがなくなっちゃう。
それ以上言わないで」
子供を諭すような目で、弓月が僕を見る。
「ごめん」
いつもの癖でつい、しゃべりすぎてしまった僕は、
口をへの字にして珈琲カップに手を伸ばした。
しまった、空っぽだ。
僕は弓月の顔を覗き込んだ。
「弓月、何か頼む?僕は珈琲をおかわりするけど」
「じゃあ、私も同じの頼もうかな。
夕食はお父さんと食べるから、今日も8時には帰らないと」
「わかった」
僕は手を挙げてカウンターに声をかけた。
「はい」
注文を終えた僕が次に差し出したのは、
何の変哲もない白い封筒で……
ソファーに背を預けた弓月は、なに?と、
また体を起こした。
「植物園行った時の。良く撮れていたから」
封筒を受け取った弓月が、ああ、と頬を緩める。
手に取って封を開けると、1枚の写真を取り出した。
「ホントだ。よく撮れてる」
そう呟いて、弓月は眩しそうに写真を眺めた。
紫陽花の前で二人、手を繋いでいるその写真は、
明るい太陽に照らされ白く見える薄紫の色彩が、
どこか儚く見える。
「大事にするね」と、弓月は写真を封筒に戻すと、
借りた本の間に挟んで鞄にしまった。
「写真っていいね。これがあれば、
会えない時間も淋しくないから」
照れたように肩を竦めて、弓月が微笑む。
「そう?」
僕も笑って、彼女の右手に自分の手を絡めた。
その手をきゅ、と握り返す弓月の温もりを感じれば、
ジンと胸が痺れる。あの日から毎日、こうして時間を
共にしているのに、それでも、会えない時間を淋しいと、
弓月が言ってくれる。幸せすぎた。
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