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凛七星

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第八章

駆け引き

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 ケイと金山とでは距離がありすぎた。直に何か情報をつかむというのは不可能だ。山内からのネタ探しの線しかない。山内の仕切るデートクラブは全部で八軒ある。衛藤の命令の件は言われたとおり客を装って女の子を呼び、いい条件を出すから店を移らないかと誘うことで切り崩していく。しかし、いくらなんでも堂々と路上で口説くわけにもいかない。山内のところの若い連中は大半がケイのことを知っていた。白姫を送り出して、一人残ったカフェで底に残る冷めたコーヒーを飲み干すと、ウエイトレスにおかわりを頼んでケイはもう一度頭の中を整理した。
〈待てよ。例の雑誌に外人の売人たちのことが書いてあったな〉
 畑上一家の建前で金山も衛藤も組のシノギとして薬を表向きでは扱わない姿勢だったが、裏では外国人のマフィアやギャング、不法滞在者たちを使ってさばいている。その線から組が絡んでいる証拠を押さえて表に出せば、どちらの組にしても一家から詰め腹を切らされるだろう。そこだ、その線ならオレに利があるとケイは思った。ケイはときどき小遣い稼ぎで衛藤に知らん顔して外国人の売人からシャブやコカイン、メスカリン、クラック、LSDに大麻という非合法なものから、向精神薬のリタリンなど、少量ずつだが横流しをしてもらっていた。裏の世界のさらにアンダーグランドなところでは、ケイはかなり顔が利く。
〈その連中から山内の息がかかったヤツを探せるかもしれない……〉
 コーヒーのおかげで頭が冴えてきたケイはカフェをあとにすると、これまで取引をしていた連中がいるチャイニーズタウンへと足を向けた。
 いつからかケイのいる街の裏通りには、表にはけっして姿を現さないマフィア化した外国人たちが自分たちのテリトリーを作っていた。朝鮮人、中国人、フィリピン人、タイ人、ロシア人、イラン人、コロンビア人……。ありとあらゆる人種が華やかな街の影にできた闇の中で蠢いていた。チャイニーズタウンは、その中でも最近一番勢力を伸ばしている連中たちがいる。ケイにとっても安心できる関係の相手ではない。だが、この街ではアンダーグラウンドの外国人らとケイは〈同じ側にいる者〉といった微妙で砂の器のようにもろくて頼りなげなものだが、仲間意識も少なからず成立している。そこに僅かな希望を見出していた。
 入り組んだ迷路のような路地は、香港の九龍城を懐かしんでるような連中たちによって、すでに日本の匂いはどこかに消えている。あちこちから自分たちとは違う匂いをさせたケイに鋭い視線が突き刺さった。
「おい、チャンのいる場所を知らないか?」
 ケイは見たことのある顔をした女の腕をつかんで聞いた。
「さぁ、どこだろうねぇ。たぶん黄の店にでもいるんじゃないの」
 女は昨夜の仕事の疲れを引きずるような身のこなしで、ケイの手を腕から払うと歪めた顔と視線で店のあるところを示した。そこに佇んでいたのは、いかにも中国という色彩で玄関が飾られた店だった。近づいたドアには鍵がかかっていなかった。中は看板にある飯店として営業している様子はまるでなくて、危険な連中のアジトになっているようだった。
「誰かいないのかぁ?」
 ケイが声を張り上げると、店の奥の扉が開いてチャンの手下の1人が出てきた。
「ナンノヨウダ、ココデハクスリヲウラナイナ」
「チャンはいるのか」
「ダカラ、ナンノヨウアル、ナンノヨウデキタナ」
「ケイが来たと伝えてくれ。ちょっと話があるんだと」
「メズラシイナ、ココマデクルノハ」
 ケイが手下と押し問答をしていると、奥からチャンが口元を歪ませて姿を見せた。こいつは荒っぽい仕事ぶりで、このところメキメキと頭角を表してきた男だ。ケイは一度チャンが裏切ったヤツの腕と足を青龍刀で叩き斬るのを見たことがあった。
「頼みたいことがある。中国人の女を助けることにもなるんだけど」
「だから何だ?それがオレたちにどんなメリットがある?」
「山内を知ってるだろ。あいつが潰れれば、おまえらも今より商売がしやすくなるんじゃねぇのか」
 チャンは鼻先で笑う唇を、舌を突き出して舐めるとケイを奥へと案内した。
 チャンがケイを招き入れた奥の部屋は、オレンジがかった白熱灯の弱い光がすべてを曖昧な輪郭で浮かび上がらせていた。中には古ぼけた朱色の円卓、パイプベッドとその上のノートパソコン、二十インチくらいの薄型テレビに大型の冷蔵庫などが目につくくらいだ。壁にはところどころに色褪せた香港映画や異国情緒を感じる女たちのヌードポスターが貼られている。チャンは冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出しながら、テーブルに着くよう無言で指図した。ケイが椅子に腰を降ろすと、チャンは手にしていた缶ビールを投げて渡した。
「青島ビールはイマイチ好きじゃないんだけどな」
「飲みたくないなら開けなくてもいいぞ」
 二人の間に沈黙と緊張感が走る。絡み合う視線は相手の腹を探り合う、抜け目のない鋭さが露わだ。
「お前のところの組の話は、いろいろと耳に入ってきてる」
 ビールをあおりながら口火を切ったのはチャンの方だった。
「それなら話は早いな。この機会に俺は山内のシマを飲みこんで、そのあと衛藤の足元もすくうつもりだ」
 ケイはいきなり直球を相手の懐に投げつけた。したたかな中国人マフィアに変化球勝負は墓穴を掘りかねない。とくにチャンは曲者だ。
「そりゃ、すごい。で、そのあとはどうするつもりだ?」
「それを手土産に金山のオジキに杯をもらおうとおもってる。オレはこの街を自分のシマにする。オジキは目の上のたんこぶになりそうな相手が消えるし、衛藤組のシマも自分の勢力下に置ける。そしてチャン、お前はいままで以上に仕事がしやすい街になる……っていうのはどうだ?」
 再び沈黙と睨み合いになる。チャンの返事を待っている間、自分の人生をチップにして張ったバカラで、最後に配られたカードを絞るようだとケイは感じていた。
「さっき山内と徳山がここに来てたよ」
 チャンの言葉にケイは一瞬だが顔に動揺を浮かべてしまった。徳山ならここへ来ることもありえる。先を越されたかとケイは掌に腋に、そして背中に冷たい汗を感じた。
「そして同じような絵図を話してたね」
 ケイはこの場から逃げる道を探ったが、部屋の出入り口になる扉にはチャンの手下が数人たむろしているし、たったひとつの小さな窓は鎧戸で固く閉ざされていた。逃げ道はない。
「喉が渇いたんじゃないか?そんなときは、どこのビールでもうまいだろ」
 ケイは青島ビール缶を開け、ゆっくりと口に含む。喉が鳴る音が部屋中に響くような気がした。
「オレたちにとっちゃあ、おまえでも山内でも商売がやりやすくなるのなら、どちらでもかまわない。どちらの味方になることもないね。下っ端の一人や二人が犠牲なっても、それだけの見返りがありそうだ。いまは高みの見物っていうのか?そうさせてもらうさ」
 チャンは椅子にのけぞると両手を広げて笑った。ケイは警戒心を解かなかった。そして中国人の利害への聡さをいまさらながら噛みしめた。
「山内たちは……こっちが使っていたヤツをもう知っているのか?」
「あぁ、教えてやったよ。そいつが押さえられたら、組に黙ってクスリをさばいていたおまえもヤバくなるね」
 そのとおりだ。山内は必ず売人の口を割らせて自分のところまでたどりつく。こうなったらどっちが先にネタワレさせてケジメを取るかだ、とケイはおもった。
「山内ところで商売してたヤツは、オレに教えてくれるんだろうな」
 このヤマのケリをつけられれば、そのあと多少は目をつぶってチャンの条件を飲むにしても、ここはハッキリと情報を聞き出さなければならない。そのことを匂わしながら、ケイは最後の勝負カードの目を確かめた。
「だいじょうぶ、そんなに焦らなくても山内のとこで動いてたヤツも、おまえや衛藤と取引していたヤツも中国へ仕入れに行ってる。もどってくるのは二週間後だ。それまではどっちも手の出しようがないね」
「その話は信じていいんだな」
 ケイの鋭い視線がチャンを射抜く。チャンはテーブルに肘をつき身を乗り出した。
「商売がやりやすくなるのなら、どっちが生き残ってもかまわないのはホントだ。でも、できれば山内よりもこの国ではよそ者同士のおまえとつきあえた方がいいとはおもってる。だけどな、下手にこれ以上でしゃばるよりも、こっちとしては成り行きを見届ける方が賢いだろ。オレたちはどう転ぼうが完全アウェーの他人の国で商売している身だ。うまく立ち回らないとな」
 ともかくこの場では勝負はつかずに流れた。なんとか首の皮一枚残ったとケイは胸を撫でおろす気分だったが、チャンにそんな気分を悟られないように表情には出さなかった。
「こいつが山内の側で商売していたヤツだ」
 ケイはチャンから手渡された写真の男の名前を聞くと席を立った。
「この青島ビールはオレには香辛料が強すぎるな」
「そうか?じゃ次はおまえがうまいと思うビールを飲ませてくれよ」
 チャンは部屋を出ようとするケイの言葉に、おどけたようにそう言い放った。
〈喰えねぇヤツらだぜ〉
 ケイはチャンのアジトになっている店を出ると、チャイニーズタウンをぐるりと見渡し、そう胸の内でつぶやいた。
 ホントに二週間は写真の男を捕まえられないのかどうか信用できたもんじゃない。それに徳山が動いているなら自分が有利だとは言い切れなくなった。〈あいつならオレと同様に外国人たちとパイプを持っていても不思議じゃない。こんな因果で徳山とぶつかるとは……〉
 ともかくケイはチャンの言葉を確かめるためにも、その足で街を徘徊する連中のところへ向かった。
 裏通りは昼間の姿から徐々に夜の装いへと移ろうとしているころだった。どこからともなく得体の知れない連中たちが湧いてくる。見慣れた顔もあれば、そうでない者もいた。一瞬ここはどこなんだと眩暈のような感覚にケイは襲われた。剥き出しになった欲望が交錯する空間はどんな存在も拒まないし、どんな存在も安らかにはさせてくれない。そしてここは弱肉強食のジャングルそのものだ。世界屈指の安全さを誇る国であるはずの大都会の一角に、確かに存在する場所を日本人はそれが視界に入らないのか、それとも入れようとしないのか、あるいは認めたくないのか、この混沌としたエリアについて多くを語りはしない。逆にだからこそ深い闇に身を潜めて、さまざまアウトローたちが棲みつけるわけだが。そして、そこでサバイバルする自分がいる。ケイはそんなことをおもいながら、見知った顔の連中にチャンから受け取った写真を見せて、もし見つけたら謝礼を弾むから連絡をしてくれと頼んだ。
 ずっしりと湿ったような疲労感がケイを包む。だが、このあともやらなきゃならないことが残っている。ひととおり裏通りをめぐると、ケイは昨夜と同じラブホテルまでもどった。白姫と別れたのは今朝のことだったが、もう何日も経過したような錯覚に陥ってしまいそうだった。部屋に入るとバスタブに湯を張り、泡立つ入浴剤を入れてケイはジャグジーのスイッチを押した。浴槽からあふれ出そうとする泡を見ていると、それは自分の中の不安と恐怖が姿を変えて現れてきたようにもおもえた。
〈いまはそれを抱えて突っ走るしか道は残ってない……〉
ときおり睡魔に襲われると、顔を何度も湯の中に沈めそうになりながら、ケイは頭の中で同じ言葉を行き来させつつ、わずかな休息の時間に身を委ねた。


つづく
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