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凛七星

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第七章

悔恨

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 ケイは眠ることができずにいた。互いが抑えていた感情を放流させた快楽に溺れた余韻からも覚め、ケイは傍らで腕枕に小さな寝息を立てる白姫の細い肩を抱き寄せながら、衛藤と金山のそれぞれが描いている絵図がどういうものかと考えをめぐらせずにはいられなかった。
〈とりあえずは兄貴の命令どおり動いているようには見せるべきだろうな。だけど女を引き抜いてトラブルを起すことで、次に打つ手はどういうことが考えられる?総会で兄貴が直系の若頭補佐に推挙されるのは一ヵ月後だ。それで金山のオジキとは同格になる。だけど、そうなると逆に身動きが取りにくくないか?強引に身内もんのシマに手を出すようなことを、畑上一家という大看板の幹部がするわけにはいかないだろ。とくに兄貴はメンツを気にするタイプだから、花道にケチつけるようなことは絶対に避けたいはずだ。それに、もしもだ。直参の子分がもめてるからと一家の親分が出てきてたら、不利なのは同格になるとはいえ兄貴の方だ。だから昇格直前ギリギリのところで、枝のもん同士のゴタゴタという話にできるうちに、山内のシマをいくらかでも、できれば丸ごと手に入れてしまおうって腹なんだろうか。おいしいシマだもんなぁ……。そうなったあとで、すぐに昇格となれば金山のオジキも同じ貫目になる組内の相手に、そうそう思惑どおりにケジメは取れねぇだろうし。そうなっての手打ちなら兄貴にとって有利な条件に持ちこめることもできる。畑上一家の跡目を狙う派閥の中ででも、新参の兄貴としてはいい顔ができるってわけか?そのうえオレがきっちりと金山組の武闘派若頭の山内でもれば、あとで万が一で組同士の喧嘩になったときに悩みの種をひとつ減らせているというところか……〉
 ケイは白姫が目を覚まさないように、そっと腕を彼女から抜き取ると冷蔵庫の缶ビールを取り出すと、大きな音が立たないように気をつけながら開けた。喉が渇いて薄い膜が貼っているような感覚はホテルのエアコンのせいだけじゃない。ケイは自分の置かれている状況が、あらためてどれほど危険かをおもい知った。あっという間に一本を空にすると、またビールを冷蔵庫から取り出す。すぐにそれも呑み干すとビールがなくなったので、ウィスキーとワインのミニボトルをいっしょにテーブルに置いた。
〈じゃあ逆に金山のオジキや山内はどう出てくる?女を引き抜きシマを荒らしているのが、女を売って管理するはずの衛藤組の息がかかったオレだとつきとめて、兄貴にケジメを取らせるというのはまずある。だけどそれだけで済むんだろうか?オジキだって兄貴のことは警戒している。できれば機会を見て潰しにかかりたいとおもっているはずだ。ましてイケイケの山内がいる。必ず何かネタにしてオジキに空気を入れてくるに違いない……それは何だ?どっちにしても、この絵図の鍵になるのはオレってことだ〉
 そんなことをおもい巡らしていると、いまさらながら衛藤の狡さにケイは口惜しさを募らせた。
 


 ケイがバンドをやっていたころ、あるレーベルでメジャーデビューする話になったとき、そこのプロデューサーと芸名のことで大ゲンカになってしまった。他から見れば些細な問題のように見えただろう。だがそれは、ケイにとっては譲ることのできない一線だった。自分の信念を蔑ろにされることは許せなかった。ケイは自分のこだわりを踏みにじり、無碍にした相手にキレてしまい派手に暴れた結果、病院送りにされたプロデューサー側がケイを傷害罪で告訴し、おかげで最初の前科がつくことになった。初犯で執行猶予があったので、すぐに拘置所から出られたが、当然デビューの話は立ち消えになり、バンドも解散。ケイは音楽業界から締め出されると、夜の街で毎夜のように酒を浴び、気に喰わないヤツを相手に暴れていた。そんなころにケイは衛藤と出会った。暑い、ただ暑いだけで誰かを殺してしまいそうになる夏の夜だった。
〈ヤクザになるにしても遅咲きデビューだったしなぁ。出世のコースから外れるのもしょうがないし、オレも成り行きまかせなところがあったし。だけど最初のころから、よく考えれば兄貴にはいいように使われてたっけ〉
 裏街道に足を踏み入れるきっかけは、いま衛藤組の若頭をしている鈴木だった。そのころの鈴木はまだ高校を中退して間もないチンピラで、いまのケイと同じ身分の準構成員だった。衛藤と若い衆がどこかのクラブで飲んでいるのを、いかにもなメルセデスの横で待っている鈴木と、ガンを飛ばした飛ばさないというたわいないことで喧嘩になった。ケイも一八〇を超える長身だったが、鈴木はさらにいくらか高く、体格も痩身のケイとは対照的に寝技格闘技系のガッチリした体型だった。野次馬連中たちはケイが圧倒的に不利だなとおもっていただろう。ケイは体をつかまれると簡単に勝負がついてしまうと考えて、距離を取りながら手当たり次第に周りにある物を投げつけて、鈴木が近づけないようにしながらタイミングを測っていた。そこへ外の様子に気づいた衛藤たちがビルから出てくる。鈴木が一瞬そちらに気を取られたとき、ケイは柔道の朽木倒しのように両膝上あたりへタックルした。鈴木はおそらく後頭部を軽くアスファルトにぶつけたに違いない。動きの止まった鈴木の上に馬乗り、つまりマウントポジションを取ったケイは拳で鈴木の顔面を壊した。いまの鈴木の無表情な顔はそのとき受けた怪我の後遺症だ。誰かの通報でやってきた警察にケイはしょっぴかれたものの、すぐに無罪放免となった。不思議だなとおもったが、警察署を出ると衛藤の子分たちが外で待っていた。衛藤はケイの喧嘩の上手さに使えると踏んで、告訴をしないで義理をかませた。
〈あのときは助かったとおもったけど、兄貴のところに世話になってから帳尻あわされたよなぁ……。手形のパクリで身代わりになって詐欺と窃盗罪、それとボディガードのとき他のヤツが刺しちまった分の傷害も被って3年半も懲役を打たれたし〉
 ケイには肉親は一人もいなかった。両親は若くして死んだし、一人いた妹もいまはもうこの世にいない。出所した彼を待っていたのは衛藤の組の若い衆だった。ケイは両腕には、バンドマン時代に入れたタトゥーがあった。組に戻ると新たに両胸と背中へ龍と虎の彫り物が加わった。ここで生きていくしかないか、ケイはそうおもった。
〈いまんところ金山のオジキと山内に関しては何もわからないんだから、考えてみたところで、どうしようもないだろ。くそっ、目が冴えて眠れねぇや〉
 すでに冷蔵庫のアルコールはすべて飲み尽くしていた。それでも神経の高ぶりは治まらない。灰皿は吸殻であふれている。ふとケイがベッドの方へ目をやると、少し身を起こした白姫がじっとその様子を見ていた。ケイはベッドまで行くと、涙の跡を整った顔に残す白姫に道化て、幼い子をあやすような仕草をして見せた。そんなケイと再びベッドに体を預けた白姫は、細くて長い指先で憔悴を浮かべた両頬をつつみ、柔らかで少し湿った唇を近づける。ケイはそれに応じると、自分の覚悟を確かめるように美しい曲線を描く身体に手を這わせた。
〈やるしかないんだ、それしかない……〉
 ケイは胸の内で何度も繰り返した。それは恐怖心と不安に腰が引けそうな自分に、鞭を入れるものだった。
 眠れない長い夜を明かしたケイはラブホテルを出ると、白姫といっしょにカフェでコーヒーを飲みながら金山と山内の動向を探る手立てを考えた。メニューを白姫に見せるが日本語と英語でしか書いてないので、よくわからないようだ。ケイが自分はコーヒーにするが、と聞くと白姫も同じのでいいと言う。
〈たった半年ほど前は、飲んだあと眉間にシワを寄せていたのにな〉
 ケイは白姫と出会ったときのころと、いまの彼女とをイメージの中で比べてみた。人はみな変わってしまう。そして、必ずしもいいように変わるわけではない。白姫も変わってきている。外見だけでも明らかな違いがある。山内に買われたときは、無垢な美しさを放っていたが、いまは男を惑わすための妖しさがあった。それは彼女の商売のためには必要なものだから当然のことだ。ケイは、もしもうまく自分が山内の手から白姫を解き放ってやったとしても、彼女がけっしていい人生を送れないんではないかというおもいが湧き起こり、心臓が締めつけられるような感じがした。
〈飲めなかったコーヒーも、飲めるようになる…か〉
 向かいの席の座って無邪気に自分の顔を見ている白姫に、ケイは急に質問をしたくなった。
「おいっ、どうしてオレのことを…オレを信じるんだ?」
 白姫は突然のことに、言葉を探そうとまごついた。
「ワタシニホンゴヘタ、イエナイ…。ケイサン、チガウ、ワタシマワリ、ミンナワルイ、デモケイサン、チガウ……」
「オレがどう違う?オレだってヤクザだし、悪いってヤツらと同じことをしているぞ。どこが違うっていうんだ?女だった騙して売り飛ばすぞ」
 ケイの言葉に隣の席に座っていた若いサラリーマンが顔を強張らして、あとずさりした。ケイはそれを一瞥して、視線を白姫に戻した。
「金のために人を殴るし、蹴るし、脅すし、いやがらせもする。必要なら殺すことだってやらなきゃなんねぇんだ。そんなヤツを簡単に信用してどうすんだ、バカヤロー。お前みたいに金になりそうな女にはな、甘いことを言って近づこうとするのが山ほどいるからな。この国じゃあな…オレたちみたいなよそ者は死のうが生きようが知ったこっちゃねえんだぞ。だから生きてくためには、どんなことだってやる覚悟を……」
 それは白姫に対する言葉だけじゃなかった。いまのような暮らしを、こんな人生になってしまった自分に対する怒りだった。 
「デモ、チガウ、ケイサン、チガウ……」
 白姫は自分の気持ちをうまく伝えられないもどかしさに、うつむいて言葉をつまらせた。
「泣くんじゃねぇよ。泣いたって、誰も助けてくれない。やさしくしてくれやしないんだよ。泣いたら、よけいにイジメられるだけだ」
 それはケイが子どものときから自分にずっと言い聞かせてきた言葉だった。白姫はそれでも小さく首を横に振った。
「まぁ、いい。とにかく山内からは、なんとしても助けてやる。だけど、そのためにはオレが言ったことをやってもらわなきゃな。頼んだぞ」
 白姫は顔を上げると、ケイの目をまっすぐ見てうなずいた。
「それから早くひらがなくらいは読めるようにしろ。字がわかんないと苦労するぞ。それからこれ、持っとけ」
 ケイはいつでもすぐに連絡を取れるように、最新機種の携帯電話を白雪に手渡した。
「この携帯はメールってのができるやつだけど、字がわからなきゃ無用の長物だな。いいか、何かあったらすぐに知らせるんだぞ」
 そう言うとケイは白姫を朝の光が眩しい街の中に送り出した。通りは急ぎ足で職場や学校へ向かう人々が行き交っていた。
〈昼の光に……闇の深さがわかるものか、だったか〉
 ケイは手を目の前にかざして白姫の背中を見つめていた。


つづく
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