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第五章
転機
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「おうっ、今日の回収はどうだった?」
カウンターに肘を着き、ぼんやりと夕焼けが深い紫紺の色へと移り変わろうとしているのをケイが眺めていると、えらく機嫌のいい声で衛藤が入ってきた。
「いちおう全部できたよ」
ケイが軽く会釈して集金と債権のサルベージの成果を報告すると、衛藤はニヤけた顔でうなずいた。
「さすがだねぇ。俺が見込んだだけあってソツがねぇよなぁ」
そう言ってケイの肩を叩くと、おつきの鈴木という若い者に同意を求めるように顔を向けた。鈴木はケイより若い二十代の後半の年齢だが衛藤組の若頭だ。ヤクザの世界では親の跡目を継げるのは子分だけで、その順位筆頭が若頭である。若くても鈴木はヨゴレでしかないケイとは比べものにならない格上だった。
「なんか兄貴、ごきげんだね」
ケイは衛藤の腹を探ろうとした。
「おうよ、実は次の総会で俺が直系の若頭補佐に推挙してくれるという線で上の意見が固まったのよ」
「そりゃあ、すげぇじゃん。おめでとう兄貴」
ケイは何食わぬ顔をして衛藤の話を続けて聞いた。
「でよぉ、これまでのお前の組への貢献も考えてだな。あらためて、俺の子分として杯をやるかって鈴木と話してたわけよ」
衛藤の側で鈴木が表情を変えずにうなづく。
「そしたらお前すげぇぞ。いきなり畑上一家の直系組員だ。ピカピカの金筋だぁな。いちやく大出世じゃねぇか」
「兄貴もその年齢で大出世だよね」
「そうだなぁ、やっとこれで俺もこの稼業で伸し上がるための地盤ができたってことだな」
そこまで言うと衛藤は、ここからが本題だというように表情をそれまでとは一変して引き締めて見せた。
「ただよ。なにしろお前が畑上一家の直系組員にするとなるとだ。いくら俺の意向でも他の手前があっからなぁ。明日っからウチの組員ですっつうわけにはいかねぇんだよ」
なんだよ、早く言ってみろよ。何が狙いなのか言えよ兄貴と、ケイは胸の内で叫んだ。
「お前よ、ちょっと勲章つけねぇか」
衛藤はケイの顔をのぞきこむようにして切り出した。ケイはゴクリと生唾を飲み込んだ。次に衛藤がどんな言葉を口にするのかと思うと、耳を塞いで逃げ出したい気持ちも正直あった。
「お前もよぉ、いい年齢だろ。いくつだよ?」
「もうすぐ三十五になるよ」
ケイの誕生日はちょうど二週間後だった。もう人生をイチからやり直すには難しい年齢だ。
「そうかぁ、もうそんなになるかぁ。だったら、なおさらここらでドカンと大きな花火をぶち上げねぇとな。土俵際じゃねぇか」
だからなんだよ、とケイは胸の内でつぶやいた。わかってるさ、そんなことは、と次に続く言葉に気がせいた。
「そういうことでもないとよ、杯やるにしても俺から直ってわけには体面を考えたらいかねぇよな。それ以外に杯をやるとすれば…こいつの子になるくらいしか道はねえだろ?」
衛藤は斜め後ろに姿勢を崩さず立つ鈴木に顔を向けた。鈴木はロボットのように表情を変えない。
「だけどよぉ。それはお前のプライドが許さねぇだろ、違うか?いくら鈴木の方が極道の世界にゲソつけて長いっつっても、こんな年下の子になるなんつうイモひき野郎はヤクザをやめろってもんだ」
自分の言葉に逡巡しているような気配を見せるケイを、挑発する目つきで衛藤は続けた。
「お前も杯もらったはいいが、いまと変わんねぇパシリじゃ意味ねぇよな。自分のシノギをきっちり持ってこそ、いっちょまえだ。そこでなんだが、お前さ女の商売の方でやってみねぇか。いま俺んとこは、どんどん手ぇ広げてる。お前にはその陣頭に立って欲しいんだよ」
ケイは衛藤に世話になって間もないころのことを思い出した。ヤクザにはペテンとベシャリがたいせつだ。もちろん度胸はなくちゃ話にならないが、それだけでも役には立たない。器量を磨くにはこことここだ、と衛藤が頭と口を指し示した姿が、いまでもハッキリとケイの目に浮かんだ。
〈それでオレをどんな絵図で型にはめようとしてるんだ兄貴は?〉
なかなか核心に触れない衛藤の話に、ケイは苛立った。
「でだ、このまま俺んとこが手を広げていきゃあ、必ず金山んところとカチ合うわな。向こうはそうなる前に抑えようとするだろ。筋は金山の方にあるから、そうなると厄介だが、こっちも行く道行くのはやめられねぇ」
「どうすりゃ……いいのかな?」
ここまで話されたら舎弟の立場としては逃げられない。ケイは覚悟を決めたように衛藤に問いただした。
「今度、新しい店を金山のシマのところへ出す。ほら、あの権利関係がぐちゃぐちゃに入り組んでるところがあんだろ。あそこだ。そこで女のスカウトって名目で、山内んとこの女を何人か引き抜け。そうすりゃあ当然モメるが、あとの始末は俺にまかせろ。きっちりカタをつける」
ケイは内心、少し胸を撫で下ろした。だが、いきなり鉄砲玉で喧嘩を仕掛けるような真似じゃないとはいえ、モメごとの斬りこみ隊役も危険は少なくない。
「それから、できりゃあ引き抜く前に金山か山内に近い女から、向こうがどんな手でこちらを潰しにかけようとしてんのか探れるとベストだな。知ってるだろ、お前も。金山が今回の俺の昇格をおもしろくおもっていないことを」
それはかなり難しいぞとケイは考えた。引き抜きくらいは簡単なことだが、情報に精通している女が果たしているのかどうか、いたとしても誰なのかを調べなければならないし、そこからさらに近づくのは容易でないだろう。
「時間は、どれくらいくれるんですか」
「一週間。その間は山内の店の客になって、品定めをしてろ。明日からカジノと、ここの店番は鈴木にまかせとく。これは軍資金だ」
そこまで言うと衛藤は昼間ケイが回収した金を受け取り、そこから百万ほど抜き取るとカウンターの上に置いて店を出て行った。
〈とりあえず、決定的な場面までの時間稼ぎにはなったのか…な〉
ケイは大きく深呼吸すると、渡された金をポケットに押しこみ苦笑いした。今夜からカジノもポルノショップも鈴木に任せてていいだろう。ここで逃げても先は見えてる。この世界に足を踏み入れてしまったら、いずれはこういう機会がくるもんだ。与えられた時間は少ない。さっそく女を当たるか、とケイは重い気持ちを紫煙と共に吐き出した。
つづく
カウンターに肘を着き、ぼんやりと夕焼けが深い紫紺の色へと移り変わろうとしているのをケイが眺めていると、えらく機嫌のいい声で衛藤が入ってきた。
「いちおう全部できたよ」
ケイが軽く会釈して集金と債権のサルベージの成果を報告すると、衛藤はニヤけた顔でうなずいた。
「さすがだねぇ。俺が見込んだだけあってソツがねぇよなぁ」
そう言ってケイの肩を叩くと、おつきの鈴木という若い者に同意を求めるように顔を向けた。鈴木はケイより若い二十代の後半の年齢だが衛藤組の若頭だ。ヤクザの世界では親の跡目を継げるのは子分だけで、その順位筆頭が若頭である。若くても鈴木はヨゴレでしかないケイとは比べものにならない格上だった。
「なんか兄貴、ごきげんだね」
ケイは衛藤の腹を探ろうとした。
「おうよ、実は次の総会で俺が直系の若頭補佐に推挙してくれるという線で上の意見が固まったのよ」
「そりゃあ、すげぇじゃん。おめでとう兄貴」
ケイは何食わぬ顔をして衛藤の話を続けて聞いた。
「でよぉ、これまでのお前の組への貢献も考えてだな。あらためて、俺の子分として杯をやるかって鈴木と話してたわけよ」
衛藤の側で鈴木が表情を変えずにうなづく。
「そしたらお前すげぇぞ。いきなり畑上一家の直系組員だ。ピカピカの金筋だぁな。いちやく大出世じゃねぇか」
「兄貴もその年齢で大出世だよね」
「そうだなぁ、やっとこれで俺もこの稼業で伸し上がるための地盤ができたってことだな」
そこまで言うと衛藤は、ここからが本題だというように表情をそれまでとは一変して引き締めて見せた。
「ただよ。なにしろお前が畑上一家の直系組員にするとなるとだ。いくら俺の意向でも他の手前があっからなぁ。明日っからウチの組員ですっつうわけにはいかねぇんだよ」
なんだよ、早く言ってみろよ。何が狙いなのか言えよ兄貴と、ケイは胸の内で叫んだ。
「お前よ、ちょっと勲章つけねぇか」
衛藤はケイの顔をのぞきこむようにして切り出した。ケイはゴクリと生唾を飲み込んだ。次に衛藤がどんな言葉を口にするのかと思うと、耳を塞いで逃げ出したい気持ちも正直あった。
「お前もよぉ、いい年齢だろ。いくつだよ?」
「もうすぐ三十五になるよ」
ケイの誕生日はちょうど二週間後だった。もう人生をイチからやり直すには難しい年齢だ。
「そうかぁ、もうそんなになるかぁ。だったら、なおさらここらでドカンと大きな花火をぶち上げねぇとな。土俵際じゃねぇか」
だからなんだよ、とケイは胸の内でつぶやいた。わかってるさ、そんなことは、と次に続く言葉に気がせいた。
「そういうことでもないとよ、杯やるにしても俺から直ってわけには体面を考えたらいかねぇよな。それ以外に杯をやるとすれば…こいつの子になるくらいしか道はねえだろ?」
衛藤は斜め後ろに姿勢を崩さず立つ鈴木に顔を向けた。鈴木はロボットのように表情を変えない。
「だけどよぉ。それはお前のプライドが許さねぇだろ、違うか?いくら鈴木の方が極道の世界にゲソつけて長いっつっても、こんな年下の子になるなんつうイモひき野郎はヤクザをやめろってもんだ」
自分の言葉に逡巡しているような気配を見せるケイを、挑発する目つきで衛藤は続けた。
「お前も杯もらったはいいが、いまと変わんねぇパシリじゃ意味ねぇよな。自分のシノギをきっちり持ってこそ、いっちょまえだ。そこでなんだが、お前さ女の商売の方でやってみねぇか。いま俺んとこは、どんどん手ぇ広げてる。お前にはその陣頭に立って欲しいんだよ」
ケイは衛藤に世話になって間もないころのことを思い出した。ヤクザにはペテンとベシャリがたいせつだ。もちろん度胸はなくちゃ話にならないが、それだけでも役には立たない。器量を磨くにはこことここだ、と衛藤が頭と口を指し示した姿が、いまでもハッキリとケイの目に浮かんだ。
〈それでオレをどんな絵図で型にはめようとしてるんだ兄貴は?〉
なかなか核心に触れない衛藤の話に、ケイは苛立った。
「でだ、このまま俺んとこが手を広げていきゃあ、必ず金山んところとカチ合うわな。向こうはそうなる前に抑えようとするだろ。筋は金山の方にあるから、そうなると厄介だが、こっちも行く道行くのはやめられねぇ」
「どうすりゃ……いいのかな?」
ここまで話されたら舎弟の立場としては逃げられない。ケイは覚悟を決めたように衛藤に問いただした。
「今度、新しい店を金山のシマのところへ出す。ほら、あの権利関係がぐちゃぐちゃに入り組んでるところがあんだろ。あそこだ。そこで女のスカウトって名目で、山内んとこの女を何人か引き抜け。そうすりゃあ当然モメるが、あとの始末は俺にまかせろ。きっちりカタをつける」
ケイは内心、少し胸を撫で下ろした。だが、いきなり鉄砲玉で喧嘩を仕掛けるような真似じゃないとはいえ、モメごとの斬りこみ隊役も危険は少なくない。
「それから、できりゃあ引き抜く前に金山か山内に近い女から、向こうがどんな手でこちらを潰しにかけようとしてんのか探れるとベストだな。知ってるだろ、お前も。金山が今回の俺の昇格をおもしろくおもっていないことを」
それはかなり難しいぞとケイは考えた。引き抜きくらいは簡単なことだが、情報に精通している女が果たしているのかどうか、いたとしても誰なのかを調べなければならないし、そこからさらに近づくのは容易でないだろう。
「時間は、どれくらいくれるんですか」
「一週間。その間は山内の店の客になって、品定めをしてろ。明日からカジノと、ここの店番は鈴木にまかせとく。これは軍資金だ」
そこまで言うと衛藤は昼間ケイが回収した金を受け取り、そこから百万ほど抜き取るとカウンターの上に置いて店を出て行った。
〈とりあえず、決定的な場面までの時間稼ぎにはなったのか…な〉
ケイは大きく深呼吸すると、渡された金をポケットに押しこみ苦笑いした。今夜からカジノもポルノショップも鈴木に任せてていいだろう。ここで逃げても先は見えてる。この世界に足を踏み入れてしまったら、いずれはこういう機会がくるもんだ。与えられた時間は少ない。さっそく女を当たるか、とケイは重い気持ちを紫煙と共に吐き出した。
つづく
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