俳句集『たらざり』

第六章

『人魚の鱗』

還暦となる夕に聴く寒蝉や




呑んだくれ仮寝暮れゆき法師蝉




世に未練か頭もたげるコスモスや




消せはせぬ歴史あり九月一日




秋風や熱でる人はしらぬまま




爽籟やマスクの顔を曇らせり




枕から落ちたる蝶へ秋扇




艶話する熱さめて扇置く




よく見えぬ五十路すぎたる秋の燈や




貧しさをより照らしをり秋燈あきともし




爪紅の弾く倦怠しめる恋




爪紅の触れてこぼれて濡れる夜




一人寝の指に白露の女ひとの情




輝ける白露もいずれ消えにけり




ぼうぶらや人の助けで交われり




唐茄や品なき花も実を結び




待つ先は欠航とあり厄日かな




運命さだめなり二百十日の花も実も




影の濃し体験の子ら鰯引く




播磨はまは古り鰯引く影いまはなし




コスモスや七八尺が風にゆれ




枯れる野に色香そえたる秋桜




颱風や進路予報にため息す




颱風の過ぎたる道にさかな撥ね




稻架はざ立ちぬ御陵の緑かくしつつ




稲掛や夕陽に影を深めたり




寂しさを震わすように蟲時雨




帰し人に聴くふしあはせ蟲時雨




モニターで眺む二度目の秋祭




杜の燈や響きしみ入る秋祭




些々と鳴く小鳥来る朝まだ明けず




小鳥来て独居の窓をのぞき鳴く




熊の皮敷く宿の爐の燈の親し




露天湯の夜のランプの燈の親し




颱風や糸瓜の水を流し去る




肌痩せし糸瓜の水で整えり




ひと雨に簾名残の肌の冷え




たちゆかぬ暮らしの簾名残かな




からませし舌に転がる黒葡萄




掌ての房の愛の重さよ黒葡萄




十五夜を遮る雲やいけずかな




すすき手に十五夜見えぬ縁に座す




鱗雲どこへ人魚は泳ぎ消ゆ




亡き人の記憶ひろがる鱗雲




秋分や露に濡れたる墓参り




秋分や老いた者らで酒を酌む




足の裏ちちろちちろとむづ痒し




恋多しちちろに結ぶ手をほどき




八千草やさうときまつてをらぬ夜よ




捨てをしみ挿し萎れたり夜の千草




ラフランスごとき女の乳母車




ラフランス食み眺む湖うみ霧深み




長き夜におもふ若き日からくれなゐ




土葬せし地に赤々と彼岸花




ねめつける農婦の端に曼殊沙華




秋澄みて朝焼けを衝く汽笛あり




どの道も秋澄み翳の消えゆ宵




月光のひらりと降りぬ猿茸




野ざらしの朽ちゆく影に猿茸




梳く女ひとに命細りし哀れ蚊や




哀れ蚊や昏き竹林ゆらゆらと




天高し水に金閣かがやけり




天高し世のつつがなき願いつつ




くちびるに熱きコーヒー冷ゆる朝




冷ゆる燈や集う蟲らもなきしづか




甘藷盗る鵯ねらふ野良の猫




藷掘りに爆音の戦闘機影




障子貼る骨だけの身に風つよし




障子貼り終えたしりから猫やぶり




待つ橋の燈は宵闇の四辺照らし




宵闇や白き柴いぬ尾ふり坐す




夕暮れの競馬うなだれ秋の水




あざやかな花瓶の朝や秋の水




夜勤あと勤めの朝の寒露かな




酒肆のぞき乱れたる夜の寒露かな