伊都國綺譚

凛七星

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第一章

第一章

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 博多は他の地方に比べたら、昨今の時勢で景気がよいのかとおもったがさほどでもないようである。
 わたしは中洲にあるモダンな商業施設の中にあるシネマ館から婦女子を相手にこけおどすような、退屈極まりない活動寫真に憤慨しつつ出てきたところであった。
 昨今は家庭でも映像を楽しむための機器が発達したせいで、活動の商売はうまく立ち行かないのか、題名と宣伝の写真だけで脚色の梗概や、どんな演出かがすぐ会得できる程度のものばかりを上映する。
 市井の人がどんな話柄をしているか、とんと見当がつかないようではと、努めて世間の流行り廃りを気にかけ出かけて来たものの、一ト目で稚拙な出来栄えのせいで睡魔が誘い、わたしは大半を座席で転寝していた。
 便利な世になると何でもかんでも、おしなべたものばかりで面白くない。商業理論ばかりで作られたものは、どこを切っても金太郎飴なのである。
 夕風も追々と寒くなってきていた。まだ博多にやって来て間もないので、いろいろと見物がてら散歩をしていると、那珂川の橋のたもとで安っぽい背広を着た若い男が横合いから現れ出て「檀那、よかとこがあるとですよ」と言う。

「いや、ありがとう。悪いが結構だよ」
「どこへ行きよんしゃるとですか?よか女子がおるっちゃけど」
「もう行くところが決まってるんだ」
「そげんこと言わんと……」

 わたしはポン引きの男を振り払うように手を振り歩みを進めていると、気がつけば南新地のあたりにいた。
 火野葦平や原田種夫、夢野久作らがたむろしていた当時のカフェーブラジレイロがあった東中洲や、与謝野鉄幹や北原白秋ら文士が九州各地を旅行した際に、立ち寄って宿泊した川丈旅館があった辺りを散策して、過ぎし日の文学の薫りを求めたいとおもっていたのだが。
 しかし、こうして淀んだ川面に揺らぐ電飾の艶やかな灯を眺めていると、人肌が恋しくなる晩秋の夜に甘い春のぬくもり感じ取っては、腹の奥で虫が目を覚まし蠢めくのは男子の性であろう。だが度々博多に訪れてはいたものの、色街でつとに有名な場所では未だ遊んだことがなく、さっぱり見当がつかずうろうろしていると背後から「なにをしてるんですか?」と云いさま猿臂を伸ばして、わたしの肩を叩く者がいる。
 なにしろ旅の用意を詰めこみ膨らむ鞄を手にして視線を彼方此方へとさせているうえに、真っ当な勤め人にはおもえない風情なわたしである。制服姿の警官が声をかけてくるのは然もありなんだった。

「ちょっと、いいですか?こちらまで来てもらえますか?」

少し訛った標準語に、わたしが聞こえぬふりをしていると、おもむろにわたしの腕を取るではないか。そして大通りまで誘導すると数人の巡査とともに取り囲み、近くの交番まで連行されたしまった。
 派出所の中へ行くと、立番の巡査が入口に立ちはだかり、引き渡されたわたしが逃げ出さないようにしている。奥の薄汚れた机を警官と挟んで座らされると早速尋問が始まった。

「旅行者のようやね、何処から来んしゃったと?」
「向こうの方から」
「向こうとは、何方やろ?」
「そこのビルヂング」
「名前は?」
「凛です」

 巡査が手帳を取り出したが不明のようで鉛筆を止めている。

「凛々しいの、凛です」
「ちょっと、ここに書いてくれんと。あぁ、そういう字やったとね」

 わたしはいずれ尋ねられるだろうと下の名も続けて書いた。

「七星……中国、いや韓国から?」
「在日の三世で」
「では外国人登録証を拝見。住所は大阪と……生年月日は、ほぉ、えらく若く見えるばってんが、そげん齢になっとぉと」

 わたしは染めた肩まで伸びた長髪の頭を少し掻くと苦笑いした。大抵の場合、あまり余計な言動をすると面倒が増えるばかりであることは経験上で舐め尽くしているので、相手に怪訝な気持ちにさせぬようにした。

「鞄の中を見させてもろぉて、よかね?」
「ええ、どうぞ」
「これは?」
「薬入れです」
「中を見ても?」
「かまいませんよ」
「これはなんか?」
「紙入れですが」
「いくら入っとうと?」
「さて、二十万くらいですかね」

 巡査は中を検めると紙入れを鞄にもどして、他に何かないかと探った。すると忽ちこれまでとは調子が違った素っ頓狂な声を上げた。

「こりゃまた…」

 巡査の手には奇怪な容貌をした女性と戯れるための玩具があった。

「いや、はははは」

 照れ隠しでそれを手渡してもらうと、わたしは電源を入れて見せた。

「すごかねぇ…こりゃあ」

 表面に無数の突起がついて同時に三箇所を刺激する構造になった玩具は、くねくねと身をよじるように淫靡な動きをした。

「これはどこで?」
「あ、中州のとこの店で……」
「買いんしゃったと?」

 本当はたまたま呑みに入った店が開店周年記念で、客たちに籤を引かせて景品を渡していた中のひとつであった。ただ、説明が長引くと厭なので、わたしは巡査の言葉に適当な相槌を打った。

「よかよか、しまっときんしゃい」

 そう言うと巡査は少々下卑た薄笑いを浮かべて、ようやくわたしを解放する意志を示した。

「御苦労さまです」

 わたしはそう言って煙草に火を点けると、烟を派出所に撒き散らすように吐いて外へ出た。ひょっとしたら豚箱で一夜を明かすことになるかもと覚悟していたせいか、先ほどまで蠢いていた虫もすっかり治まってる。
 気分をそがれたわたしは那珂川岸に並ぶ屋台で適当に席を見つけると、酒で少々喉を湿らせただけで安宿へと足を向けた。
 だが、未明のころになって薄い煎餅布団に包まっていると、いつしか落ちた眠りの中で博多人形のような白い肌をした女を愛でる夢で煩悶させられることになった。


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