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第42話−善晴と、呪のこと

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目を覚ますと、俺は善晴の膝の上に頭を置いて寝ていたらしく、彼の切れ長の目が優しく微笑む。

重たかった体は軽くなっていた。手を握られて寝ていたらしく、すでにそれは離すのもおかしな事だと言っているように、離れがたかった。

目に入ったのは、善晴の腰まである烏の濡れ羽色の長い髪の毛。

寂しく空いている手で優しく触れ、一束掴む。

相変わらず綺麗な髪だ。

「起きたか?」

「ああ」

「体は痛くないか?」

「ああ」

「……口吸いしても良いか?」

「ああ……ちゅ、、は?」

起きたばかりの俺はまだ頭がふわふわとしていて、善晴の問いに無意識に答えていた。

善晴が俺の唇に口を重ねたことでやっと言われたことを理解したほどだ。

睨み上げると、いたずらが成功したと、嬉しそうに口角を上げている。

俺が怒らないと思っているのか? まあ、怒る気力すらもうないほど、疲れた。

にしても、こいつ下から見ても死角がないな、とボーと見上げていると、善晴は何を勘違いしたのか、また、唇を重ねた。

「いひゃいぞ、兄様」

「勝手にするお前が悪い」

痛い痛い、と言いながら俺がつねった頬を撫でている。

それにしても、暑い。そういえば、俺が倒れてから半年が経ったと言っていたな。

外の陽気な天気は、春が来たからか。

善晴は俺に向けて白色の扇を小さく揺らしている。

「その扇、」

「ああ、兄様がくれたものだ」

幼い善晴が気に入っていて、いつも持っていたから置いていったんだっけ、懐かしいな。

「まだ、持っていたんだな」

「兄様がくれたものだからな」

それしか言わんのか、こいつは。

「……俺は、白狐のを持っているから別に返さなくていいぞ」

「それはそれで癪に障るが、私の唯一の宝なのだ、頼まれたとしても返さないさ」

「クク、そうか」

そんなに気に入ってもらっちゃあ、無理やり返してもらうわけにもいかないな。

まだ、外は明るいというのに、空を飛んでいる鳥の羽ばたき、囀りの音はなく、春風で木が揺れているというのに、葉が重なりあう音もしない。

だが、心が落ち着く、穏やかで静かな空間。

善晴の心地いい声が俺の心を無意味に揺らす。

「兄様は、雰囲気がお変わりになった」

「え? そうか?」

「初めてお会いしたときよりも、柔らかくなった気がする」

そっか、善晴と出会ったばかりの頃は、まだ満成と対峙する前だったな。

あの時は、満成のふりをするのが精一杯で心と言動がちぐはぐになっていて、俺が俺らしく振る舞えたのはそれからだったからな。

双葉火玉は慣れてくれているらしいが。

「私は、今の兄様も昔の兄様も好いている、見知らぬ人間でも妖でも、貴方の助けようとする想いは忘れない」

「はは、こっちこそあの時はいい薬が庭にあったから助かったよ」

「天落草、のことか」

あ! そういえば、双葉火玉が言っていたが、あれは妖にとったら苦味が酷いものらしいな。

「あの薬、苦かったろう?」

「……ああ」

「よく飲んだな」

「兄様が作ってくれたものだからな」

「だとしても、あの時は、まだ会ってすぐだったろ、どうしてそんなに信用してくれたんだ?」

「兄様が妖の母を殺さず生かしてくれた、それに、私に言ったではないか」

「なんだ?」

「礼は、治ってからでいい、と私の体を一番に考えてくれた兄様だったから、信じたのだ」

「そ、そうか」

なんだか、美青年に面と向かって言われると照れるな。

「兄様」

そう言って、善晴は俺の頭に影を作って覆い被り、俺の体を抱きしめた。それは、まるで俺が逃げ出さないように、閉じ込められているような、そんな感覚がした。

心臓の音がうるさい。また、善晴に聞かれたら今度は揶揄われるだろうな。

「兄様、私は、」

善晴が何かを言おうとしたその直後、この空間の静寂を一瞬で消し飛ばした、男が現れた。

「おやあ? 君たちいつからそんな仲になっていたのかな?」

「え?」

「チッ」

「善晴、父親に向かって舌打ちは褒められてモノではないぞ?」

陰陽助の安部は善晴の頭を撫でながら笑っている。それは、親しい間柄にしか見せないであろう表情。

「どうして」

「アハハ、君はいつも通り顔が面白いことになってるね、それより……その姿、うん、なかなかそそるものがあるね」

俺は自分の格好が薄い衣一枚で、髪すら纏めていないことに気付く。

「おやあ、浮気かい?」

「びゃっ!」

そう言って、彼の後ろから現れたのは白狐だった。短い髪を揺らしながら安部の肩に寄りかかっている。

「まさか? 私には君だけだよ」

俺らに見せつけているかのように、堂々と目の前でイチャついている。

他人の俺でもその様子を見ているだけで恥ずかしくなって視線を外すのに、善晴は彼らに面と向かって悪態をついている。

ハハ、人間と妖と言っても普通の家族みたいじゃないか。

白狐は言い合っている二人を無視して、汁が入った茶碗を渡した。

「ほれ、満成、今日の分の薬じゃ」

「ああ、ありがとう」

「苦いから気をつけろよ」

「子供じゃないんだから」

「そうじゃな」

後ろにいた二人はようやくその言い合いが時間の無駄だと、主に善晴の方は気づいたようで、楽しそうにしてきる父の前で彼は盛大に溜息をついた。

「はあ、はやく出て行ってくれ」

「息子がこの屋敷に結界を張ったから何事かと思って来たのに」

「……この状況を見て、なぜ中に入って来ようと思った」

「決まっているだろう? 茶化しだ」

そう言って、いたずらをした子供の様に笑った。

善晴は、また舌打ちをすると、ムスっとした表情でそっぽ向いている。

ハハ、さすが父、あの感情が表に出ない善晴の表情をころころ引き出すのが上手いな。

それから、安倍と白狐の話はいつのまにか陰陽助安部と陰陽頭賀茂の話になった。

「それより、私も兄様に会いたくなってきたな」

「ふむ、なら今夜はこっちにお戻りにならないのか?」

「んー、そうだね、これからのこともあるから、きっと話が長くなるな」

安部の楽しそうにしていた笑顔が真面目そうな顔つきに変わる。

「ならわしも山に戻るとするか」

山?

「山にかい?」

「ああ、一度山に戻って皆に変わった様子がないか聞きたいからな」

そっか、白狐は元は山に住む野狐の妖だ、山の中では一番の古株だから、面倒見のいい白狐のことだ、知恵でも貸しているだろう。

「そうか、気をつけてね」

「主もな」

そう言って、俺らの前で恥ずかしげもなく、口吸いを見せつけて白狐は部屋から出て行った。

白狐が出て行ったことを確認してから、安倍は普段の表情からは想像出来ないほど、神妙な面持ちで言った。

「どうやら右大臣のお抱え法師が京を離れたそうだ」

「そ、うか」

海徳法師、か。五濁が言っていた呪詛返しの反応は大きかったものだったのか、それとも、他に何か目的が……

「君が彼に呪詛返しを行ったのは知っているよ」

やっぱり、京で呪詛返しなんてやって、この人を欺けるわけないよな。

「クク、お咎めは勘弁だ」

「東宮様をお護りするためだろう? 分かっているさ、咎めは元からないよ」

痛ッ!

善晴が俺の手を握る力を強くする。氷のように冷たい無表情の顔からは、善晴が何を感じているのか伝わってこない。

もし、俺以上の力の持ち主が呪詛返しにあったら、俺の方が無事じゃ済まないよな。
だが、呪詛返しを行ったとき、俺の身には何も起こらなかった。
自分より強い術者に呪詛返しをされたら、その反動はどのくらいだ?

俺は高階学士ではなく、海徳法師が呪をかけた。

呪詛返しをした俺は無傷で、海徳法師は京から離れた。

もし、京から離れる目的が自身の体に刻まれた呪を清めるためのことだったら、どれくらい時間がかかるだろうか?

あの時、雅峰のことを考えると無我夢中で呪詛返しをした。

俺はこの世界に転生してから初めて呪詛返しを行い、その力の本当の恐ろしさを知らない。今回は自分の力の方が上だったから、良かったものだ。

安倍は少し考えてから教えてくれた。

「そうだな、君が呪詛返しを彼に行って無事だったのは、彼らの計画の内で四方八方に呪を放ち、徐々に彼の力が消耗していたからだろう」

やはり、そうか。
右大臣を手助けするために、内親王、高階学士、おそらく他にも、俺が知らないだけで海徳法師の力が及んでいる件は沢山あるだろう。

海徳法師は俺の力よりはるか上に位置するのか。

「三年、三年後には彼も全ての力を取り戻し、京に戻ってくるだろう」

「……三年、全ての力を戻されたら、俺はそいつを止めることが出来るだろうか」

「君の気脈を巡る呪を全て取り除き、万全な状態で君を送り出すなら、三年という歳月は十分な時間だ」

そうか、まだ気脈の呪は解決していなかったな。

気脈から完全に呪を取り除き、力を取り戻したとしても……

「……なあ、俺にあんたの力をくれないか?」

今の朝廷で鬼才の陰陽師と謳われ、近い未来異色の天の才を持つ陰陽師となる善晴を育て上げた男だ。

彼の力を少しでも自分の力にできたら、海徳法師の謀略を阻止することが出来るかもしれない。

安倍は意気揚々に答えた。

「当たり前だ。私達が出来ることは全て君に与えるさ」

「ありがとう、ございます」

「うむ! さて、と、俺も兄様のところに行くかな、あ! そうそう、外で待っている火玉達が凄い顔してたよ、……嫉妬もほどほどにね、善晴」

しまった! 忘れてた! てか、善晴が双葉に嫉妬? なんで?

善晴を見上げると扇を顔の上に置かれた。

「む、善晴?」

「兄様、もうお休みになれ」

「いや、でも双葉火玉が心配だ」

「問題ない、兄様が薬を飲んで寝たあと、言い訳を伝えておく」

言い訳って、ほとんどお前のせいだけだどな!

まあ、でも、体が怠くなってきた、双葉のことは善晴に任せるか。

「……分かった、後は頼む」

そう言って俺は白狐から貰った苦い薬を飲み干し、体を休めた。

床について、現実と夢の狭間でウトウトとしている間、善晴は隣から離れないで、ずっと座って俺の頭を撫でてくれていた。

その時の善晴は小さく呟いていたが、何を言っていたのだろうか?

眠りから起きたら、すでにそのことを忘れていた。
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