15 / 17
15 星を待つ冬
しおりを挟む「……ったく、毎日毎日さっみーな」
十二月に入ると立て看板を出すために店の外へ出るだけで覚悟がいるので、涼は防寒に一番強いジャージと半纏を羽織って外に出た。ご近所にどう見られたとしても気にしない。寒いものは寒いのだ。
八秒で看板を出して店内へ戻ると、暖房が回っている店内で息を吐く。開店直後に客が来ないのは相変わらずで、涼は真っ直ぐリペアルームへと戻った。
父も相変わらず猫背で、修理依頼されたオーボエの作業を黙々と進めている。変わったことと言えば、めっきり口数が減ったことくらいか。ここ数ヶ月間のリペアルームは雑談もなく静まり返っていた。
涼も何も言わず自席へ座り、中断していた作業を再開する。
着火したバーナーから出る細い炎へ、アルトサックスの取り外した部品を翳して加熱する。部品に付いている接着剤を溶かして外し、新しいものと取り替えるためだ。
冬は苦手な涼だが、作業するには冬の方が良い。空気も澄んで静かで集中しやすく、少し時間も経って立野のことを冷静に考えることができるようになった。
別れ際、立野は戻ってきたら楽器を学びたいと言っていた。それなら、働きながら学校に通えるようにこの場所を守っておきたい。
隣にいたいとも言ってくれた。それなら戻ってきても失望されないように、あの時の自分より少しでも技術を上げておきたい。
そう自分の中での方向が定まったら、時折ニュースに出るhisaの話題を目にしても多少は動揺しなくなり――
「涼! 立野くん……じゃなかったhisaが、年末で事務所を退所するって!」
「え!? あっつ!」
涼は指先の熱さで飛び上がった。蝋燭のような形をした棒状の接着剤を溶かしていたはずが、動揺と目を離した途端に指先を炙っている。
「ほら見て! <VINCERO>公式SNS!」
「どれどれ!?」
母が見せてきたスマホの画面には先に父が飛びついた。
「親父が飛びつく方が速い……だと……!」
一気に仕事どころではなくなったリペアルームからそっと抜け出し、涼は自分のスマホを持って店の裏口から外に出る。
首筋を撫でる冷気に首を竦めながら、しばらく止めていた煙草に火をつけた。
煙を吸いながら壁に寄りかかり、逸る気を抑えて画面を撫でる。涼もこっそりチェックしていた<VINCERO>の公式SNSには、新しい投稿が更新されていた。
『応援してくださる皆様へ
<VINCERO>のhisa、franの両名は、お世話になった音楽事務所<高柳>を今月二十八日付で退所することとなりました』
その下に二人からの挨拶が続いている。涼は緊張してしまいながら親指の動きを速めた。
『皆様へ
いつもありがとうございます。かねてより体調不良が続いており、たくさんご迷惑をおかけして申し訳ありません。
医師とも相談の上、今後の演奏活動を続けていくことが困難だと判断し、この度事務所を退所して引退する運びとなりました。
今後は治療に専念しながら、新しい人生を歩んでいきたいと考えています。
かけがえのない時間を皆さんと過ごすことができて、本当に幸せでした。 ーーhisa』
淡々とした短い文章でありながら、さまざまなものが詰まっていて涼は大きく息を吐く。
すると添付されていた動画が親指に触れ、徐に映像が回り始めた。
レコーディングスタジオのような室内に、<VINCERO>の二人が楽器を携えて佇んでいる。二人は何故か近くに座らず思い思いの位置取りをしており、自由に楽器の音出しをしていた。
顔が髪に隠れていたが、遠くで真横を向いているチェロの人物がhisaであり立野だと分かると、涼の心臓は早鐘を打つ。
hisaは音出しを止めて弓を振ると、弓を弦の上に乗せてから静かに息を吸った。
それは合図のためのブレスで、見えないカウントに乗ってヴァイオリンがメロディを紡ぎ出す。
奏で始めたのは『Por una cabeza』――首の差で、と訳されるタンゴの有名曲だった。
競馬において首の差ほどの僅差で敗れたように、恋の駆け引きに負けてしまった哀愁を歌う曲である。
失恋の曲ながら明るい八分音符のメロディと、中間部の情熱的なメロディの対比は多くの人の心を掴み、アレンジを織り交ぜながらたくさんのアーティストに演奏されている。
弓全体を使って弦を鳴らす音色、左手によってかけられるビブラートの音色はため息が出るほど豊かで、franの弾く優雅なヴァイオリンが明るいメロディを、hisaのチェロが情熱的なメロディを弾き上げて心を揺さぶる。
きっと今、涼と同じように画面を見つめる人々が世界に大勢いることだろう。
気付けば涼は、大粒の涙を溢していた。
「弾けてんじゃん……立野くん……」
いつまで待たせるのかとか、本当に帰ってくるのかとか、あれから電話が大変だったんだとか、色々とぶつけたいものは燻っている。
だが弾けないと吐露していた演奏家が申し分なく弾けているのを見るだけで、ただ元気そうな様子を見るだけでそんなものは吹き飛んでしまった。
曲の良さがまた小憎らしい。――こんなの、好きが募って苦しい。久しぶりの煙草が濃くて重苦しい。
涼は次々と湧き上がる感情を持て余してしばらく泣いた。
万年日陰の裏口は気温が低く、吐き出した息と煙が仄白く漂っていく。
1
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?
寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。
ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。
ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。
その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。
そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。
それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。
女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。
BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。
このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう!
男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!?
溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる