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13 星を待つ秋
しおりを挟む案外待てるものだろうと、甘く考えていた。
『あのー…すみません。そちらに今hisaさんって働かれていたりしますか?』
もう何度目か分からない入電に内心辟易しながら涼は応対する。
「あいにくですがhisaさんが当店に在籍したことはございません」
『えっでも、ネットで書いてあったんですけど……』
「申し訳ございませんが、当店の従業員に関するお問い合わせはお控え願います。よくあるお問い合わせ内容を当店のホームページ等でも記載させて頂いておりますので、宜しければ合わせてご確認ください。それでは失礼致します」
一息で言い切って、静かに切る。会社員時代に培った電話応対が火を噴いている状況だった。
「一か月経っても、そういう電話止まないわねぇ」
「人の噂も七十五日ってんなら、あと一か月半くらいで収まんだろ……」
自分で言いながら確証はない。涼は肩を回しながら、足早にリペアルームへと戻っていく。
立野がいなくなった直後は近隣の中学、高校吹奏楽部のほとんどが夏のコンクールに向けての準備で慌ただしく、涼たちも一年で一番忙しい時期だったので気が紛れた。
すぐに帰れないことは承知していたし、日々の仕事に忙殺されていれば考えなくて済む。そうしているうちに気付けば日も過ぎているだろうーーそう見込んでいたが、甘かった。
再び固定電話の呼び出し音が鳴る。
「くそっ、またか」
仕事の合間を縫ってhisaに関する問い合わせが入り込み、忘れさせても貰えずに疲弊した。
「お電話ありがとうございます。いがらし楽器店です」
『いつもお世話になっております。第一中学校の田中ですが』
「何だ田中先生か……」
『お疲れ様でーす』
気の抜けた田中の声に涼の肩からは勢いよく力が抜けた。
『すごい外行きの声でびっくりしちゃった。……あれからどう?』
「まあ……微妙といえば微妙だけど、頼まれてる楽器は持っていける」
『あ~、そのことなんだけど……』
田中は言いにくそうに繋げる。
『本当にごめん。今日の午後にお届けお願いしてた件、授業参観あることをうっかり忘れてて。仮にお昼までに早めてもらうことってできたりする?』
「…………できなくは、ないかも」
一瞬眩暈がしたが、スケジュールを脳内で混ぜ返すと僅かな見込みはあった。
『いや、無理を承知で言ってるから無理な時は無理って言って? あんたそろそろ壊れるよ』
「どっちだよ……」
涼は考え込み、渋々と現状を認める。
「悪いけど、正直きついかな……。あと今、回線がパンクしそうだから当面は俺の携帯にかけてもらえるとありがたい」
『分かった。今日以降の候補をまた連絡するわ』
「明日なら行けるけど」
『明日はあたしが学校にいないのよ~。じゃ、また』
田中の声の後ろの方でチャイムの音が聞こえた気がする。そのまま田中はあっさりと電話を切り、涼も受話器を下ろした。
細長いため息を吐きながら、カレンダーに書き込んだ予定にバツ印をつける。
視線の隅に見えた倉庫には、中途半端に封を開けてそのままになっている段ボールが散乱していた。店先の掃除も簡単にしかしていない。
立野がしてくれていた仕事は以前涼がしていたことなのに、とにかく滞っている。
立野によって楽をさせてもらっていたことを思い知ると同時に、休みなくhisaの話題が割り込んでくる状況は正直苦しかった。
何となく目を移すと、店のガラス扉は妙に人の出入りが多い商店街の景色を切り取っている。hisaが来たらしいという情報だけで、ここまで変わるものだろうか。
商店街的には嬉しい悲鳴だろうが、求人募集のチラシは貼れなくなった。面白がって用もない連絡をされ、本物の求職連絡が埋もれたからだ。
当面は業務を縮小して、なんとか五十嵐家の人間でやっていくしかない。
店の前の花壇に置いておいた立野のサボテンは、来客の鞄が当たって落下した。小さな植木鉢にヒビが入って割れ、それだけで嫌な予感に結び付ける自分が嫌だった。
*
秋になれば電話も落ち着き、周りの吹奏楽部たちもそれぞれのペースで演奏会を開催したり参加したりする活動に変わる。
店の仕事も合わせて落ち着くようになり、ようやく整理できるようになってから色々考えた。
本当に帰ってくるだろうか。
高柳に丸め込まれて、またhisaになっているのでは。
そもそも夏の出来事は夢だったのでは。
一度立ち止まったらそればかり考えた。
店でランダムに流しているBGMで『ミス・サイゴン』と『蝶々夫人』が連続で流れた時などは、その偶然さに不安になった。
スマホも持っていなかった立野とは当たり前に連絡先を交換しておらず、現状を伺う術がないことも効いた。
『次のニュースです。クラシック演奏で主に活動している男性ユニット<VINCERO>の所属する音楽事務所〈高柳〉が、失踪していたhisaさんと無事連絡が取れたことを明らかにしました』
昼休憩中に見たワイドショーの見出しには『失踪のチェリスト 奇跡の発見!』と書かれていた。
コンチェルト当日の失踪による損害賠償を巡り、裁判沙汰になりかけていると聞こえたが母が何事もなかったようにテレビを消してしまったのでそれ以上のことは知らない。
裁判になれば長く掛かるだろうと、詳しくない涼にも想像できた。
涼は仕事に逃げた。
依頼された端から修理して、学校を回って、楽器に触れて、届けて、それを繰り返してーー少しだけ倒れたりして、多方面から怒られた。
こんな田舎の商店街にいる男のことなど忘れただろう。
修理した植木鉢に収まっている立野のサボテンだって、嵩張る荷物を押し付けられただけ。
そう思い込んで、立野のことを意識しないように意識する。一方で全く意識をしていない日に立野が現れるのではと、結局期待している自分に嫌気がさした。
強制的に取らされた休暇は、自室のベッドに横たわるだけだ。
自分で慰めてももう満足できなくさせられた身体を持て余し、涼は目を閉じるしかない。
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