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6 変わったこと
しおりを挟む――そうして、次に目を覚ましたのは翌朝だった。
横で立野が寝ているなんてこともないし、涼は普通に服を着ているし、熱帯夜の寝汗の分を差し引くと身体はとてもさっぱりしている。ただ、久しぶりの全身運動による筋肉痛と秘部に残った違和感が、立野との情事を鮮明に思い起こさせた。
涼は沈黙する。
昨夜は勢いで受け入れてしまったが、冷静になってみるとこれからどんな顔をして立野の前に立てばいいのか分からなくなった。
着替えてから部屋を出て、立野に会わないことを願いながら向かった洗面所には先約で立野が居る。
「おっ…………」
「あっ、涼さん。おはようございます!」
涼は硬直したが、歯ブラシを咥えた立野は僅かに目を見開いただけで柔和に微笑んだ。
「お、お……はよ……」
昨夜、涼を諭すように、しかし強引に暴いた男とは思えないほどの清涼感溢れる笑顔にたじろいでしまう。
平静を装って涼も歯磨きを始めつつ、あれは実は夢だったのかと不安になった。
硬いブラシで歯を擦りながら、涼は意を決し立野に向き直る。確かめてどうだったと続けようとして――
「あのっ」
「あのさ、」
声も互いが向き合うタイミングも二人で合ってしまった。
「涼さんどうぞ」
「い……いや俺も、全然大したことない話だから……」
譲り合いの結果、立野が徐に口を開く。
「あの、欲求不満って、身体に良くないと思うんです」
「はい?」
口を先に濯いだ立野が涼に向き直る。
「なので、もし涼さんが良ければなんですけど……また、抱かせて欲しいなって」
「は……」
涼は唖然とした。そして歯磨きをしていたことを直後に思い出して口を閉じる。
「……僕じゃ、だめですかね?」
立野の表情は真剣そのもので、涼にとっては目を丸くするばかりだ。
とにかく涼は間を置いて口を濯ぐ。
「……そんなことでそこまで真剣にならなくても」
「な、なりますよ! だって僕が満足させられないなら、涼さんは他の人にああいうことをお願いする流れになるじゃないですか」
「満足って……。いやそもそも今はそんな時間ないし、電車乗らないとゲイバーないし」
「電車に乗ったら行けちゃうんじゃないですか……!」
涼のフォローも虚しく、立野の美貌からは不安の色が消えなかった。何を言えば立野が落ち着くのか、そもそも涼は何のフォローをさせられているのかまるで分からない。
そして立野の全身から迸る、涼への純粋な好意のようなものにどう対処すべきか分からなかった。
昨日は勢いで顔重視の身体目当てみたいなこと言った気がするのに、何故立野はここまで涼を――何と言えばいいか――切実に見つめてくるのか、分からなかった。
「……何で俺にそこまで? 俺、田舎に引っ込んだ地味男だけど」
立野は首を横に振った。
「涼さんは地味じゃないですよ。顔立ちだって綺麗ですし、優しいし、昨日だって中学生を虜にしてましたし」
それはないと言い返そうとした直前、立野の長い指が涼の髪を優しく梳いた。
「それに昨日、僕たち相性も良かったと思うんです。だから……できれば他の人とはしないで欲しい」
髪や頬に触れられながら涼は瞬いた。
――これが、独占欲というやつだろうか。
嫌というほど伝わってくる立野のまっすぐな感情に圧倒されてしまう。流石にこれを好意と勘違いするほどおめでたくはないが、無視のできない何かはあって涼は困り果てた。
「……分かった。分かったから」
涼は渋々頷く。身体の相性が良い点については同意見で、涼も楽しんだ手前でわざわざ断る理由はなかった。
「その代わり、実家だから、あんまり最後までやるなよ。一応、俺にも恥じらいぐらいはあるから」
「ありがとうございます……!」
安心したのか、肩だけでなく全身から力が抜けたような息を吐いて立野は微笑んだ。
*
それから二週間、立野は真面目に働いた。
仕事ぶりは明るく、間違ってもすぐに謝り記録を取るので覚えも早い。一日中一緒に仕事をしていれば苛立つところなどが見え隠れしそうだが、いつも上機嫌に振る舞った。
毎日届く雑誌やCDなどの商品、楽器部品の仕分けは涼がついていなくてもできるようになった。日頃母がつい積み残しがちだった事務方の作業も手伝い、この短期間でいがらし楽器店の主軸となった立野を涼の両親も高く評価している。何より店に活気と笑顔が増えたのは大きな変化だ。
変化と言えば、リペアルームに見学者がよく来るようにもなった。
見学者は仕事がひと段落した立野で、涼たちの作業している様子や工具に囲まれた部屋に興味を持ったようだ。
「興味あったら、お客さんから壊れたから吹かないって言われて引き取った古いクラがあるから、分解したり組み立てたりして遊んでいいよ」
部品が中途半端に付いたり取れたりしている古いクラリネットを持ってきて、立野にそう言ったのは父だ。
「良いんですか?」
「いーよいーよ。標本みたいに置いとく用だから。涼も使ったし」
「わー……すごい……パーツが細かい……」
リペアルームの空席に案内された立野は、父から楽器用の細いドライバーを受け取って恐る恐るネジを回していく。その背を涼もしばらく見守っていたが、集中するとのめり込むタイプなのか黙々と作業に没頭していた。
一人増えても作業音のみが響くリペアルームは静かで心地よく、自分の席に戻った涼も集中して作業をすることができた。
ピピッ、という置き時計の電子音で現実に引き戻されると、昼が来たことを知る。肩を回して固まった筋肉をほぐしていると、立野がまだ作業を続けていることに気が付いた。
バラバラだったクラリネットのパーツを楽器の全体写真と照らし合わせながら組み立ているのか、概ね組み上がっており位置も間違っていない。
涼は目を見張って立野の手元を見守っていると、父も顎をさすりながら唸った。
「立野くんセンスあるねぇ」
「楽しいです……ずっとできる……」
立野が手元から目を離さずに言った姿に目を輝かせた父は、突然普段は触らない本棚を探ってリペアの専門学校の募集要項を持ってきた。
「立野くん、良かったら明日にでも学校見学とか行ってみない……?」
「明日納期の楽器があるだろ」
涼が諭して父は残念そうに背中を丸めていたが、父が出してきた募集要項を読んでいる立野が目に留まった。
(立野くん、リペアやりたい……とか?)
意外だったが、案外向いているのではないかと思わなくもない。
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