楽器店に流星

乃翠奏頼

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2 自己紹介をお願いします

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 五十嵐家の食卓は、水色のギンガムチェックのテーブルクロスが掛けられた長方形のテーブルと四脚の椅子がある風景だ。それを囲むのは涼と両親の三人で、結婚して実家を出た姉の席がひとつ空いている。

 各々の平皿には母特製の春巻き二本ずつと、母がいつもスーパーで買ってくるカット野菜のサラダが乗っていた。隣にはくし形切りにされたトマトが四つ並ぶ。

「春巻き、大きめに作ったけど二本じゃ少ないかしら? 新しく揚げればもう少し増やせるけど」
「いえ、充分です! 急にお邪魔してしまったのにこんなにご馳走、夢みたいです」

 男性が両手を胸の前に組みながら答える。

「何だかそう言われると緊張しちゃうわぁ。いらっしゃるって分かってたらもっと奮発したのに」

 いつもより一つ多いグラスに冷えた麦茶を注ぎながら、母はどこか楽しそうだった。
 その隣で、いがらし楽器店の主であり大黒柱である父がその細い目を瞬かせながら男性を眺めている。きっと男性の風貌に父の脳も処理落ちしていると見た。

「それじゃあ、まずは自己紹介からお願いしようかしら?」

 全員が席に着いたタイミングで母が言うと、男性は居住まいを正した。

立野時久たつのときひさと申します。二十八歳です」

 日本名に、同い年。涼は立野と名乗った男性の顔をまじまじと見つめた。幻想的な風貌は立野を年齢不詳に見せる。

「立野くんね。今まで別の楽器店でお勤めされていたの?」
「楽器店は初めてです。少し前まで演奏の仕事を少々と、喫茶店のアルバイトを」
「あら、音楽家さんなのね。楽器は何を? どこかの楽団に所属しているの?」
「いえ、楽団には所属していなくて……、グループというか、何というか、その……」
「……とりあえず食いながらにしねえ?」

 涼は隣の席で立野が目を爛々と輝かせながら食卓を見下ろしているのが気になり、敢えて割り込んだ。

「立野くんの空腹もすごそうだし」
「あらっ、立野くんお腹空いてたの!? ごめんね、どんどん食べて!」
「よろしいですか! いただきます!」

 立野は即座に手を合わせて礼をし、箸に飛びついた。箸運びは異様に早いが、箸が食器に当たって音を立てたり、箸の持ち方に難があったりする癖は見当たらない。食べ方も卒なく綺麗で、その速さは感動を覚えるほどだ。

「絵美子さん、美味しいですっ……」

 立野は春巻きを頬張って飲み込んだ後、涙ぐみながら感想を零す。

(いつの間に母の名前まで……)

 涼は白米を口に運びながら内心で突っ込んだ。

「あらーっ、本当? そう言ってくれると嬉しいわぁ! いつもこの人達ったら黙って食べるから、作りがいがなくって!」

 母は無邪気に喜んだ。涼としてはちゃんと美味い等の感想を述べていたつもりだが――今はそれに反論するより、今は立野の食べっぷりに気を取られていた。
 細身で上品な見た目だがとてもよく食べ、食べる様は空腹時の運動部男子のそれだ。見事なギャップに引き込まれる。

「立野くん、ご飯のおかわりはいかが?」
「いただきますっ」

 母がまた言い終わらないうちに立野は茶碗を差し出し、父まで笑みを零した。

「見る間にご飯がお腹に収まっていくねぇ」

 立野の勢いと満足気な表情に負け、結局面接が行われたのは食後のことだ。
 さて、立野から聞いた話は以下である。

 立野は演奏の仕事と喫茶店勤務を両立していたが、先月喫茶店が閉店してしまった。
 演奏の仕事も不定期で依頼がなければ収入がなく、友人の伝手を頼ってバーのアルバイトをしていたところ訳あって住んでいたアパートから立ち退かなくてはならなくなった。
 いつまでも友人のバーに留まることもできず途方に暮れていたところ、いがらし楽器店の求人チラシを見つけたという。もちろん希望は住み込みだ。

(うさん臭いなぁ)

 食後のコーヒーなどという普段の五十嵐家にとっては珍しすぎる物を飲みながら、涼はそんな感想を浮かべた。不運続きの立野に同情はするが、ちゃんと本当のことだろうかと踏みとどまる。
 売上金もそうだが、楽器店として高価な楽器も取り扱う。修理を依頼される楽器は客の宝物であるため間違いがあってはならないし、それらに危険が及ぶようなことは未然に防がなければならない。

「……なるほどね、事情は分かったわ」

 母が神妙な顔で頷いた。きっと涼と同じような考えの表情だろう。
 この道三十年の母の方がそういった危機意識は強いし、過去に何度も従業員の採用をしてきた。やはり、美しくてもいきなり現れて働きたいという応募者の採用は見送るだろう。……少々、かなり惜しいが。

「そしたらお姉ちゃんの部屋が空いてるし、立野くんの希望通り住み込みで働けると思うんだけどどうかしら、お父さん」

 続いた母の言葉に涼はコーヒーを噴き出した。そんな涼に父は怪訝な表情をしたが「まあ、母さんが言うなら」と頷く。

「もう。涼ったら、今大事な場面じゃない」
「い、いや、予想外すぎて思わず」

 テーブルを拭きながら涼は訊いた。

「良いのか? ほら、セキュリティとか色々あんだろ。一応楽器店なんだし……」
「でもこんな田舎の楽器店にわざわざ来てくれて、アルバイトしたい人に悪い人なんていないわよねえ」
「その自信はどっから来るんだ?」
「長年の勘よ」

 母は夫と息子の顔を交互に確認し「決まりで良いわよね?」と微笑む。この段階に来ると、涼と父には決定を覆す権利はないことの方が多い。
 涼と父は粛々と頷くと、母は明るい顔で手を叩いた。

「じゃあ決まりね! さあ立野くん、明日から一緒に働きましょう!」
「あ……っ、ありがとうございます!」

 立野は立ち上がって深々と礼をした。流星色の長髪がさらりと流れる。

「さあ涼、立野くんをお部屋に案内してあげて。あたしはお客さん用のお布団持ってくるから簡単にお掃除しといて。ほら嫌そうな顔しないの! 立野くんを埃っぽいお部屋で寝かせるわけにいかないでしょ?」

 てきぱきと食卓を片付けた母は、すぐに奥の部屋へ走って行ってしまう。それを見送った男三人が何となく顔を見合わせた後、立野がまた頭を下げた。

「……無理を言ったのに、早速受け入れて下さって本当にありがとうございます」

 涼より先に答えたのは父だ。

「いやいや。こちらも人手が増えてありがたいよ。涼も楽になるだろうし。なぁ、涼」
「ま、まあ……それは……」

 涼は口籠りながら答える。

「家族で店を回すのは正直限界だったし、ぜひ力を借してほしい。よろしくね立野くん」

 そうまとめて父が手を差し出すと、立野はその瞬きの後にカーキ色に力を込めた。
 両手で父の手を握り返しながら頷く。

「……はいっ。よろしくお願いします」

 その後父が気の抜けた声で「お風呂はいろっかな~」など言いながら部屋を出ていくので、涼は立野とふたりで食卓に残される。
 立野から向けられる視線を気まずい気分になりながら受け流し、涼も席を立った。

「……じゃあ、掃除でもするか」
「は、はい。あ……、何とお呼びすれば?」
「涼でいい。『涼しい』って書いてすずし」
「涼さん……」
「さん付けじゃなくても良いけど……」

 噛みしめるように名前を呼んだ立野の声が、涼の耳に響く。
 ――その声が、予想以上に響いて困った。妙に鼓動が速くなる。

「……部屋はこっち」

 涼は立野に背を向ける。耳に残った響きが勝手に耳を赤くしていないか心配になった。

(今日、寝れるか? 俺)

 今日からこの男が隣の部屋で過ごすようになる。そうすると別の問題が浮上することに、涼はこの時ようやく気付いたのだった。


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