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 その髪の毛は、真理と同じように黒く長いものであったが、ぼさぼさになってしまっていた。白い肌をした両腕は、細いと言うよりも、もはや骨に近しいくらいにまでに肉が無かった。
 本来ならば二つだけの瞳があるはずの部分には、いくつもの大小さまざまな大きさのソレがまばらに散りばめられていた。

「……夢女」
 宗助は自分でも気づかぬうちに、ぽつりとつぶやいていた。
 
 夢女が伸びたままになっている腕に力を込めた。
 するとそれは蛇のようにのたうち回って、切断部から赤い血をまき散らす。
 飛び散った血が、真理の顔にかかる。
 
 とっさに顔を腕で守って、真理が一歩後ろに下がる。
 夢女はその一瞬を逃さなかった。素早く横に移動して、真理の死角に入り込む。
 残る三本の腕が、その手が真理へと向けられる。
 そして腕が伸び――彼女の体に突き刺さった。

 腕と太ももと、そして胸。
 真理の体に深々と突き刺さる夢女の腕。冗談のような量の血が、彼女から噴き出た。
 真理の体が痙攣して、すとんとその場に座り込む。

 辺りを静寂が包む。

 宗助は、自分の荒い呼吸と、川の流れる音だけを聞いていた。
 
 そして、真っ白になった頭が音を立てて動き出す。
 動かなくなった真理。倒れている雅。化け物のような夢女。
 自分がここに来た理由。何をしたいのか。どうすべきなのか。
 
◆◆◆

『戦隊ものとか、やっぱり無くならないよねぇ』
『母さんが子供のころも、こんなのやってたなぁ』
『名前? 忘れちゃったなぁ。あぁ、でも手から炎が出るやつでね』
『そうそう、悪者をそれで倒すの』
『確か今度、映画するんだっけかな。昔の奴は違う監督さんで』
『あははは。そうだね、じゃあ、一緒に行こっか』
『今は母さん病院から出られないけど、それまでには良くなっておくから』
『だから、行こうか、映画。ね、そうちゃん』

◆◆◆

 夢女が真理に突き刺した自分の腕を引き抜こうとする。
 しかし、それは叶わない。
 
 深々と刺さったその腕は、逆に真理の側から浸食されるように結合されてしまったからだ。三本の腕には夢女のものではない血管が浮き出ていて、真理は逆に夢女を取り込もうとしていた。

「お前はここで終わりだ」
 真理が言う。
 立ち上がり、決着をつけようとしたその時、夢女が先に動いた。
 
 夢女が突き刺した自分の腕を振るう。
 真理の小さな体が宙に浮き、そのまま高架下の天井に背中から勢いよくたたきつけられる。
 がひゅっ、という空気が抜けるような音が、真理の口から洩れる。
 そして、さらにそのまま地面へと、真理が頭から打ちおろされる。
 土煙が舞い、晴れる。
 地面に這いつくばった真理がいた。肩で息をしている以外は、ピクリとも動かない。
 その体には、三本の腕が突き刺さったままだった。
 
 夢女が伸ばした腕を元に戻して、真理を手繰り寄せる。
 ずるずると、うつ伏せのまま引きずられる真理。
 
 だが、その途中。
 
 突如として、真理が体を起こして立ち上がる。
 突然の行動に夢女がひるむ。
 真理はその隙を逃さない。
 接合部はそのままに、真理は勢いをつけて、夢女に頭突きを食らわせる。
 夢女の体が後ろに揺らぐ。
 
 しかし、すぐにそれを持ち直す。
 腕が繋がったままでは不利と判断した夢女の行動は早かった。
 残る通常の腕二本を振るい、三本の腕を切断する。
 舞い散る血液が、再び真理の視界をふさぐ。
 
 そして夢女はすでに、真理に勝てぬことも理解していたらしかった。
 獣のように両手両足で地を蹴り、寝ている雅のもとへと駆けて行った。

 ――だめだ。

 宗助の体は、自分が思っていたよりもスムーズに動いた。
 ここに来た理由を思い出した。
 自分は雅を助けに来たのだ。
 倒れている雅のもとへと駆ける。
 今は彼女を拾って、ここから逃げることしか考えていない。
 いや、それすらも考えていないのかもしれない。いわゆる体が勝手に動いていた、というやつなのだろう。
 だから、夢女の鋭利な爪が光った時、とっさに雅との間に割って入ったのも、そういう事だったのだろう。

 夢女が何で、真理が何者で、どうして雅が狙われたのかも分からないが。
 しかし、そういう状況の中で宗助は、このクラスメイトを助けたかったのだ。
 
 ずどん、と、背中に衝撃を感じる。
 気が付くと宗助は倒れている雅の前に立っていた。
 眠る彼女を見下ろすように立ち尽くしていて、そして、ぬらぬらと光る、女の手が自分の胸から突き出ていた。

「あ……」
 ずるりと腕が引き抜かれる。胃から何かがこみあげてきて、たまらず吐き出す。
 血だった。
 両足に力が入らなくなり、立っていることも出来ず、そのまま雅に覆いかぶさるように倒れこむ。
 全身に寒気が走り、眠気がやってきて、視界がぼやけ始める。
 死ぬのだ。それをぼんやりと認識する。
 
 真理の声が聞こえる。次いで夢女の叫び声。
 何かが弾けるような音がして、そして静かになった。

「……い。……山……く……。し……り……」
 真理の声が途切れ途切れに聞こえる。
 耳だけはその声を追っていたが、やがてそれも聞こえなくなり、宗助はそっと意識を手放した。

◆◆◆

 映画を観ていた。
 古い映画のリメイクらしく、薄暗い客席には自分のような子供はいなかった。
 ストーリーはありがちなものだった。
 ある日、炎を自在に操る能力を手に入れた少年が主人公で、その力で周囲の人々を助けたり、悪者を退治するという話だった。
 今風にアレンジされているのか、敵のデザインなんかは、かなりかっこよかった。
 特にサイボーグの敵キャラなんかは、一見しただけは普通の人間のようなデザインになっていて、戦闘中に変形するようなデザインに変更されていた。
 映画が終わり、劇場の明かりが戻る。
『面白かった!』
 母にそう言おうと横を向いた。
 そこには誰もいなかった。空席だった。

 その席の人は――映画館に来ることが出来なかったのだ。

 ――映画は、一人で観たんだった。

◆◆◆

 母が死んで、葬式が行われた。
 父は何も言わなかった。
 表情一つ変えずに淡々と式を進めて、そして母など最初からいなかったように、日常が再開されてしまった。

 母と自分が住んでいた家に、父が帰ることは無かった。
 捨てられた、というのとは少し違う。生活に必要な金は、必要以上に用意されていたし、何かあれば人づてに助けてもらうこともあった。
 ただ、父が意識的に自分を無視しているように思えた。
 
 まぁ、だから。
 結局は捨てられたのかもしれない。
 
 家にはずっと一人でいた。
 誰かと会うのは嫌だった。外に出て、親子連れを見るのも嫌だった。
 ただ、このまま腐っていく自分が嫌で、何かを始めようとしてパソコンを触った。
 
 父がパソコンで仕事をしているのを見ていたからかもしれない。
 だが、その時はきっと、無意識に誰かと繋がりたかったのかもしれない。
 
 最初はただパソコンで遊ぶだけだったが、やがてプログラムを覚え、そしてハッキングについて勉強を始めるようになった。
 母のことを忘れるために、それを考えないようにするために、キーを叩いてコードを書いた。

 腕試しと称して、父の会社が治安保持のために町中に設置している監視カメラに、ハッキングを仕掛け、その映像を盗み見るようになった。
 結果としてハッキング自体には成功したものの、子供が考える範囲で足がつかないように実行したその犯行は、すぐにバレるものと思っていた。
 そして、心のどこかでそうなることを望んでいた。
 自分と母とを捨てた父に、そうすることで復讐したかったのかもしれない。

 ――いや、違う。

 こっちを見てほしかったのだろう。
 いかに自分に興味がなく、会ってすらもらえない人であっても、それが父というものなら、自分はきっと愛してほしかったのだろう。
 構ってほしかったのだろう。
 母と自分を愛していると言ってほしかったのだろう。
 父は、仕事熱心で不器用というだけで、本当はいい人だと思いたかったのだろう。

 ――くだらない。
 
 結局は何も起こらなかった。
 ハッキングをしても、それがバレているのか無視されているのか、警察に捕まることも、それらしい警告が来ることも無かった。
 持て余した技術や知識は、クラスメイトのために使うことになった。
 
 誰かに必要とされたかった。
 ここにいる、自分を、見てほしかった。

◆◆◆

「意外と何とでもなるもんだねぇ」
「いやまぁでも、結構使っちゃったから、次やるとワタシが消えちゃうから、ギリではあったよね」
「っていうか、ワタシたちの体は彼らのものをトレースしているけど、原材料は違うはずなんだけど……」
「う~ん、もともとアノマリーとして覚醒してたんなら、適応しちゃうのかもしれないね」
「そんな兆候あった……?」
「彼岸にはいなかったよね、彼」
「う~~ん、そうだねぇ……」
 
 遠くで声が聞こえる。
 宗助の意識は、それらによって、暗闇の底から引き上げられた。
 重い瞼をこじ開けて、目を開く。
 見覚えのない天井があった。

「あ、起きた」

 それは真理の声だった。
 ひょいと真理の顔が、宗助の視界に飛び込む。
 
 自分は生きているのだろうか。
 ということは、彼女に助けられたということか。
 
 状況を確認しようと上半身を起き上がらせる。
 どうやらベッドで寝かされていたらしい。白い掛布団と一緒に、そのまま体を起こす。

「お、起きたね」
「具合はどう? 変なところとかない?」
「ちょっと荒業だったからねー、具合悪かったら言ってね」
「大丈夫? ちょっとぼーっとしてるよ?」

 ついで視界に入ったのは、四人の真理だった。
 しかも何故か裸の。

「もうちょっと寝てた方が良いんじゃない?」

 横の、血だらけの服を着ている真理が言った。
 これで五人目。

「本当に大丈夫? やっぱりどこか調子おかしいんじゃない?」
 裸の真理の一人が言った。
「脳がちょっと」
 
 状況を整理しきれず、どうにかその一言を絞り出して、宗助の意識は再び闇へと落ちていく。
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