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対峙
しおりを挟む授業を終えて外に出ると、辺りはすでに夜の闇に覆われていた。
まだ七時ごろだというのに、もうすっかり真っ暗だった。
雅は先ほどまで授業を受けていた塾のビルから出て、一人帰路についた。
河川敷沿いの道をとつとつと歩く。
風が吹く。
頬をぬるい風が撫でていき、草の揺れる音が耳に入る。
物音は遠くから聞こえ、ここには自分一人だけだった。
昔は一人ではなかった。
まだ宗助と親しかったころ。ここを自分は宗助と二人で歩いていたのだ。
彼の母親が死んで、気づけば彼は塾を辞めていて、そうして自分は一人になった。
彼の母親がどういう人間だったのか、今となっては自分もあまり思い出せない。自分の母はどうやら宗助の母親と親しかったらしく、病気になってからはよく頼まれごとを引き受けていた気がする。
高架下に足を踏み入れる。
月の光も届かぬそこは、外よりもなお暗いところとなっていた。
と、そこに一歩足を踏み込んだ時、雅は目の前に立つ、何者かの姿を見た。
「……空値、さん?」
暗闇に浮かぶ白い肌。
学校は休んでいるというのに、制服を着ているその少女は、闇の中でひっそりとたたずんでいた。
彼女のずらりと綺麗に並んだ歯が、闇の中で浮いている。
ぺた、ぺた、ぺた。
足音がした。濡れた足で歩いた時のような音。
それが、後ろから、する。
夢で聞いた音と同じだった。
後ろに何かいる。何かがこちらに歩いて来ている。
迫りくる足音を背に、雅は必死に頭を回していた。
こんな時間に、こんなところで、濡れた足で歩いているものとは何なのだろうか。
目の前の真理の位置からは、それが見えるはずだが、彼女は何を見ているのだろうか。
真理の表情は、いつものそれとは違って、どこか苦しく、険しそうなソレだった。
「空値さん……!」
振り返る事が出来ず、かといってそこから逃げ出すことも出来ない雅は、つい目の前にいる少女の名を呼んでしまった。
真理は何も答えず、ただじっとしているばかりだった。
――違う。
真理の視線は、自分の少し上を見ていることに、雅は気づいた。
つまり、そこにいる、という事なのだろう。
ぺた、ぺた、ぺた。
足音はすぐ後ろにまで迫ってきていた。
――いる、すぐ後ろに。
と。
……はぁぁぁぁ。
後ろから首にソレの息がかかる。
心臓が止まりそうになった。
視界は涙でぼやけて徐々に分からなくなってきている。
ただ、その様を視界に収めている真理の瞳がすっと細くなった瞬間――。
雅は、首筋に生暖かいものを感じて、その意識を手放した。
◆◆◆
マンションから息も絶え絶えに脱出した宗助は、そのまま雅のもとへと走った。
部屋の中で遭遇したアレの姿が脳に焼き付いて離れない。
あの異形は何だったのか。
――いや、それよりも。
止まりかけた足に鞭をうって、どうにか走らせる。
思い至るべきだったのだ。杉本は寝不足で、変な夢を見ていた。
誰かが話している夢。夢女の夢だ。
雅も同じものを見ていると、今朝言っていた。
――杉本は夢女に捕まったのだ。
脳裏に、さっき見たアレが浮かぶ。
杉本が真理に何かされたのだ。あの夜、杉本は真理と出会い、一緒に遊んで、そしていなくなった。
そして次はおそらく、雅だ。
一緒に塾に通っていた時の記憶をどうにか思い出し、通学に使っていた道を探す。
塾の近くの河川敷を通るルート。雅はその道が好きだった。別に遠回りも近道でもなく、ほかにもルートはあるのだが、彼女とはここを歩くようになっていた。
河川敷沿いに歩き続けると、高架下に人影を見つけた。
風許かもしれない。棒のように動かなくなっていた宗助は、その足をどうにかして、そこへと駆け寄る。
徐々に近づく距離。
――違う。
直感ではあったが、宗助はその人影に違和感を覚えた。
それは高架下の暗闇の中でじっと立っていて――そしてじっとこちらを見ていた。
わずかに差し込む月明かりが、高架下の一部を照らす。
そこに映ったのは、こちらをじっと見つめる空値真理だった。いつものような笑みは無く、代わりに見たこともない険しい表情をしていた。
だがその表情も、宗助を見つけると強張り、どこかおびえたようなものに変わった。
その時だった。月明かりが真理の下のそれを映したのは。
風許だった。
ぐったりと地面に横たわっている風許雅が、そこにいた。
宗助は息を整えながら、真理へと近づく。
彼女は動かない。精いっぱい警戒するような眼で、こちらをじっと見つめている。
近づくにつれて宗助は雅の体が濡れていることに気づいた。
――血だった。そして、真理もまた同じように血に濡れていた。
学校を欠席しているにも関わらず、彼女は学校の制服を着ており、返り血なのか、彼女の白いシャツには、いくばくかの赤い染みが出来ていた。
と、宗助を見つめていた真理の視線が、射貫くようなソレに代わる。
――ぺたぺたぺた。
後ろで、誰かが歩く音が聞こえた。
それは濡れた素足でアスファルトの上を歩いているときのような音だった。
振り返った宗助の首筋を何かが掠めていく。そして、それはそのまま真理の首元へと向かう。
それを寸でのところで掴んで止めた真理が、止めていた呼吸を再開するように、はぁはぁと肩で息をする。
それは腕だった。異様なまでに長く伸びた腕を、真理はねじり切って捨てた。
彼女の制服がさらに返り血で赤く染まっていく。
振り返った宗助が見たのは、
黒いワンピースを着て、ぼさぼさの黒の長髪を垂らした、やせこけた女性だった。
――背中から生えた異様に長い四本の腕と、いくつもの瞳を除けば、それはそのように説明できただろう。
「続き、しようか。夢女」
背後から真理の声が背中に届いた。
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