7 / 26
対峙
しおりを挟む授業を終えて外に出ると、辺りはすでに夜の闇に覆われていた。
まだ七時ごろだというのに、もうすっかり真っ暗だった。
雅は先ほどまで授業を受けていた塾のビルから出て、一人帰路についた。
河川敷沿いの道をとつとつと歩く。
風が吹く。
頬をぬるい風が撫でていき、草の揺れる音が耳に入る。
物音は遠くから聞こえ、ここには自分一人だけだった。
昔は一人ではなかった。
まだ宗助と親しかったころ。ここを自分は宗助と二人で歩いていたのだ。
彼の母親が死んで、気づけば彼は塾を辞めていて、そうして自分は一人になった。
彼の母親がどういう人間だったのか、今となっては自分もあまり思い出せない。自分の母はどうやら宗助の母親と親しかったらしく、病気になってからはよく頼まれごとを引き受けていた気がする。
高架下に足を踏み入れる。
月の光も届かぬそこは、外よりもなお暗いところとなっていた。
と、そこに一歩足を踏み込んだ時、雅は目の前に立つ、何者かの姿を見た。
「……空値、さん?」
暗闇に浮かぶ白い肌。
学校は休んでいるというのに、制服を着ているその少女は、闇の中でひっそりとたたずんでいた。
彼女のずらりと綺麗に並んだ歯が、闇の中で浮いている。
ぺた、ぺた、ぺた。
足音がした。濡れた足で歩いた時のような音。
それが、後ろから、する。
夢で聞いた音と同じだった。
後ろに何かいる。何かがこちらに歩いて来ている。
迫りくる足音を背に、雅は必死に頭を回していた。
こんな時間に、こんなところで、濡れた足で歩いているものとは何なのだろうか。
目の前の真理の位置からは、それが見えるはずだが、彼女は何を見ているのだろうか。
真理の表情は、いつものそれとは違って、どこか苦しく、険しそうなソレだった。
「空値さん……!」
振り返る事が出来ず、かといってそこから逃げ出すことも出来ない雅は、つい目の前にいる少女の名を呼んでしまった。
真理は何も答えず、ただじっとしているばかりだった。
――違う。
真理の視線は、自分の少し上を見ていることに、雅は気づいた。
つまり、そこにいる、という事なのだろう。
ぺた、ぺた、ぺた。
足音はすぐ後ろにまで迫ってきていた。
――いる、すぐ後ろに。
と。
……はぁぁぁぁ。
後ろから首にソレの息がかかる。
心臓が止まりそうになった。
視界は涙でぼやけて徐々に分からなくなってきている。
ただ、その様を視界に収めている真理の瞳がすっと細くなった瞬間――。
雅は、首筋に生暖かいものを感じて、その意識を手放した。
◆◆◆
マンションから息も絶え絶えに脱出した宗助は、そのまま雅のもとへと走った。
部屋の中で遭遇したアレの姿が脳に焼き付いて離れない。
あの異形は何だったのか。
――いや、それよりも。
止まりかけた足に鞭をうって、どうにか走らせる。
思い至るべきだったのだ。杉本は寝不足で、変な夢を見ていた。
誰かが話している夢。夢女の夢だ。
雅も同じものを見ていると、今朝言っていた。
――杉本は夢女に捕まったのだ。
脳裏に、さっき見たアレが浮かぶ。
杉本が真理に何かされたのだ。あの夜、杉本は真理と出会い、一緒に遊んで、そしていなくなった。
そして次はおそらく、雅だ。
一緒に塾に通っていた時の記憶をどうにか思い出し、通学に使っていた道を探す。
塾の近くの河川敷を通るルート。雅はその道が好きだった。別に遠回りも近道でもなく、ほかにもルートはあるのだが、彼女とはここを歩くようになっていた。
河川敷沿いに歩き続けると、高架下に人影を見つけた。
風許かもしれない。棒のように動かなくなっていた宗助は、その足をどうにかして、そこへと駆け寄る。
徐々に近づく距離。
――違う。
直感ではあったが、宗助はその人影に違和感を覚えた。
それは高架下の暗闇の中でじっと立っていて――そしてじっとこちらを見ていた。
わずかに差し込む月明かりが、高架下の一部を照らす。
そこに映ったのは、こちらをじっと見つめる空値真理だった。いつものような笑みは無く、代わりに見たこともない険しい表情をしていた。
だがその表情も、宗助を見つけると強張り、どこかおびえたようなものに変わった。
その時だった。月明かりが真理の下のそれを映したのは。
風許だった。
ぐったりと地面に横たわっている風許雅が、そこにいた。
宗助は息を整えながら、真理へと近づく。
彼女は動かない。精いっぱい警戒するような眼で、こちらをじっと見つめている。
近づくにつれて宗助は雅の体が濡れていることに気づいた。
――血だった。そして、真理もまた同じように血に濡れていた。
学校を欠席しているにも関わらず、彼女は学校の制服を着ており、返り血なのか、彼女の白いシャツには、いくばくかの赤い染みが出来ていた。
と、宗助を見つめていた真理の視線が、射貫くようなソレに代わる。
――ぺたぺたぺた。
後ろで、誰かが歩く音が聞こえた。
それは濡れた素足でアスファルトの上を歩いているときのような音だった。
振り返った宗助の首筋を何かが掠めていく。そして、それはそのまま真理の首元へと向かう。
それを寸でのところで掴んで止めた真理が、止めていた呼吸を再開するように、はぁはぁと肩で息をする。
それは腕だった。異様なまでに長く伸びた腕を、真理はねじり切って捨てた。
彼女の制服がさらに返り血で赤く染まっていく。
振り返った宗助が見たのは、
黒いワンピースを着て、ぼさぼさの黒の長髪を垂らした、やせこけた女性だった。
――背中から生えた異様に長い四本の腕と、いくつもの瞳を除けば、それはそのように説明できただろう。
「続き、しようか。夢女」
背後から真理の声が背中に届いた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる
kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。
いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。
実はこれは二回目人生だ。
回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。
彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。
そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。
その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯
そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。
※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。
※ 設定ゆるゆるです。
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
(完結)元お義姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれど・・・・・・(5話完結)
青空一夏
恋愛
私(エメリーン・リトラー侯爵令嬢)は義理のお姉様、マルガレータ様が大好きだった。彼女は4歳年上でお兄様とは同じ歳。二人はとても仲のいい夫婦だった。
けれどお兄様が病気であっけなく他界し、結婚期間わずか半年で子供もいなかったマルガレータ様は、実家ノット公爵家に戻られる。
マルガレータ様は実家に帰られる際、
「エメリーン、あなたを本当の妹のように思っているわ。この思いはずっと変わらない。あなたの幸せをずっと願っていましょう」と、おっしゃった。
信頼していたし、とても可愛がってくれた。私はマルガレータが本当に大好きだったの!!
でも、それは見事に裏切られて・・・・・・
ヒロインは、マルガレータ。シリアス。ざまぁはないかも。バッドエンド。バッドエンドはもやっとくる結末です。異世界ヨーロッパ風。現代的表現。ゆるふわ設定ご都合主義。時代考証ほとんどありません。
エメリーンの回も書いてダブルヒロインのはずでしたが、別作品として書いていきます。申し訳ありません。
元お姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれどーエメリーン編に続きます。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる