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ゲーセン

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『夢女』と語られるそれは、私が子供のころは『オヨバレさん』と呼ばれていた。

 よくある都市伝説の類で、その名の通り、『呼ばれてしまう』のだという。
 オヨバレさんに呼ばれる人間は共通して、奇妙な夢を見ると聞いた。
 夢の内容はよくわからないが、誰かに呼ばれているような気がするものらしい。
 
 オヨバレさんに呼ばれてしまった人は、神隠しにあう。
 オヨバレさんに連れ去られたのか、一人でふらりと行ってしまったのか、様々な仮説が飛び交ったが、もちろん誰も答えは知らない。

 答えを知る人間は、皆消えてしまったからだ。

――焼け焦げた山未氏の手記より抜粋①。

◆◆◆

 ――下らない噂話だと思っていた。
 
 その日、風許雅は寝汗をびっしょりとかいて目覚めた。
 自室のベッドから半身を起き上がらせて辺りを見渡す。部屋はまだ薄暗い。
サイドテーブルに置かれたスマホを手に取り、時刻を確認する。
 今は午前五時だった。
 パジャマの上から背中を触る。
 湿った布に手が触れて、見ていた夢を思い出させた。
 
 奇妙な……いや、あれは嫌な夢だった。
 
 自分がここではないどこかに居たようで、ずっと誰かから声をかけられ続けていた気がする。
 そこは桃色の海のようなところで、自分はその海の中でひたすらに沈み続けていた。
 声ははるか遠くの海面から聞こえて――。

「はぁ」

 ため息をつく。
 脳裏によぎるのは夢女の話だった。あの夢がそれなのだろうか。
 いいや、と否定する。
 疲れているだけなのだ。
 きっと変なストレスでも抱えていて、それが表面化しただけなのだろう。
 寝てしまおう。二度寝だ。
 胸の内の不安から逃げるように、雅は布団にくるまった。

◆◆◆

 山未宗介はベッドから身を起き上がらせた。
 いつも通りの朝。一人ぼっちの朝だった。
 自分をたたき起こしたスマートフォンのアラームを止めて、ベッドから半身を起き上がらせる。
 
 リビングに出て、キッチンに入る。
 買いだめしているアイスコーヒーをコップに注ぐ。ソファに座って、コーヒーを飲みながら、テレビのスイッチを入れる。
 自分とは関係のない事柄を垂れ流すニュースをぼんやりと見つつ、今日の時間割を思い出す。一限は数学だったか。
 ニュースは先端医療に関するものだった。

『――サイボーグというと、もしかすると皆さんは兵器のイメージを持たれているかもしれませんが、我々医療関係者からすると、義手や義足、人工心臓の延長上に定義づけられているものと考えています』
 
 テレビに映っていたのは、ある男のスピーチだった。
 そこはどこかの論文の発表会らしかった。黒いスーツに身を包んだ男は、身振り手振りを交えて自分の言葉を発していく。
 言葉は英語だったため、下に字幕が出ている。
 宗助はその男の横顔と字幕をぼんやりと追っていた。

『我々は世のユーザーに対して、肉体の病んだ部分を切除し、機械に変えて新たな日々を送るという選択肢を提示することが出来ます。より進んだ未来では、健康なユーザーに対しても、元の肉体を分離して保管しつつ、機械の体を一部提供する、というサービスも行っていくでしょう。人類が新たなステージに進む日は、着実に近づいてきているのです。我々、アンシャル社は、その――』

「ん」
 画面の右上に表示されている時刻を宗助は見た。
 七時四十三分。そろそろ歯を磨き始めないといけない時間だった。
 宗助はリモコンを手に取り、テレビに向ける。

 ため息を一つついて、宗助はその男――自分の父親のスピーチの映像を切った。

◆◆◆

 夏の日差しが照り付けるアスファルトの上を、ぽつぽつと一人、宗助は歩いていた。

 セミの鳴き声が耳障りで、イヤホンを耳にさして、宗助は持っているスマートフォンを操作して、曲を選択する。
 それは古いヒーローものの映画の主題歌だった。洋楽なので、昔は歌詞の意味は分からなかったが、今は何となくは分かる。
 
 朝に父親を見たせいだろうか。
 この曲が流れる映画を、母と見た記憶がちらつく。
 母は死んだ。病気だった。病名は覚えていない。それどころか、もう声も顔もうろ覚えになってきている。写真は残っているが、それを見ようとは思わなかった。
 宗助は一人で歩き続けた。
 
◆◆◆
 
 教室に入り、自分の席に座ると雅はこめかみに指当てて、何度か瞬きをした。
 今朝は妙な夢を見たせいで早く起きてしまって、そのおかげで今は寝不足なのだった。いつもよりも重い瞼と格闘しながら、その視界の端に自分と同じく眠そうにしている少年の姿をとらえた。
 
 山未宗助。幼馴染の少年。
 伸びた髪は少しぼさぼさで、片目が隠れるか否かというくらいに伸びていて、大人しそうな彼の雰囲気を、より一層強めていた。

 クラスの誰ともつるむことが無く、いつも独りだった。
 いじめられている、というわけではなく、ただ彼自身がそうある事を望んでいるのだ。
 雅も幼馴染ではあるが、たまに言葉を交わす程度で、アニメやドラマで見るような、べったりという関係ではなかった。彼との会話が少ないおかげで、何ならその他大勢の分類に自分は入っているかもしれないのとさえ思っていた。
 ただ、彼も最初からこのような有様だったかと問われれば、それは断じて否だった。

 すべては彼の母親が死んだ日からだ。
 あの日を境に、彼は他人とかかわることを、なるべくなら避けるようになっていったように思う。

「ま~た、山未君見てる」
「えっ」
 不意に声をかけられて、ハッと我に返る。
 声の主はよく話すクラスメイトの一人だった。
 視線を向けると、にやにやと笑みを浮かべる彼女の顔があった。
 とっさのことで反応できず、反論も出来なかった。
 何か言うべきと思いつつも、その言葉が出ない――と、その時だった。

「おはようございまーす」

 少女の声が、朝の教室に響いて渡り、それまであった喧噪を全て吹き飛ばした。
 雅が視線を向けると、そこには「ん?」と小首をかしげて教室の入り口にたたずむ、空値真理の姿があった。
 クラスのほとんどの視線を一身に受けながら、しかし彼女は動じていなかった。
 
 しばらく逡巡し、そして気づいたのか、わざとらしく、ぽんと手を叩いてこう言った。
「転入生の空値真理です。今日からお世話になります」
 
 ――そういうのは普通、ホームルームとかでするんじゃないのだろうか。
 
 と、雅は疑問を抱いたのだが、そのほか大多数のクラスメイトは、そうではなかったらしく、転入生の周りに集まっていった。

「先生が言ってた転入生ってアナタ?」
「前はどこにいたの?」
「すごい可愛い……。読モとかしてる?」

 女子たちは真理の周りに集まっていて、男子たちはそれを遠巻きにじっと見つめていた。
 真理はあまりにも可愛く、美しかったからだ。
 
 矢継ぎ早に繰り出される質問の数々を彼女は、どうにか切り返しつつ、入り口から歩を進めつつ――誰かを探すように視線を歩かせていた。
 そして、その瞳がすっと細くなったとき、彼女の視線の先にいたのは、山未宗助だった。

「席って自由?」

 質問を投げかけてくる女子たちに、真理は聞いた。
「え~っと、転入生の席は空いてる席から選ぶようにって、先生が言ってたよ」
「なるほどね。じゃあ彼の席の横は空いてるの?」
 と、真理が山未の席の隣を指さして言った時、古風なドラマのような展開にクラスの女子たちは黄色い声を上げ、男子たちには妙なざわつきが走っていった。
 当の本人は、髪に隠れた瞳から真理を一瞥すると、何とも分からないため息をついていた。
 
 雅は、なんだか嫌な気持ちになっていた。
 そして、それと同時に、この場を全て支配してしまっているような真理に対して、自分でも咀嚼しきれない異質さを感じ取っていた。

◆◆◆

 ――苦手だ。

 昼休み。自分の前に座る真理を見て、宗助はため息をついた。
 宗助の学校は、昼食をとる際の席は自由だった。クラスメイトはそれぞれ好きなグループで集まり、机をくっつけて昼ご飯を一緒に食べている。
 どのグループにも属さない宗助は、いつも独りだった。
 
 過去形なのは、いつもは誰ともくっつかない宗助の机が、今日は真理の机とくっついているからだ。
 
 二人だけのグループなので、向かい合う形で机はくっついている。
 今朝の流れから、真理は当然のように宗助と昼食をとりたいと言い始めた。
 最初は嫌がっていた宗助だったが、周囲の視線が気になり、しぶしぶ彼女と相席する形になったのである。

 他のクラスメイトは、最初は真理を誘おうとしていたようだが、自分と真理との関係が気になり、様子を見るようにしたらしい。
 静かになったものの、こちらを盗み見るような視線を感じる。

「へぇ~。キミ、料理できるんだね」
 宗助の弁当箱をのぞき込みつつ真理が言った。
 二段重ねの弁当箱。片方には白飯が、もう片方にはシュウマイやトンカツなどが入っていた。
「出来ないよ。これは殆ど冷凍食品。レンジでチンしただけ」
「へぇ~」
 感心する真理の昼食は、コンビニで買ってきたらしき菓子パンだった。
 机の上にはメロンパンが置かれていて、彼女の手にはチョココロネが握られていた。食べなれていないのか、口の周りにチョコがついている。

「ところでさ、今日の放課後なんだけど。またどこかに行かない?」
 好奇心に満ちた瞳が宗助を見つめていた。昨日のことなど、すでに忘れているようだった。そんな真理の振る舞いに、宗助は自分でも理解しがたい苛立ちを覚えていた。

「嫌だ」
 だから、口をついて出たのは意地の悪い言葉だった。
「えぇ~~~」
 不満たらたらな様子で真理がじっと宗助を見つめ続ける。
 周りのクラスメイトがこちらを見つめているのが分かる。次の展開を待っているのだろう。
 真理はそれを知ってか知らずか、特に何も言わずに今もこうして、ただじっと宗助を見つめているだけだった。 

「……わかったよ」
 深いため息を一つついて、宗助は返事をした。
「でも、今日はさっさと家に帰れよ。昨日みたいなのは嫌だからな」
 ただ、自分の心に残ったしこりを取り除くために、最後にそれを付け加えた。

◆◆◆

 授業を終えて、放課後。
 その日、真理と宗助は繁華街のゲームセンターにやってきていた。
 昨日は喫茶店や本屋などをめぐっていたので、こうした遊び場らしい所には来ていなかった。
 電子音がせわしなくそこかしこから鳴り響き、薄暗い店内はゲーム機のモニターで淡く照らされていた。立ち込めるタバコの煙が、雰囲気をより陰鬱なものにしていた。

 格闘ゲームやリズムゲームの筐体。両替機。大きく陣取られた競馬ゲームのスペース。並べられたクレーンゲームやメダルゲーム。

「おぉ~」
 それらと対峙した真理の第一声は、それだった。そして、そこから先に言葉はなく、彼女はただ「ほぉ」だの「へぇ」だの言いながら、店内をうろうろするばかりだった。
 宗助はそれを少し離れたところから、ぼんやりと眺めていた。
 宗助自身は、ここがあまり好きというわけではなかった。
 
 ゲーム自体あまりする方ではないし、騒がしいのは苦手だった。
 何より、ここは近所の高校の不良が来るらしく、カツアゲなどの被害があったと聞いている。――とはいえ、それはかなり昔の話のようだが。

「ねぇ!」
 やけに楽しそうな顔をした真理が駆け寄ってきて言った。
「あれをしよう! あれならワタシにも出来そう!」
 と、指さしたのは、レースゲームの筐体だった。
「やるのはいいけど、小銭あるの?」
「小銭」
「小銭」
 なぜかオウム返しになったが、まぁ、たぶん、持っていないのだろう、と宗助は察した。
 ため息をついてから。
「良いよ、僕が両替して作ってくるから、そこで待ってて」

 ゲームセンターの事も知らないようだった。
 いくら田舎から来たといっても、これはさすがにおかしいのではないだろうか。
 両替機の前に立ち、財布を広げて中を確認する。
 記憶の通り、小銭は無かった。一万円札をかき分けて、千円札を見つけて両替機に投入する。ジャラジャラという金属音と共に、百円玉が吐き出される。
 
 それをかがんで取り出し、財布に入れて立ち去ろうとしたとき。
 金髪にピアスをして、小汚い制服を着た数人の高校生が帰り道をふさいでいた。
 ギラギラとした目が、まっすぐに自分をを捉えている。

 ――いるじゃん、不良。
 
 目の前の不良を見つめつつ、宗助は内心ため息をついていた。ちらと横を見ると、すでにそこにも不良が立っており、どうやら囲まれているらしかった。
 おそらく、財布の中身を見てやってきたのだろう。
「ねぇ、君、もしかして○○中学の子?」
 正面に立つ金髪の不良が、嘘くさい笑顔を張り付けながらやって来る。
「俺、○○高校の二年なんだよ」
 ヘラヘラと笑いながら不良はさらに近づき、宗助の肩に手を置き、見下ろした。
「良かったら、俺らと一緒に遊ばない?」

 徐々に上がっていく心拍数を抑えながら、宗助はこの状況をどう切り抜けるべきか考えたが――。 

「何してるの?」
 と、不良の背の向こうから、真理の声が聞こえた。
 不良が振り返るのと、宗助が走り出すのは殆ど同時だった。

 ――そうだった。今は真理と来ているのだった。

 このままでは真理も巻き込まれてしまう。
 だから駆け出した。
 真理の手を取って、この場から逃げるために。
 しかし。

「あ」
 宗助の体は宙を浮いていた。
 不良の足が見えた。
 駆け出した宗助の足がそれにすくわれて、綺麗にうつぶせに転んでしまったのである。
 額を床に打ち付ける。鈍い痛みがそこに走る。
 どうにか立ち上がろうとするが、抑え込んでいた恐怖が体を包んで、うまく四肢が動かない。

「ごめんごめん、大丈夫?」
 とんとん、と起き上がれない宗助の背中を、不良が叩いた。
「財布も落としちゃって」
 不良の手には、宗助が先ほどまで出していた財布が握られていた。
 とりあえず取り戻そうと手を伸ばすが、ひょいとかわされる。
 その表情は、すでに悪意に満ちたソレだった。
「こっち、彼女さん?」
 不良の視線が真理のほうに向く。その視線には、明らかな悪意があった。

 ――マズい。

 逃げろ、と言おうとして、どうにか顔を上げる。
 真理は静かに不良たちを見つめていた。
 
 おびえている様子もない。
 彼女は、ただそこに立っているだけだった。

「それ、宗助のだよね」
 怒っているのだろうか。
 無表情で不良に真理がそう言った。対して不良は、ヘラヘラと笑うばかりだった。

 ヘラヘラと笑うばかりだった。
 ヘラヘラと笑うばかりだった。
 ヘラヘラと――。

 ――おかしい。

 宗助を含め、ほかの不良たちが笑い続ける不良を見やる。
 見れば彼は、笑い続けて苦しくなった腹を抱えて、涙を流しながら、必死の形相でうずくまろうとしていた。
 聞き取りにくいが、止めて、と言っていたようだ。

「お前っ!」
 真理に原因があると思った不良が、彼女に殴り掛かる。
 しかし、その手が止まる。

 彼が自分の両目から血が滴っていることに気づいたからだ。

「は……?」
 とめどなく流れ続ける自分の血をぬぐい続ける。
 残りの不良がおびえて逃げ出そうとする。
 真理の視線がそちらに向く。そこに慈悲らしい表情は無かった。
 能面のような顔が、不良を見ていた。

「やめろ!」
 気づけば宗助は叫んでいた。
 その瞬間、店の電気は全て落ち、辺りは暗闇に包まれた。
 
 そして、何かがはじける音と、誰かの悲鳴が店に響き渡った。
 
 這いつくばったままの宗助は、床にぴったりとつけた手のひらに、何か生暖かい液体が触れたことに気づいた。
 どうにか体を起こして、真理の手をつかんで、店から走り出た。
 暗闇の中から外に飛び出す。夏の日差しが差し込んで、目が痛かったが、かまわず走り続けた。今は少しでも遠くに行きたかった。

 しばらく走り、人気のない商店街に入ったところで、宗助はようやく足を止めた。

「ねぇ、次はどこに行くの?」
 
 さっきあんな事があったというのに、真理は相変わらずだった。
「どこに行くって――」
 と言いながら振り返って、宗助は絶句した。
 
 真理の白い制服に、大きめの赤い染みが点々と出来ていたからだ。
 彼女をつかんでいた自分の手を見ると、生乾きの血がべったりとついている。
 先ほどまでのことを思い出す。
 不良たちはどうして、ああなったのだろうか。
 笑い続けたり、目から血が流れ続けたり。
 
 何より、あの暗闇の中で聞こえた悲鳴と共に聞こえた音は一体、何が弾けた音だったのか。
 
 頬に血を付けた真理が、恐ろしいくらいにいつも通りの顔でこちらを見返していた。
 
 人気のない商店街の中で、宗助はそんな真理と二人きりだった。
 さっきまで聞こえていた人々の喧騒が今はもう遠く。
 無表情に見える真理が、ただじっとこちらを見つめ返していた。

「ねぇ」
 真理が。
「次はどこに行くの?」
 言った。
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