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転入生

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 母が死んだのは、山未宗助《やまみそうすけ》が小学4年生のころだった。

 今から4年くらい前の話だ。
 病名が何かは忘れたが、聞き覚えのないものだったことは覚えている。
 通夜と葬式が淡々と済まされ、母は燃やされて骨にされて、壺に入れられて。
 それで全部終わり。

 どんな人間が来ていたのかは覚えていない。
 ただ、その儀式はどれも静かに執り行われて、まるで形式上、仕方なく行われているかのようだった。
 
 宗助はその間中、ぽつりと取り残されたようにそこにいて、すべてが終わるまで、心が空っぽになってしまったように呆けていた。
 
 悲しかった。
 だが、それ以上に何事も無いようにこれを執り行う自分の父親が信じられなかった。葬儀の間、ついぞ父は涙一つ流すことなかった。

「だいじょうぶ……?」
 よほど酷い顔をしていたのだろう。
 葬儀に出席していた幼馴染の風許雅《かざもとみやび》が声をかけて来た。
 彼女は困惑しているようだったが、それはこの葬儀を見てではなく、おそらく母親を亡くした自分に対して何と声をかければ良いのかと思っていたからだろう。
 
 ただ、当時の自分は、彼女の困惑の理由など分かるはずもなく、
「さぁ……?」
 とそっけなく返してしまったのを覚えている。
 そして、それ以降彼女とは、どこか線を引いた付き合いになった。

◆◆◆

「……ん」
 
 山未宗助は重い瞼をどうにかこじ開けて、意識を覚醒させた。
 見慣れない白い天井。白いベッド。個室にするためのカーテン。
 徐々に意識がはっきりするにつれて、セミの鳴き声と共にどこかから、誰かの騒ぎ声が聞こえ、そしてそれを注意する誰かの声がした。
 窓の外から覗く空の色は茜色で、それはもう今が夕方だということを示していた。

 そこは宗助が通う、中学校の保健室だった。
 部屋の中には自分しかいない。保険医は確か、職員会議に出ているはずだ。仮病でここを使うときに本人に軽く確認したことを思い出す。

 ――そうだ。確か自分は……。

 と、宗助は枕元を手で探った。枕の下に滑り込んだ指が、硬い何かに当たる。ひっかけて引っ張りだすと、それは宗助のスマートフォンだった。
 
 液晶には先ほどまで何らかの処理を行っていたのか、タスクバーが完了の通知を出していた。
 そのまま操作を続けていくと、画面にはこの保健室の日誌が表示された。
 宗助はそのまま淡々と操作を続けて、目当てのものを探していく。
 日誌の内容は、この保健室の利用者に関することばかりが書かれていて、言ってしまえばカルテ替わりのようなものになっていた。
 発熱、擦り傷、打撲、仮病などなど。中には、変な夢を見たというものもあった。

 事前に『依頼主』から聞いていた名前を入力し、それで検索をかける。すると、その生徒のカルテがずらりと表示された。
 明らかにほかの生徒よりも多く、そのどれもが擦り傷や打撲といった外傷ばかりだった。中にも火傷のものもあった。
 
 さすがにここの保険医もおかしいと感じたのだろう、カルテ内のコメントで、いじめを危惧するものが書かれていた。
 そして、とうとうあるカルテには、生徒自身からいじめの告白があった事が記されていた。そのカルテの最後にはその生徒の担任に相談すると書かれている。
 だが、そのカルテは今から三ヶ月も前のものだった。
 以降、その生徒のカルテは無い。

 ――もみ消されたのだ。

 おそらく保険医は、このカルテ通りに担任に相談したのだろう。
 しかし、結果として学校側はいじめを認めることが出来ず、その事実を隠蔽することとなったのだ。依頼主の読み通りだった。

 宗助は、ここの保険医の事を思い返していた。
 自分が知る限り、彼女は心優しい先生で、生徒の事を思いやる心を持った良い大人だと思う。だが、組織と戦えるほど強くは無かったのだろう。
 歯向かえば職を失う恐れがある。そうでなくとも、ここには居づらくなるだろう。
 大人の世界がどんなものか、まだピンとは来ていないが、ここを辞めて再就職をするのは、そう簡単な話ではないのだろう。
 
 ――さて、ここからどうすべきか。

 宗助は端末を操作し、また別の画面を開く。
 先ほどまで見ていた、ここの保健室のフォルダから移動して、学校全体のデータを管理するサーバーにアクセスする。
 辿ってみれば、保健室のカルテのデータは、バックアップとして、そちらのサーバーにも保存されていた。
 カルテのデータをここに移動しろと、学校側が保険医にそう言ったのかもしれない。
 あのようなカルテがほかにないか、チェックをしたかったのだろう。

 ――ちょうどいい。

 宗助は鼻で笑った。カルテの名前欄を削除してから、そのデータを流出させる。
 保険医は会議中でパソコンの前には居ないはずだ。彼女にはアリバイがある。
 とくにゴタゴタもなく、今しがた引き起こした事件は、彼女以外の人間がしたように判断されるだろう。
 最後に依頼主の要望通り、カルテのデータをまとめて保存した。
 同様のケースが他にもあるかもしれないと、依頼主は言っていた。それらの調査は依頼主に任せることにした。

 一仕事を終えて、欠伸をしているとカーテンの向こうで扉が開く音が聞こえた。
「ただいま~」
 明るい女性の声が部屋の中に響いた。カーテンが開けられ、保険医が顔をのぞかせる。
 上半身を起き上がらせた宗助と目が合う。
「あ、もう起きてたの? 具合は大丈夫?」
「はい。もうすっかり、頭痛も収まりました」
「そう。じゃあ、今日は早く帰って寝ること、いいね」
「――はい」
 何かを押し殺して、どうにか笑みを浮かべる保険医に、宗助はただ頷くだけだった。

◆◆◆

 風許雅は、うだるような夏の暑さを耐えながら、学校の廊下を歩き回っていた。
 時刻はすでに夕方を回っていて、その日の授業はもう終わって帰ろうかという時に、担任からとんでもない話をされてしまった。

『転入生が今からやって来るから案内をしてほしい』

 七月も下旬で、今日は特に暑くて、さっさとクーラーが効いた家に帰りたいと思っていた雅は、この担任の言葉に耳を疑ったし、とてつもなくげんなりしていた。

 雅は学級委員長であったために、こうした面倒ごとは、中学二年に上がってからこのように押し付けられてきた。
 といっても、学級委員長自体は雅が立候補してなったものなので、これを嫌がるのも筋違いだろうと考えていた。
 
 結局、雅はため息をつきつつ、もう一人の男子の学級委員長を探していた。
 そうは言っても、どうせなら道連れにしてやろうと思ったのである。こんな苦労を自分だけがするのは何だか腹の立つ話だったわけで――。
 と、そこまで考えて自嘲気味に息を吐いた。
 
 ――違う。
 
 自分はただ、彼と話すきっかけが欲しいだけなのだろう。
 
 彼の母親の葬儀から、どことなくお互いに距離を置いてしまった山未宗助と。

◆◆◆

 ほどなくして、雅は宗助を三階の廊下で見つけた。
 
 遠くから見つけた時は何と言って駆け寄ろうかと考えていたが、よくよく見ると、彼は別の女子生徒と一緒にいるようだった。
 彼とその女子生徒は互いにスマートフォンを操作していて、何らかのデータ交換を行っているらしかった。
 
 ――ラインの番号でも交換しているのだろうか。
 
 雅が二人のもとにたどり着く前に、女子生徒は宗助に頭を下げて走り去り、後にはスマートフォンを手にした宗助だけが残された。
 ちらと彼が雅の方を向く。
 
 くるりと大きな瞳に、良く通った鼻筋。日焼けしていない肌に、眉にかかるまでに延ばされた髪の毛。男子でありながら、愛らしさを感じさせる容姿だったが、彼の瞳の下にあるクマがそれを損なわせていた。

「どうしたの……?」
「――先生が転入生の案内してって……。山未君も、学級委員長だから、一緒に……」
「今から……?」
「……うん、今から」

 宗助のため息が廊下に響いた。

◆◆◆
 
「転入生は、教室に来るらしいから」
「職員室じゃなくて?」
「うん。まぁ、別に今日はただの案内だけみたいだから」

 放課後の教室。掃除もすっかり終わって、窓の外から部活動に精を出す生徒たちの声が響く、夏の夕方。
 雅は宗助と一緒に、教室に二人、転入生とやらを待っていた。
 宗助は自分の席に座ってぼんやりと窓の外を眺めていて、雅はその窓の横で壁に背を預けて立つ。
 
 別に、宗助とはお互いに嫌いになったわけではない。
 ただ、彼の母親が死んでから、彼はどこか変わってしまって、そんな彼にどう接すればよいのか、分からないまま今日まで来てしまっただけなのだ。
『そーちゃん』『みーちゃん』と呼び合っていたあの日々が、とてつもなく遠い過去の事のように感じる。

「そういえば」
 沈黙に耐えかねて、雅が口を開いた。
「もうすぐ夏休みだね」
「そうだね」
「夏休みが終わったら、すぐに文化祭の準備だよ」
「――劇とか、めんどくさいな」
「劇はどのクラスも毎年やるらしいから、ウチもやらなきゃ、だよ」
「もしかして、その仕事も僕たちがするわけ?」
「……まぁ、たぶん」
 今度は小さく控えめに、宗助はため息をついた。
「その時は、人魚姫でもやろうよ」
「――人魚姫、ね」
 雅の提案に、何とも言えぬ声を宗助が漏らして、そうして二人の間に沈黙が再びどんよりと降りた。

「ふわぁ~~~あ」
 
 しばしの沈黙を破ったのは、雅の欠伸だった。
「眠いの?」
「いや、う~ん。なんていうか、最近、変な夢見るようになっちゃって、それでなんだか寝不足気味で」
「変な夢?」
「なんていうか、誰かがずっとぼそぼそ喋ってるみたいで……。あぁ、最近流行ってる夢女のアレみたいな――」
 
 と、そこで雅の言葉は途切れた。
 教室の扉が勢いよく開かれ、見慣れない少女がぬっと顔を出したからだ。

 長い黒髪。すらりと伸びた手足に、制服から覗く肌の色は、陶器のように白く。
 小さな顔の中の、瞳は大きく。
 モデルのように美しい少女がそこにいたのである。

「学校、案内」
 少しぎこちなく少女が言う。
「キミたちが、してくれるの……?」
 それが空値真理《あきね まり》だった。
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