夢はお金で買えますか? ~とあるエンタメスクールの7カ月~

朝凪なつ

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第7章:夢の値段 ~教務係:佐久間晧一~

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 九月下旬の二号館は就職活動の雰囲気が漂っているけれど、一号館ではスクール課程が修了した学科がある。
 二年前の十月にスタートした声優学科と小説・シナリオ専科だ。

 九月下旬のある日の夕方、橋本さんから声優学科のオーディション結果が配られた。
 用紙の上部には全体の事務所所属率と養成所所属率が前回の数値と並んでいる。その下には、生徒の名前がずらりと並び、合否と進路が記されている。
 月・水・金クラス、火・木・土クラス、そして土・日・日クラスの計三クラス分あるため、結果用紙は何枚にも渡っていた。
 僕は早速、七月からラジオのレギュラーをしていたスクール期待の星、安藤もといくんの欄を見てみた。
 彼は十近くの事務所のオーディションを受け、四つの事務所から所属の合格をもらっていた。そして、「進路」の欄にはそのうちの一つの事務所名が記載されていた。
 もらった結果表に視線を落としていると、連絡を受けて来たのか、それとも勘で嗅ぎ付けて来たのか、江本さんがやってきた。

「声優学科の結果は?」

 入ってくるなり重低音が教務室に響き渡る。

「できてます」

 橋本さんは手元に用意していた江本さんの分をさっと差し出した。
 江本さんは見るなり、

「お、前回よりいいな」

 機嫌よく言うと、書類を持ってさっさと出ていってしまった。
 数値しか見ていない江本さんの態度に、なんだかもやっとした。生徒それぞれの進路、生徒自身が納得して修了していくことが大切なのではないだろうか。数値だけを見て喜ぶ姿に、なんだか違う気がした。
 小説専科の木崎あやさんへの対応や、声優学科を辞めた高梨たかなしさんのときの発言から、江本さんに対してプラスのイメージがついていただけに、なんだかショックだった。

「橋本さん……」

 釈然としない思いをどうにかしたくて、そろりと橋本さんに歩み寄る。

「どうかした?」
「あの……、橋本さんも江本さんと同じように、数字が気になりますか?」

 非難ではなく質問の形にして訊いてみる。

「そりゃあ、気になるよ。数字は生徒が出したものだからね。高ければ生徒が頑張ったっていう証拠だし、スクールとしては結果を出せなかったら次年度の生徒数減少に繋がりかねないわけだし」

 江本さんに同調する意見に、知らず眉根が寄ってしまう。
 僕の表情に何かを感じ取ったのか、橋本さんが続けた。

「日本は少子化の一途をたどるわけだから、今後生徒となりえる母体数はどんどん減っていくでしょ。それは、つまり他社との競争が激化していくってことだ。そんな中で生き残っていくには、結果を出せるスクールであることと、生徒に通ってよかったって思ってもらえるスクールであることが大切になる。
 今はネット上の評判を判断材料にしてスクール選びをするから、生徒が悪いイメージを持ってネットに書き込んだら、それを参考にされてしまう。だから途中で辞めた人には辞めた理由を聞いている。て、あれ? これ、前も話した?」
「あ、はい、聞きました。スクールに不満を持って辞めた場合でも、その後の対応で誠意を見せることで印象を少しでもよくすることができるって」
「そうそう。本来なら、通ってもらっているときにやらないといけないことなんだけどね」

 橋本さんは苦笑する。

「そういう意味で言うと、俺たちと江本さんとでは役割が違うんだよね」
「役割、ですか……?」

 江本さんはこの教務部の部長。まとめ役だ。

「江本さんは教務部の部長ではあるけれど、担任業務はもうやっていないし、業務的にはスクール運営の方が割合としては大きいんだ。生徒を見守るのが僕らの仕事なら、江本さんはスクール運営に寄り添うのが仕事。だから僕らよりも数字を気にするのは当然かなとは思ってる」

 僕が訊きたかったことを綺麗に答えてくれた。完全に心を見透かされていたようだ。

「とは言いつつも、江本さんも以前はなかなかだったけどね」

 橋本さんは眉をハの字にした。

「なかなかって、どういう……?」
「あまり大きな声では言えないけど、七年ほど前まではかなり厳しい担任として恐れられていたんだ。
 授業開始ぎりぎりに来た生徒に対して授業後に廊下で叱りつけたり、担当じゃない学科の生徒に対してもおかまいなしに『なんで課題をやってこなかったんだ、やる気があるのか』って説教したり」
「えっ!」

 エピソードは完全に木崎彩さんと同じだけれど、対応が天と地ほど違う。

「それがいちいち怖かったんだよなぁ。あのひっくい声でドスきかせるからそれで辞めていった生徒もいたくらい。一応本人にも辞めた理由は伝わっていたんだけど、『あれくらいで辞めるならそれまでだ』って。熱い人だし、プロの世界が厳しいっていうのわかった上での態度だったんだけどね」

 昔を思い出し、肩をすくめる橋本さん。
 今でも怖いときがあるのにそれ以上だったとは。変わってくれてよかったと思うと同時に、変わったきっかけも何だか気になった。

「あ、あの、五月に小説専科の生徒さんの課題について江本さんに対応を仰いだことは覚えていますか?」
「えっと……、なんだっけ?」
「課題を全然出していなかった木崎さんていう生徒さんで、小説賞向けの企画書すら出さなくて」
「あぁ! あったね!」
「あのときは、寛容だったというか、課題を送っていいっていう前向きな対応を指示されましたけど……、何か変わるきっかけがあったんですか?」

 橋本さんはうーんと唸りながら腕を組んだ。

「俺が入社して数年目のときだったかな、志願者が減ってさ。原因は何だろうっていろいろ調べて一つ思い当たったのが、ネット上での批判だったんだ。『教務に偉そうなやつがいる』、『廊下でこれ見よがしに説教されてる生徒がいてかわいそうだった』、『教務に怖い人がいて、担任に話しかけたくても教務室に近づきにくかった』とかいろいろ。おそらく江本さんのことだろうなって、みんな言わなくても思ってた。
 TMSを検討していた人たちがこういう評判を読んで、離れてしまったんじゃないかって予想して、教務部内でネットの書き込みを共有したんだ。でも、当の江本さんはこたえた風ではなくてさ。スクールとしては、印象は大事だし、ネットの書き込みはずっと残り続けるから、教務部全体として節度ある接し方をするよう徹底されたんだ。当時は江本さんの上にもう一人いたから、江本さんが暴走しそうになったら、その人が注意してた」
「へぇ」

 あの江本さんを抑えていた人がいたというのは意外だ。
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