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第6章:夢を尋ねる ~キャラクターデザイン学科:河野いちか~
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しおりを挟む空になった春雨スープを持って椅子から降りると、カップに箸を突っ込んだ状態でキッチンに置いた。
胸の中に溜まった澱のせいなのか、バイトで疲れたせいなのか、今日は描く気になれない。いつもは絵を描いたり、コンテストの情報などを収集したりして夜を過ごすのに。
寝て英気を養おうか……。
一瞬ベッドに横になることを考えたが、少し思案して、私は手だけ洗って踵を返した。
パソコンデスクに戻る前に、カラーボックスに差し込んである歴代の日記帳に手を伸ばす。大学生から直近までのものをごっそりと掴み出して、椅子に座った。
身体はぐったりしているのに、頭は妙に冴えている。だから、このもやもやの原因究明と対策――今後の行動方針――に手をつけることにしよう。この状態だと寝つきも悪くなりそうだし。
私は十代の頃から、何かはっきりしないもやもやや、苛つきなどが溜まってくると、吐きだすために日記帳に書くくせがある。
今、何を感じているのか、いつからそうなのか、考えられる原因は何なのか。それらの吐きだしをすると、今度は、自分でどうにかできるもの、相手の感情など自分では介入できないもの、時間が解決してくれるものなどに分けていく。分けた後は、自分でどうにかできるものに対してだけ、対策や行動を考えていくのだ。
こうすると胸の内がすっきりして気持ちいいし、自分がするべきことが明確になって前に進める。
大学の頃の日記帳をパラパラ捲り、最後までいくと机において次のを手に取る。会社員、TMSに入ってからの日記帳も順に捲っていく。
大学生の頃に掲げた『イラストレーターになりたい。絵を描いて生きていきたい』という夢に繋がる場所に、今、私はいる。チャンスもある。スクール以外のチャンスにも手を伸ばしている。でも、成果が出ない。
それは何故なのか……。
考え始めようとしたとき、上手くいかない原因を探るのも大事なことだけれど、それと同じくらい大事なことがあることに気が付いた。
それは、私はこれから先どうしたいのか、ということ。
コンテストで受賞できなくても、SNSやイラスト投稿サイトを通して仕事の依頼がこなかったとしても、TMSの修了日はやってくる。これは確定事項だ。
修了してから先の人生を、どうするか。どうしたいのか――。
入校当初、面談用に書いた書類には『書籍デビュー』、『フリーのイラストレーターになりたい』と書いた。入校時は「そうなんですね」と頷いていた増山さんは、一年生の三月の面談では企業への就職を勧めてきた。
書籍の表紙や挿絵などをフリーで請け負って仕事をしていくか、企業に就職して会社員になるか――。
今日三階のフリースペースで見かけた男子生徒二人も、フリーで仕事を請け負っていくことを希望していた。そんな彼らは就職活動をしている人のことを馬鹿にしていた。
フリーでやっていきたいというところは私も同じだけれど、私は一階のエントランスで見かけた就職希望者の二人を嘲笑う気にはならなかった。むしろ熱心さを素直に凄いと感じたし、結果が出てほしいとも思った。
今日のバイト中、もやもやした思いを抱え、心ここにあらずになってしまったのは、もしかしたら、デビューに繋がる成果が出ないことでも、自分と同じフリー志望の人が就活を頑張っている人を馬鹿にしていたからではないのかもしれない。
おそらくあの出来事がもやもやの発端ではあるのだろうけれど、別の要因も隠れている気がしてならない。
「よし」
私は弾みをつけて背もたれから背中を引きはがすと、スクール用のバッグからペンケースを取り出した。最新の日記帳の、最新のページを開き、手にしたボールペンを走らせる。
・イラストレーターになりたい
・書籍デビューしたい
・絵を描いて生きていきたい。生活できるようになりたい
叶えたい夢を箇条書きにし、続けて、
『Q.フリー? それとも会社員?』
と、問を立てる。逡巡してから、その下に、
『Q.フリーで働きたい理由は?』
と付け足した。
しばし問いを凝視してから、思い浮かんだものを書きつけていく。
・自由な感じがするから
続いて思い付くままに、ペンを動かす。
・出社がないからストレスが少なそう
・社内の人間関係の面倒がない。トラブルが少なそう
・決まった時間に起きて決まった時間に働くという制約がない
・満員電車に乗って通勤するストレスから解放されそう
会社員時代のことを思い出しながら書いていく。
と、いくつか書いたところで手が止まる。
反対意見が自然と湧いてきたのだ。
『Q.フリーで働くデメリットは?』
・安定して仕事が入ってくるわけじゃない。バイトか何かで収入を得ないといけないかも
・バイト生活を含むフリーの活動を”自由”と言えるかわからない
・仕事をする時間が決まっていないから自分で仕事と生活を律する必要がある
・仕事の管理はすべて自分。すべて自分の責任
・人間関係のストレスは少ないけど、仕事がなくなったらどうしようという別のストレスが生まれそう
・フリーの人って依頼待ってるだけでいいの? 売り込みとかはするもの?
手を止める。フリーで働きたい理由とそのデメリットをしばし眺めてみる。
何となく、まだすっきりしない。引っかかるものがある。
特に、『Q.フリーで働きたい理由は?』という問いと答えを見るとき、目が早く通り過ぎようとしている気がする。
経験上、こういうときは、まだ書いていないことがあるのだ。
吐き出しきっていない後ろめたさから、身体が直視することを避けようとする。
奥底にまだある本音。
フリーで働きたい理由……。
フリーになりたい、本当の理由……。
私は、問いを、じっと見つめた。
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