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第6章:夢を尋ねる ~キャラクターデザイン学科:河野いちか~
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大学生一年のとき、日記帳に夢を綴った。
『イラストレーターになりたい。絵を描いて生きていきたい』
梅雨真っ只中の七月頭の東京は、月曜からいつ振り出すかわからないほどどんよりとした曇り空で、私のカバンは折り畳み傘の分だけ重みを増していた。
午後二時四十分、授業を終えると日課になっているコンテスト情報のチェックのため、私は教室と同じ三階のフリースペースに足を向けた。
そこにはパソコンが二台置いてある。東京メディアスクールの在校生専用サイトがあり、スクールが収集している就職関連の情報や出版社やゲーム会社が催しているイラストコンテストやクリエイター募集の情報が一括確認できる。それに、一般の検索エンジンでスクールのサイトに掲載されていない求人情報を調べることもできる。
パソコンスペースには先客がいた。名前はうろ覚えだけども、キャラクターデザイン学科の同じクラスの男性二名。
彼らの一人がパソコンに向かって座り、もう一人はそれを後ろから覗きこんでいた。
私は二人の邪魔をしないように遠回りして空いている椅子に座り、パソコンのスリープを解除した。
インターネットブラウザを立ち上げるとスクールの専用サイトがデフォルトで展開されるように設定されている。
自分のスクール用アカウントでログインし、コンテスト一覧をクリックする。
ちゃんとアカウント制御をしているところを見ると、おそらくログの管理も行っているのだろう。私、河野いちかが、どのページにアクセスしているか、ひいては、学科全体がどのページに興味を示しているか、どのページは見られていないのか。そういう傾向を調べることができるようになっているのだろう。実際に、調べて、分析に活用しているかはわからないけれど。
スクールの専用サイトにコンテストの新着情報はなかった。
平日は、夕方から夜にかけてバイトをしている。十八時からのバイトにはまだ十分間に合う時間だけれど、もうバイト先に向かおうと思い、私はログアウトしてブラウザを落とし、パソコンをスリープ状態にしてから立ち上がった。
時間に余裕がないと焦ってミスをしてしまう。自分のそういう性質を大学生のバイトで何となく知り、新卒で入社した会社で痛感した私は、いろんなことの期限を早く設定している。
エレベーターに向かうため二人の後ろを通ったとき、彼らが専用サイトで各企業の求人ページを開いているのが視界に入った。この二人は企業への就職を志望しているようだ。
エレベーターの「▽」ボタンを押した時、どちらが発したのかわからない、ぼそりとした呟きが耳に届いた。
「就職なんて、安定志向のやつの選択だよなぁ。そんなのクリエイターじゃない」
椅子に座り操作していた男性が嘲りを含んだ声音と口調で発した。
「だよなぁ」
後ろで覗きこんでいた男性も馬鹿にしたような響きで同意する。
私の予想は全く持って違っていたようだ。
エレベーターはまだ来ない。
「バイトで生活しながらコンテストに応募したり、スマホケースとかクリアファイルとかオリジナルグッズいろいろ作って売ったり、同人誌即売会で作品集売ったりさぁ。いろいろ方法あるわけじゃん?
SNSやイラスト投稿サイト経由で、出版社やゲーム会社から仕事の依頼が来る人もいるわけだし」
「そうそう。方法なんていくらでもあるんだから、別に企業に就職しなくっても生活できるよな」
ようやくエレベーターが三階にきた。
「それに俺は、自由に描きたいから、絶対フリー」
のんびりと扉が開く。
「俺も。朝起きられないし」
乗り込んで一階を押す。閉じていく扉の隙間から、
「満員電車も乗りたくないし?」
「そうそう」
二人の笑いが滑り込んできた。
わざわざスクールの専用サイトを見ていたのは採用情報を得たいからではなかったらしい。むしろその逆だったとは。それにしても、通り過ぎていった私には聞こえないと思ったのだろうか。それとも、聞こえても構わないと思ったのか。どちらにせよ、教員に聞かれるとマイナスにしかならない発言の数々だ。
就職活動なんてイメージが大半を占めるのだから、学科担任や講師の先生にマイナスなイメージを持たれていいことなんて何もない。もしかしたらこの先、気が変わって企業への就職活動に切り替える可能性もあるのに。
一階に着くと、担任の増山さんが教務室の入り口にあるカウンター越しに生徒と話しをしていた。相手は、クラスメイトの男性だ。またしても正しい名前が出てこない。その少し後ろにはクラスメイトの女性。この人は覚えている。相原さんだ。あまり話したことはないけれど、確か大学を卒業してそのままTMSに入ってきたという子だ。
クールビズが励行されているのに、増山さんは半袖シャツではなく、長袖のシャツを着ていて、肘が出るか出ないかまで袖を捲りあげている。
増山さんに相談中の男性生徒も、後ろで待つ相原さんも、企業への就職を志望している。二人がこのカウンターで増山さんと話している姿をよく見るし、スクールのキャリアカウンセラーと個別面談室に入っていくところを見たこともある。
話の内容は聞こえないけれど、増山さんの表情は真剣そのものだ。私はその光景を横目にしつつ、梅雨の重い空の下に出た。
『イラストレーターになりたい。絵を描いて生きていきたい』
梅雨真っ只中の七月頭の東京は、月曜からいつ振り出すかわからないほどどんよりとした曇り空で、私のカバンは折り畳み傘の分だけ重みを増していた。
午後二時四十分、授業を終えると日課になっているコンテスト情報のチェックのため、私は教室と同じ三階のフリースペースに足を向けた。
そこにはパソコンが二台置いてある。東京メディアスクールの在校生専用サイトがあり、スクールが収集している就職関連の情報や出版社やゲーム会社が催しているイラストコンテストやクリエイター募集の情報が一括確認できる。それに、一般の検索エンジンでスクールのサイトに掲載されていない求人情報を調べることもできる。
パソコンスペースには先客がいた。名前はうろ覚えだけども、キャラクターデザイン学科の同じクラスの男性二名。
彼らの一人がパソコンに向かって座り、もう一人はそれを後ろから覗きこんでいた。
私は二人の邪魔をしないように遠回りして空いている椅子に座り、パソコンのスリープを解除した。
インターネットブラウザを立ち上げるとスクールの専用サイトがデフォルトで展開されるように設定されている。
自分のスクール用アカウントでログインし、コンテスト一覧をクリックする。
ちゃんとアカウント制御をしているところを見ると、おそらくログの管理も行っているのだろう。私、河野いちかが、どのページにアクセスしているか、ひいては、学科全体がどのページに興味を示しているか、どのページは見られていないのか。そういう傾向を調べることができるようになっているのだろう。実際に、調べて、分析に活用しているかはわからないけれど。
スクールの専用サイトにコンテストの新着情報はなかった。
平日は、夕方から夜にかけてバイトをしている。十八時からのバイトにはまだ十分間に合う時間だけれど、もうバイト先に向かおうと思い、私はログアウトしてブラウザを落とし、パソコンをスリープ状態にしてから立ち上がった。
時間に余裕がないと焦ってミスをしてしまう。自分のそういう性質を大学生のバイトで何となく知り、新卒で入社した会社で痛感した私は、いろんなことの期限を早く設定している。
エレベーターに向かうため二人の後ろを通ったとき、彼らが専用サイトで各企業の求人ページを開いているのが視界に入った。この二人は企業への就職を志望しているようだ。
エレベーターの「▽」ボタンを押した時、どちらが発したのかわからない、ぼそりとした呟きが耳に届いた。
「就職なんて、安定志向のやつの選択だよなぁ。そんなのクリエイターじゃない」
椅子に座り操作していた男性が嘲りを含んだ声音と口調で発した。
「だよなぁ」
後ろで覗きこんでいた男性も馬鹿にしたような響きで同意する。
私の予想は全く持って違っていたようだ。
エレベーターはまだ来ない。
「バイトで生活しながらコンテストに応募したり、スマホケースとかクリアファイルとかオリジナルグッズいろいろ作って売ったり、同人誌即売会で作品集売ったりさぁ。いろいろ方法あるわけじゃん?
SNSやイラスト投稿サイト経由で、出版社やゲーム会社から仕事の依頼が来る人もいるわけだし」
「そうそう。方法なんていくらでもあるんだから、別に企業に就職しなくっても生活できるよな」
ようやくエレベーターが三階にきた。
「それに俺は、自由に描きたいから、絶対フリー」
のんびりと扉が開く。
「俺も。朝起きられないし」
乗り込んで一階を押す。閉じていく扉の隙間から、
「満員電車も乗りたくないし?」
「そうそう」
二人の笑いが滑り込んできた。
わざわざスクールの専用サイトを見ていたのは採用情報を得たいからではなかったらしい。むしろその逆だったとは。それにしても、通り過ぎていった私には聞こえないと思ったのだろうか。それとも、聞こえても構わないと思ったのか。どちらにせよ、教員に聞かれるとマイナスにしかならない発言の数々だ。
就職活動なんてイメージが大半を占めるのだから、学科担任や講師の先生にマイナスなイメージを持たれていいことなんて何もない。もしかしたらこの先、気が変わって企業への就職活動に切り替える可能性もあるのに。
一階に着くと、担任の増山さんが教務室の入り口にあるカウンター越しに生徒と話しをしていた。相手は、クラスメイトの男性だ。またしても正しい名前が出てこない。その少し後ろにはクラスメイトの女性。この人は覚えている。相原さんだ。あまり話したことはないけれど、確か大学を卒業してそのままTMSに入ってきたという子だ。
クールビズが励行されているのに、増山さんは半袖シャツではなく、長袖のシャツを着ていて、肘が出るか出ないかまで袖を捲りあげている。
増山さんに相談中の男性生徒も、後ろで待つ相原さんも、企業への就職を志望している。二人がこのカウンターで増山さんと話している姿をよく見るし、スクールのキャリアカウンセラーと個別面談室に入っていくところを見たこともある。
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