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第3章:夢の裏側 ~教務係:佐久間晧一~

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「入校時の声や、授業での声、一年生の終わりに録ったボイスサンプルなんかを聞きなおすと、声が変わってきているんだよね。もともと聞き取りやすい声と滑舌だったんだけど、今のほうが断然響きがいいし、滑舌もよくなっている。
 授業でも一年の最初に発声と滑舌をするんだけど、一通りやると、次のカリキュラムにいっちゃうから、身につかないまま次のステップに進んでしまう生徒が多いんだよ。でも安藤くんはしっかりと出来上がっている。自主的に身につけたって可能性もあるけど、なんとなくボイトレに通ったのかなって」
「生活費とここの学費だけでもかなり大変だと思いますけど、ボイトレまで通っていたら生活がカツカツになっちゃいますね」
「確かにね。でも、まぁ、こっちが気にかけられることには限りがあるから」

 そう言うと、橋本さんは少しだけ眉をハの字にした。

「バイトでくたくたになって授業がおろそかになるようなら、まず先生が気づくだろうし、俺も授業中の映像で気づける。そしたら、声をかけるって感じかな」

 学費は分割できるし、教育ローンも組める。それらを紹介することはできても、生活費までは面倒見られない。橋本さんの言っていることは至極妥当だ。

「練習もさ、授業では教材や台本に目を通してこないと確実にばれるから、みんな一通りは家でやってくるんだけど、まだまだ足りないって生徒は多いんだよね。費やした時間の分だけうまくなるかと言えば、そういうわけではないだろうけど、でも何もしなかったら何も変わらない。
 センスが必要な世界なのは確かだけど、そのセンスは努力によって磨かれるってことを生徒たちを見てると痛感するよ」

 七月の最初にはこの部分に安藤くんのインタビューが載るから、そのときはチェックしてね。橋本さんはそう言って、時間取らせてごめんと僕の席から離れていった。僕はお礼を言って頭を下げた。
 手元に残ったメモ用紙には急いで書いた綺麗とは言えない字が躍っている。僕はパソコンのCドライブ内のExcelファイルを開いた。各シートに学科別での仕事や業界についてなど、知り得た情報を書き残している。
 昨日、庄司さんから聞いた印税収入に関することもまだ入力していなかったから、合わせてまとめてしまおうとキーボードを叩いた。



 声優学科は会社員も学生も通えるように夜の7時から授業が始まる。だから担任も授業に合わせて午後から出社してくる。
 今日の午後、僕に話しかけてくれた橋本さんは出社したばかりだった。小説・シナリオ学科の担任は専科の授業があるときだけ、昼出勤をする。庄司しょうじさんは金曜クラスの担任だから、木曜の今日は通常出勤。けれども、ほとんどの日は残業している。定時が18時――と言っても、自主練部屋の施錠をしたら結局18時15分ほどにはなってしまう――の僕よりも遅い。
 けれども今日は、僕が帰り支度をしているタイミングで、庄司さんも斜め後ろのデスクの片づけを始めた。

佐久間さくまくん、新宿駅だっけ?」
「はい」
「よかったら一緒に帰る? あ、飲みに行こうなんて面倒なこと言わないから」

 笑う庄司さんに「何ですかそれ」と笑い返す。
 教務室に残る声優学科の担任数名に挨拶をして、僕は庄司さんと一緒に教務室を出た。

「この時間に帰るなんて珍しいですね」
「まあね。残業代はもらえるけど、帰れるなら早く帰りたいから」
「そうですよね」
「橋本さんからWEBサイトに記事載せる段取り、教えてもらってなかった?」
「あ、はい。声優学科の生徒さんがラジオのレギュラーをやるそうで」
「あぁ、彼ね。彼は七月と八月のオーディション祭りでかなりの成果を上げそうだよね」
「オーディション祭り? そんな言い方するんですね」

 声優学科が二年の後半に事務所所属をかけたオーディションを行うことは僕も聞いている。それも何十社も来るらしい。それを祭りと銘打っているようだ。

「僕らだけだけどね。表向きはそんな言い方していないから、先方さんや生徒の前では言わないで」

 しまったという表情で庄司さんは付け足した。僕は少し笑って、「はい」と答える。
 学科違いの庄司さんも名前を知っているということは、安藤くんはスクール内で有名なようだ。
 専門学校での二年間を後悔し、今、全力投球して、着実に前に進んでいる安藤もといという生徒。あと数か月でその努力が報われる可能性がある。
 木崎きざきあやさんは授業で変わるきっかけを得て、長編小説の企画書を出した。けれど、まだ、それだけだ。

「あの、小説専科二年生の、木崎さんですけど」

 スクール外で名前を言っていいのか躊躇ためらわれ、名前だけ小声になる。

「ん?」
「締め切りまで十分に時間はあるって昨日話していましたけど、原稿用紙を百枚も二百枚も書かなきゃいけない、いわば長期戦で、モチベーションを保ち続けることなんて出来るんでしょうか。その、彼女の場合、今までが今までだったので……」

 担当している生徒を悪く言われているように感じて気分を害すかと思ったけれど、庄司さんは特に気にした様子もなく、いつものトーンで話し始めた。

「まあ、そこだよねぇ。作品作りのモチベーション。小説を書くのはかなり孤独な作業だから。物語を考えるのも、文章を綴るのも、それをひたすら続けるのも自分だけ。
 僕の偏見だけど、声優ならとりあえずセリフを言ってオーディションを受けることはできる。けど、小説ってとりあえず原稿用紙を埋めるってできないからね。『あいうえお、かきくけこ』とか書いて埋めても小説賞には出せない。いや、出してもいいけど、確実に落とされる」
「そうですね」

 五十音が書き連なっている原稿を想像したら笑いそうになった。

「でもスクールのいいところはそこだと思うよ」
「え?」
「先生が相談にのって、生徒同士で執筆具合を話し合って、たまには担任の僕らが声をかけたりする。外部刺激があれば、一過性の熱じゃなくて、何度も何度も情熱を燃やすことができるでしょ」
「たしかに……」
「先生から厳しいことを言われても、変わらない人、辞めてく人を僕は見てきた。だから、彼女が折れずに課題を提出したこと自体を成長だと捉えたいと、僕は思ってるんだ」

 長編作品、書ききって欲しいよね。
 そう言って、新宿の光の中で庄司さんが優しく笑った。

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