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第3章:夢の裏側 ~教務係:佐久間晧一~
3-2
しおりを挟む「どうかしたのか?」
僕と橋本さんがパソコンを覗きこんでいるのを見て、教務室に入ってくるなり江本さんが歩み寄ってきた。
「えっと、小説専科の生徒さんから、急ぎの相談で……」
バリトンボイスの江本さんに突然声をかけられた僕はしどろもどろになった。つっかえつっかえ説明していると、江本さんが僕のパソコンを覗きこんできた。
橋本さんが少し身体をずらし、僕も上半身を傾けて隙間を作る。
木崎彩さんからのメールには課題をほとんど出していなかったこと、原因が都合のいい妄想に耽って時間を浪費していたことなど、赤裸々な文面が並んでいる。
就職率や事務所所属率、デビュー人数を気にする江本さんにとっては、彼女のような生徒は明らかに劣等生、数字や営業の役に立たない、お金だけが目的の生徒だ。もしかしたら、学費だけ納入されたら途中で辞めてもらっても全然かまわないとすら思っているかもしれない。
僕の頭に、江本さんがこれから言いそうな言葉が過った。
「期限は過ぎてるんだろう? だったら駄目だ。プロになって同じこと言えるか? 言えないだろ。まぁ、課題も全然出せない奴はプロになんて到底なれないだろうがな」
そう鼻で笑い、一刀両断する姿が想像された。
しかし、実際に江本さんが口にしたのは全く違う言葉だった。
「企画書ができたら送っていいって返事していいぞ」
「え?」
声が半分裏返った。
「あ、えっと、大西先生にはまだ確認しなくて……」
虚を突かれつつも、何とか言葉を継ぐ。
「このメールをそのまま転送して、『木崎さんの長編小説の企画書をご確認頂けないでしょうか』って書いて送れ。このメールを読んだら大西先生なら快諾するさ。まぁ、ないとは思うが、難色を示すようなら俺に言え。掛け合うから」
あまりに予想外な言葉に僕は呆然とした。
一瞬理解できなかったほどだ。
江本さんの発したのは、柔らかさの欠片もない僕の苦手な低い声。けれども、不思議と怖さは感じなかった。
スクールの実績に繋がらなさそうな劣等生に対して、こんな風に肯定的なことを言うなんて想像できなかった。
「佐久間くん?」
橋本さんの声で我に返る。
「え? あっ、はい。わかりました。ありがとうございます」
慌てて江本さんに頭を下げる。
「じゃあ、佐久間くん、大西先生への連絡と生徒さんへの連絡、頼むね。明日は庄司も出社するから、引き継いでいいよ。あ、メールでいいから」
「わかりました」
橋本さんとやり取りしている間に、江本さんは僕たちの傍を離れていった。いつも威圧感を覚える江本さんの後ろ姿が、何故だか違って見えた。
その理由が、『このメールを読んだら大西先生なら快諾するさ』と言ったときの目が妙に優しかったからだと気づいたのは、仕事を終え、帰りの電車に揺られているときだった。
この一件から、江本さんを見る目が少し変わった。
僕が江本さんの一面だけを見て悪いイメージを持ち過ぎただけだったのかもしれないと反省したし、発していた言葉に金儲け以外の意味があったのではないかと深読みするようになったからだ。
木崎さんのメールを転送して企画書の添削を頼んだら、江本さんの言っていた通り、大西先生は『もちろんです』と快諾してくれた。
そして彼女は、宣言通り水曜日中に課題を提出した。
課題を受け取り大西先生に転送した後は担任である庄司さんの領分だから、木崎さんや大西先生とのやり取りがどんな風に進んでいるのか僕は知らない。
けれど、関わりを持った手前、少しその後が気になってしまっている自分がいた。
本科と専科の課題メールが届いていないことをきっかけに木崎さんのことを思い出した僕は、キャスター付きの椅子をごろごろと動かし、斜め後ろのデスクに座る庄司さんに近寄った。
「忙しいところ、すみません」
「どうかした? なんかわかんないところあった?」
四月から始まったばかりの小説・シナリオ学科の本科と専科の両方の担任をしている庄司さんのデスクの上には、新しい生徒の名簿が置かれていた。パソコン画面はメールソフトが立ち上がっていて、今はメールを捌いていたようだ。
「あ、いえ。先週の専科二年の木崎さんって、その後どうなったのかなって、少し気になりまして……」
言ってから、忙しいときに話しかけて迷惑だったかなと少し不安になった。けれども、庄司さんは僕に身体を向けて表情を明るくした。
「あ、木崎さん? 先週はありがとうね。あの後個別面談を持つことになって、そこで企画書の添削をすることになったんだ」
そう言うと、庄司さんはカレンダーアプリを立ち上げた。一号館・二号館全員の社員の予定が色分けで表示されている。それだけじゃなく、会議室や練習室、面談室などの施設予約も一元管理されている。
庄司さんが明後日金曜の18時の予定をクリックする。
立ち上がったモーダルには、『小説の課題添削』というタイトルがついていて、一号館に二部屋ある面談室の一つが施設予約され、メモ欄部分には『大西先生と木崎彩さん』と書かれている。
「先生と面談したらどうかって提案したら、お願いしますって返ってきてさ。積極的になってくれてよかったよ」
出すべき課題を一つ提出しただけで積極的になったと言っていいのか若干疑問ではあったけれど、僕も庄司さん同様にどこかほっとした。
そして、そんな自分にちょっとだけ心がむずがゆくなった。
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